昨年の春はアメリカ西海岸の都市と奇岩で人気のアンテロープ・キャニオン
に出かけるのを楽しみにしていたが、新型コロナウイルスの感染が世界的に
広まったので中止を余儀なくされた。アメリカはNY,ボストン、ワシント
ン、フィラデルフィアなど東海岸しか縁がなく、LA,サンフランシスコは
まだ一度も足を踏み入れてなかったのでこの旅行が実現しなかったのは残念
でたまらない。仕切り直しがいつやって来るのか、アバウトには具体的な
計画が動き出すのは2023年くらいになりそう。
西海岸を体験したら、次の目標となるのはメキシコシティ。その下の中米、
さらに先の南米にまで飛んでいく元気はない。メキシコシティへ行ってみた
いのはリベラ、シケイロス、オロスコの大壁画をみたいのと、フリーダ・
カーロ(1907~1954)の自画像やシュルレアリスム絵画に遭遇でき
る可能性があるから。国内の美術館ではメキシコ絵画にスポットをあてた
展覧会は少なく、実際に足を運んだのは2007年に世田谷美であった
‘メキシコ20世紀絵画展’の1回だけ。
このとき目玉の作品として展示されたのがフリーダの‘メダリオンをつけた
自画像’。彼女の絵の多くが自画像だが、これは強い磁力を放っている。フリ
ーダが好んだ鳩のブローチをつけ顔のまわりは広いひらひらのエスぺランド
ール。目を見張らされるのはレースの模様が一つ々丁寧に描かれていること。
顔はぱっとみると男性のようにもみえる。髪の生え際と涙の粒でやはり女性
に落ち着く。
これに較べるとポンピドーにある‘ザ・フレーム’はだいぶ装飾的で乙女チッ
クな花園ムードが漂っている。だまし絵のようにフレームを描いてしまうの
はシュールな感性に火がついている証。‘二人のフリーダ’もダブルイメージ
の変種。これはリベラとの離婚直後に描かれた。リベラの好きだった民族
衣装を着た右の自画像は二人の関係がよかったときの姿、左は西洋風の衣装
を着た自分で破局を表現している。胸のところに医学書に出てくる心臓を
描くという発想が前衛そのもの。
NYのMoMAで遭遇した‘変化と私’は黒い猿の赤ちゃんを抱くフリーダが女芸
人のイモトアヤコにみえてしょうがない。シュール気分全開の‘小さな鹿’に
も大変惹かれている。ケンタウロスをイメージさせる鹿人間の体に矢が突き
刺さり血がふきでるのは交通事故の後遺症で体調が良くない状態にあること
を示唆している。