美術館で名画に遭遇するときはすでにその情報を得ている場合とまったく
情報がなく突然目に前に現れて立ち尽くすことがある。ひろしま美での体験
はゴッホの‘ドービニーの庭’が前者で藤田嗣治(1886~1944)の
三連祭壇画‘受胎告知、十字架降下、三王礼拝’が後者。当時は今と違って藤田
嗣治の絵をみる機会がほとんどなかった。そのため、ここであの藤田の絵を
みたというのは大変な収穫だった。
藤田のスゴイところは伝統的な古典画をふくめた西洋絵画という相手の土俵
で独自の描き方を追及したこと。この三連祭壇画を思わせる作品はウフィツ
ィやルーヴルで目にするものとなんら変わりなく背景の金箔の地に描かれた
キリスト教物語は違和感なくすっと入っていける。この絵の衝撃は本当に
大きかった。藤田がこんな本格的な宗教画を描いていたとは!
乳白色の裸婦図は日本にもグッとくるのが数点ある。一番のお気に入りは
秋田にある‘眠れる女’だが、ここの‘裸婦と猫’にも大変魅了されている。正面
向きでじっとこちらをみられたらタジタジになりそう。足元にいる猫まで同
じ目線。ダブルでみられると長く絵の前に立っているのがしんどくなる。
マティス(1869~1954)の‘ラ・フランス’は小品の肖像画だが、赤
をベースにしたはつらつとした色彩表現は強く心に残る。マティスは
1939~40年にかけて同じような描き方の人物画を残している。例えば
アメリカのオルブライト・ノックス・アートギャラリーにある‘音楽’とか
クリーブランド美蔵の‘エトルリアの花瓶のある室内’、これに‘ラ・フラン
ス’を加えた3部作はとてもリラックスしてみられるのが特徴。こういうの
が名画の証。
日本の洋画家では岸田劉生の‘支那服着たる妹照子之像’と安井曾太郎の
‘画室’に足がとまる。劉生というと麗子像ばかりが思い出されるが、五歳違
いの妹の肖像を描いていた。支那服の青の生地に施された模様を丁寧に描く
のが劉生流。‘画室’は裸婦のモデルと家族が一緒に描かれるという異色の絵。
モデルはポーズをとりにくかったにちがいない。