マザッチオの‘楽園追放’(1425~28年 フィレンツエ ブランカッチ礼拝堂)
マンテーニャの‘死せるキリスト’(1470~74年 ミラノ ブレラ美)
レンブラントの‘ガニュメデスの掠奪’(1635年 ドレスデン美)
西洋絵画では劇画のように人物の感情表現が極度に激しく描かれることはあまりない。宗教画のなかで最も悲しい場面はキリストが磔刑に処せられるところであるが、多くの絵ではキリストの死を哀悼する聖母マリアたちの表情は映画で俳優が演じるほどリアルな描き方はされない。
ところが、ときどきその悲しみの表情があまりにも真に迫っているので思わず感情移入してしまう作品に遭遇することがある。マザッチオ(1401~1428)の‘楽園追放’は究極の泣き顔の筆頭かもしれない。眉をハの字にして泣きじゃくるイヴ、楽園を出ていかなければならない悲しみ、そして深い絶望感がストレートに伝わってくる。
中世以来繰り返し描かれてきたキリストの死の場面、嘆き悲しみ聖母マリアたちの表情がこれまで最もリアルに感じられたのが2点ある。ひとつはミラノのブレラ美で出会ったマンテーニャ(1431~1506)の‘死せるキリスト’、キリストの足がこちらに向かってくる短縮法にまず度肝をぬかれ、そして布で涙をぬぐう老婆の姿に釘づけになる。この聖母マリアはじつに人間らしい、まさに運悪く自分より先に亡くなった息子を悲しむ母の姿。
ボストン美にあるクリヴェリの作品はまだ縁がない。これは現地で買った図録に載っておりとても衝撃を受けた。キリストの右で口を大きく開け天を仰いで泣き悲しむヨセフの表情には現実感がある。幼い子は母親が欲しいものを買ってくれないときはこのような顔で泣きわめく。ダメなものはダメなの!わからない子ねえー、
レンブラント(1606~1669)の描いた‘ガニュメデスの掠奪’はお気に入りの一枚。この坊やはゼウスが変身した鷲が怖くてたまらない、あまりに怖いもんだからお漏らししてしまう。ゼウスもこれほどいやがる子供をなにも天に連れていくことはなかろうに。
それにしても、レンブラントはおもしろい発想をする。オウィデイウスの本ではガニュメデスは美少年なのに、こんな泣き虫坊やに変えてしまった。人一倍人間が好きだったにちがいない。