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Channel: いづつやの文化記号
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アートに乾杯! ‘徴表情’と‘徴描写’

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Img_2     スネイデルスの‘猿のいる静物画’(部分 1630年頃) 

Img_0002_2     マセイスの‘両替商とその妻’(1514年 パリ ルーヴル美)

Img_0005_2     凸面鏡部分

タイトルの‘徴表情’というのは聞きなれない言葉かもしれない。これは‘お気に入り本’に載せているコロンビア大ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授の本‘選択の科学’(2010年 文芸春秋)にでてくる。

アメリカで‘人間ウソ発見器’の異名をとるポール・エクマンという心理学者は目の前にいる人物がウソをついているかどうかを95%の的中率であてるという。エクマンが手掛かりにしているのがこの‘徴表情’。ウソをつく人はわずか数ミリ秒(1ミリ秒は1秒の1000分の1)しか持続しない‘徴表情’でボロを出すことがわかった。

普通の人はこれに気がつかない。ところが、エクマンにはこれが読みとれる。‘徴表情’を見抜く訓練を重ねほかの人にはない能力を身につけていった。例えば、真実をいっている人とウソをついている人の映像をスローモーションでつぶさに観察したという。

じゃあ、こういう訓練をすると誰でも人がウソついているか見破れるかというとそう簡単ではない。エクマンは顔を生涯の研究テーマとしており、人間の顔だけでなく動物の顔もずっと見つづけている。その一例が猿、猿の瞬間瞬間の表情を観察して、猿がつづいて見せた行動と関連づけた。例えば、この表情をしたときは盗む、あの表情のときは攻撃する、またあの表情をみせるときは親愛の情を示す、といったようにさまざまな表情が行動の前触れだということをつきとめた。

こういう長年の観察に積み重ねにより、エクマンは‘徴表情’の瞬間がみえるようになった。なんともスゴイ話!では絵画の世界にも‘徴描写’(My造語)のスゴ技を使って絵を描いた画家がいるか、そこは長い歴史をもつ絵画、卓越した写実の技で見る者をあっと驚かせる異能の人はしっかり存在する。

ルーヴル美にマセイス(1465~1530)が描いた‘両替商とその妻’という風俗画がある。目が点になるのがカウンターの前に置かれた凸面鏡。下の拡大図でもわかるとおり、凸面鏡にはこちら側が映っている。老人が手を窓にかけ、向こうには教会がみえる。

よくまあ、こんなに細かく描けることと感心する。こういう神業的な技術が目を惹く作品は訓練に訓練を重ねた一握りの人間の手からしか生まれてこない。そしてミューズからは親方の称号が授けられることになる。


アートの乾杯! ファン・エイクの驚愕‘徴描写’

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Img_0002_2     ‘ロランの聖母子’(1435年 パリ ルーヴル美)

Img_2     部分拡大図

Img_0005 ‘ファン・デル・パーレの聖母子’(部分 1436年 ブリュージュ フルーニンゲ美)

Img_0001_2     部分拡大図

西洋絵画のなかには油絵の魅力を存分に味わせてくれる作品がある。その一番上のランクにいるのがファン・エイク(1390~1441)。その画面は隅から隅まで対象を微細にとらえた驚愕の‘徴描写’でみたされている。

ルーヴルにある‘ロランの聖母子’はこれまで数回みた。はじめて対面したときはファン・エイクの画技のスゴさを知っていなかったから、こんな聖母子もあるのか、という感じで特別の思い入れはなかった。でも、今はちがう。絵画をいろいろみる機会がふえ、ファン・エイクの美術史における位置づけがわかってくると、本物との遭遇はかけがえのない楽しみであり一つのイベントになった。

そこまでこの画家にのめり込ませるものは何か?それは鮮やかな色合いと神業的な細密描写、この‘徴描写’でまだ確認していないことがある。ロランと聖母子に向こうに川のながれる風景をながめている二人の男が小さく描かれている。この二人や川に架かる橋、そしてそこにいる人たちは前回単眼鏡でしっかりみた。

まだみてないのは橋のもっと先に描かれたもので、右の川岸の奥にみえる緑の木にかこまれた建物。ここで火災が起きているのである(部分図を拡大で)!これが発見されたのは美術史家の元木幸一氏によると1970年以降とのこと。絵が描かれて500年以上も発見されずにいた!

ブリュージュのフルーニンゲ美にある‘ファン・デル・パーレの聖母子’は2年前幸運にもみることができた。この絵で夢中になってみたのが右の聖ゲオルギウスの身に着けている兜や鎧のリアルな質感。光沢のある金属の輝きが見事に描かれている。まるで本物の武具をみているようだった。

はじめての対面だから、聖母子や左の司教の衣装、そして寄進者のファン・デル・パーレの細密描写にも時間をさかなくてはいけない。そのため、聖ゲオルギウスの盾のところに映っている人物(部分図)を単眼鏡でみるのをすっかり忘れていた。この人物は絵を描いているファン・エイク自身。‘徴描写’は衣装のひだや老人の顔のしわだけでなく、盾への映りこみににまでおよんでいた。本当にスゴイ技である!

アートに乾杯! 天才カラヴァッジョの‘徴描写’

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Img_0001_2     ‘果物籠’(1597年 ミラノ アンブロジアーナ美)

Img_0007_2     部分拡大図

Img_0005_2     ‘バッカス’(1595年 フィレンツェ ウフィッツィ美)

Img_0003_2     ‘トカゲに噛まれた少年’(1593年 ロンドン ナショナルギャラリー)

絵画を宗教画とか人物画といったジャンル別にみたとき、夫々にすぐ思い浮かべる傑作がある。静物画の場合、愛してやまないリファレンス作品は3点。鑑賞した順番にあげると、セザンヌの‘リンゴとオレンジ’、カラヴァッジョの‘果物籠’、そしてシャルダンの‘木いちごの籠’。

このなかで特別な体験をしたのがカラヴァッジョ(1571~1610)の‘果物籠’。この絵をミラノのアンブロジアーナ美でみたときは時間がなかったためじっくりみれなかった。その驚くばかりの‘徴描写’を体験することになったのは2度目の対面のとき。

3年前、ローマでカラヴァッジョの大回顧展(拙ブログ10/5/13)が開催され、この‘果物籠’ははじめて館外で展示された。予約していたので開館するとすぐ入れこの絵の前にいるのは数人のみ。単眼鏡を使ってじっくりみた。そのときすごいサプライズがあった。それは梨や緑の葉についている水滴の表現(部分図を拡大で)。生の感覚をそのままとらえる‘徴描写’はこの水滴だけでなく、水が霧状になって飛び散っているところにも。隣の方と単眼鏡をまわしながらみたが、体が震える感激とはこのこと。本当にスゴイものをみた。

もう一点、夢中になったみた作品はウフィッツイからやってきた‘バッカス’。どこに注目したかというと画面左に描かれているワインのフラスコ。事前に得た情報によるとここにカラヴァッジョの顔が映っているという。ファン・エイク同様、カラヴァッジョも‘徴描写’をここで披露している。ところがである。単眼鏡を使って何度もみたが、その顔がつかめない。絵の前では幼稚園児に付き添いのお姉さんがお話をしている。その素振りからはカラヴァッジョの顔のことをいっているようで、手でフラスコを指している。

これは焦る。でも、最後まで像は確認できなかった。これはダリのダブルイメージみたいなもので、ひとつのイメージが固定するともうひとつがみえなくなるのと似ている。展覧会の図録にこの部分を拡大したものが載っており、ここのところかな?という気はするが確信はもてない。フィレンツェで再会することがあれば、もう一度挑戦したいと思っている。

ロンドンのナショナルギャラリーにある‘トカゲに噛まれる少年’にも大変魅せられる。視線が長くとどまっているのがガラスの花瓶を青白く輝かせる光の描写。カラヴァッジョの比類ない技術によって生まれた透き通るガラスの質感、これほど美しいガラスの花瓶はほかにみたことがない。

アートに乾杯! ダ・ヴィンチの注目‘徴描写’は金髪

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Img_2     復元想像‘モナリザ’(1503~06年 パリ ルーヴル美)

Img_0002_2     ‘キリストの洗礼’(部分 1472~75年 フィレンツェ ウフィッツィ美)

Img_0003_2     ‘ジネヴラ・デ・ベンチの肖像’(1478~80年 ワシントン国立美)

Img_0004_2     ‘音楽家の肖像’(1485年 ミラノ アンブロジアーナ美)

ルネサンスからバロックあたりまでの西洋絵画を前にして、仮に誰の絵が好きか5人あげてみてといわれたとする。これは難しい。5人になかなか絞りこめない。心を奪われる作品はいくつもあり、傑作絵画を生み出した画家たちは例えていうならヨーロッパアルプスにそびえる名峰のようなものだからである。モンブラン、マッターホルン、モンテローザ、アイガー、、どの山も雄々しく美しい姿で人々の心をとらえて離さない。

でも、ダ・ヴィンチ(1452~1519)が5人のなかに入ることは確定している。西洋画家のなかで特別の存在であるダ・ヴィンチ、運がいいことに新規に発見されたものは除き画集に載っている作品はすべてみることができた。描かれた人物画のなかでいつも目をこらしてみているのは3つ。スフマート、金髪の描き方、そして背景の風景に用いられた空気遠近法によって彩られた空のうす青。

ときどきフランスの工学技士パスカルスコット氏が08年にマルチスペクトル高解像度カメラを使って復元した‘モナリザ’をながめ、この絵が描かれたときの色彩を楽しんでいる。透明な絵の具を何度も々塗り重ねて描くスフマートという技法は究極の‘徴描写’、これはもう200%神業!そして、背景の空の紫がかったうす青。この神秘的な青に心を奪われる。

人物の描き方で夢中にさせるのは金髪。ダ・ヴィンチはヴェロッキオの工房にいたとき‘キリストの洗礼’の画面左にいる天使を描いた。この天使をはじめてみたとき、その水流の渦巻みたいに描かれた金髪の美しさに目が釘づけになった。金髪にこだわってみるようになったのはこの‘徴描写’が影響している。

1月ワシントンのナショナルギャラリーを訪問したとき古典絵画の多くはパスしたのだが、ダ・ヴィンチの‘ジネヴラ・デ・ベンチの肖像’の前には少し長くいた。この女性の顔には惹かれないが、金髪の精緻な描写にはつい引き込まれる。金髪の完成度の高さではこの絵が一番かもしれない。

6/30まで上野の東京都美で展示されている‘音楽家の肖像’も‘キリストの洗礼’の天使同様、目をひくのはきれいにカールした金髪。ダ・ビンチの作品は少ないので今年ワシントンと東京で2点の金髪‘徴描写’に遭遇したのは幸運だった。ミューズに贈り物をしておかないといけない。

夢の先史壁画! タッシリ・ナジェールの岩面画

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Img    アルジェリア サハラ砂漠に位置するタッシリ・ナジェール山脈

Img_0001_2     ‘白い巨人’

Img_0003_2     ‘タン・ズマイタク’

Img_0004_2     ‘重ねがきの牛と踊る女たち’

美術の本はほかの本とちがって文章を読むというより掲載されている美術品の図版をみることことが多いので、本棚にとどまっている時間が長く、そのぶん愛着も大きくなっていく。‘世界 名画の旅(全5冊)’(1986年 朝日新聞社)も本棚の一角を長く占めている本のひとつ。

これは朝日新聞の日曜版に連載された名画追っかけ記を書籍化したもの。そこに先史時代に描かれたとても存在感のある絵が載っている。壁画がある場所はサハラ砂漠の中央部に位置するタッシリ・ナジェール山脈、アフリカで足を踏み入れたのはエジプトだけなので、この山脈がどんなところなのかはわからない。写真や映像でみると鋸の刃をおもわせるごつごつした岩が筍のように立ち並んでいる感じ。

一度みたら忘れらrれないのが‘白い巨人’。制作期は最も古い‘狩猟民の時代’(紀元前7000~4000年)末期といわれる。この巨大な男性像は高さ3.2mもあるという。左側には腕をあげて祈る女性がみえる。そして、長い胴と重なるようにヤギが描かれている。この岩面画を一度みてみたいと思うが、どう考えてもムリ。あの荒涼たるサハラ砂漠へでかける勇気はとてもない。

朝日の記者は現地へ赴く前、この膨大な数の岩面画を1956年に発見したフランスの調査隊の隊長をつとめたロート氏(当時83歳)とパリで会い、こんなことを注意されている。‘サハラ砂漠では毒ヘビに気をつけなさい。噛まれたら、間違いなく死ぬ。サソリは心配ありません。多少の後遺症は残るでしょうが’。名画の取材がルーヴルなら楽しいだろうが、こういう先史の美術を目指すとなる道中は命がけ!

ほかにも狩猟の様子を描いたものや人物と動物が一緒にくらし、ときには女が踊っている場面を描いたものなどがある。文字のない時代は岩に描かれた絵が情報を伝える唯一のメディア。画面からは先史時代に生きた人々の神を畏怖する気持ちとか喜びの感情がよく伝わってくる。美術本をみているだけでも想像力がいろいろ膨らんでくるから結構楽しい。

好投が続くレッドソックスの田沢、上原!

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Img     レッドソックスのセットアッパー 田沢

Img_0001      クローザー 上原

今日の大リーグはヤンキースとオリオールズの試合とレッドソックスとアスレチックス、東西地区の首位を走るチーム同士の戦い、2つを中継していた。今関心の的はレッドソックスのクローザーに昇格した上原のピッチング、この試合は上原をみるのに理想的な展開だった。

アウエイでの一戦だが、レッドソックスが主導権を握っていた。2回に2点先制し6回まで同点で進んだが、7回ハミルトンの落球で1点をもらうと続く8回にはオルティーズが2点ホームランを放ち勝負を決めた。

レッドソックスの勝ちパターンになったので8回の裏は1アウトのあと田沢がでてきた。今シーズン、田沢はセットアッパーとしていい仕事をしている。重くて速いストレートでバッターを力で抑え込む投球スタイルが板についてきた。度胸がすわっているのがいい。今日も2人をなんなく打ちとった。

そして、9回は期待の上原の登場。レッドソックスの点数が6になり点差が4になったので、この回を抑えてもセーブはつかないが、それはクローザー上原にとってどうでもいいこと。3人を簡単に片づけた。上原は制球力がいいからストライクはいつもポンポンととる。とにかくストライクをとる能力に秀でている。これが監督に高く評価され、華のクローザーに抜擢された。

大リーグのクローザーとして脚光を浴びるのはマリナーズで活躍した佐々木以来のこと。レッドソックスは現在、2位のオリオールズに5.5ゲームの差をつけている強いチーム、こんな伝統のあるチームのクローザーを今上原がつとめている。これはみていて気持ちがいい。フォークを駆使してバッターを三振にしとめるたびに上原の体からはアドレナリンがどばっとでているにちがいない。

アートに乾杯! 七夕図をお楽しみあれ

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Img_0001_2        酒井抱一の‘乞巧奠(きっこうてん)’(1827年 大倉集古館

Img_0004_2     川原慶賀の‘年中行事絵 七夕図’(江戸時代18~19世紀)

Img_0003_2     奥村政信の‘絵本 小倉錦’(江戸時代18世紀)

Img_0002   三代歌川豊国の‘文月西陣の星祭’(江戸時代19世紀)

今日は七夕なので、これにちなんだ絵を選んでみた。3年前にもとりあげたので(拙ブログ10/7/7)、七夕図パート2。

大倉集古館に酒井抱一が五節句を描いた五幅の掛軸があり、その一幅が‘乞巧奠’、七夕の絵。京都の冷泉家では今でも中国から伝わったこの乞巧奠という祭りが行われている。これは一年に一度会ってニコニコ顔になる彦星と織姫の二星に蹴鞠、雅楽、和歌などの技芸を手向け、技が巧みになるようにと乞う、歌会の行事。

抱一の絵では台盤に海山の幸を盛る土器が置かれ、その下には角だいらがみえる。そして、女性が3人描かれた川原慶賀の絵には琴が手向けられている。雅楽の楽器としてはもうひとつ琵琶がある。

奥村政信のぐっとくだけた感じの七夕図はみてて楽しい。江戸時代までタイムスリップしなくても、昭和の30年代40年代だって、七夕の日はこんな雰囲気が漂っていた。この絵の真ん中にある台には川原慶賀の絵に描かれたのと同じように食物が供えられている。七夕気分が高まるのはなんといって笹竹に掛けられている色紙や短冊。風にひらひらする様はじつに風情がある。

賑やかな七夕は三代目豊国の絵。描かれている女性は6人、3組のペアが斜めに組み合わされて等間隔で配置されている。右端の母親はホウズキを高くあげて子供と遊んでおり、その向こうでは牛の背に荷物を積んだ大原女が休憩中。笹竹に短冊を結びつける娘、さてどんな願いを書いたのだろうか、食欲をそそられるのが左の女がもってきたスイカ。夏というとスイカが欠かせない。大好物だから、明日はいただくことにした。

心が躍る‘プーシキン美展’

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Img     ルノワールの‘ジャンヌ・サマリーの肖像’(1877年)

Img_0002     ゴーギャンの‘エイアハ・オヒバ(働くなかれ)’(1896年)

Img_0003     ゴッホの‘医師レーの肖像’(1889年)

Img_0005     アンリ・ルソーの‘詩人に霊感を与えるミューズ’(1909年)

待望の‘プーシキン美展’(7/6~9/16)をみるため横浜美に足を運んだ。この美術館は前回木曜にでかけてえらい目にあった。休館日は月曜ではなくて木曜。要注意!月曜に美術館巡りをすることは滅多にないので、調子はちょっと変だったが、館に入るとすぐみるぞ!モードになった。

この展覧会をPRする美術番組がBS朝日の‘世界の名画’で2回放映されたから、プーシキン美の成り立ちや所蔵コレクションの内容がだいぶわかった。今回この展覧会がスゴイなと思うのは展示されている66点のなかにはTVで紹介された作品がかなり含まれているから。海外の美術館に焦点をあてた特別展があるとき、美術の本や画集に載っている有名な作品が3点もあれば◎となるのだが、今回これが両手くらいあるのだから、サプライズ200%のフランス絵画展といってまちがいない。

まずは期待の作品から。ルノワール(1841~1919)の‘ジャンヌ・サマリーの肖像’、もっとも好きな絵ということはないが関心は寄せていた。図版でエルミタージュにある立ち姿の女優ジャンヌと比べると筆致の丁寧さがちょっとないなと感じていたが、じっさいはそれが気にならなかった。この絵はあまり接近しないで少し後ろにさがってみたほうがいい。すると、明るくチャーミングなジャンヌの魅力がいっそう感じられるはず。画面全体が発光体のように輝いている。図版ではこれがわからない。

今回、最も対面を待ち望んでいたのがゴーギャン(1848~1903)の‘エイアハ・オヒバ(働くことなかれ)’、この絵はゴーギャンのどの画集にも載っているから、いつかこの目でと願っていたが幸運なことに日本で会えることになった。ミューズに感謝。タバコをもっているモデルはじつは男。でもどうみても女の雰囲気。だから、いっそのこと女としてながめることにしている。パリだってタヒチだって気品のある女性はいる。右手にタバコをもって座るこのポーズがゴーギャンの心をそしてわれわれの心をザワザワさせるのはこのモデルのもつ女性的な美が際立っていたということだろう。大変魅了された。

ゴッホ(1853~1890)の男性の肖像画は画集でみたときから惹かれていたが、本物はその通りだった。背景の緑には渦巻き模様のようなものが描かれているが、これがちっともビジーでなく青い服を引き立てている。そして、はっとさせるのが顎髭の下のピンク、こんな洒落た色使いがほかの絵にあっただろうか?この医師は絵が気に入らず手放したというが、後世の美術ファンはおおいに楽しませてもらっている。

今年わが家はアンリ・ルソーイヤー、1月のアメリカ美術館巡りで運よく追っかけルソー(1844~1910)がいくつも姿を現してくれた。そして、今回‘詩人に霊感を与えるミューズ’との対面が叶った。右のアポリネールに比べてミューズの体が二回りくらい大きいのがおもしろい。そして二人とも手が異様に大きい。ルソーは足を描くのが苦手だったから、その反動で手に思いをこめたのかも。熱帯のジャングルをイメージさせる背景の緑一色の木や葉を仔細にみたが、どこにも猿や鳥などはうごめいていなかった。


プッサン、ブーシェ、アングルが日本でみられる幸せ!

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Img     プッサンの‘アモリびとを打ち破るヨショア’(1624~25年)

Img_0002_2     ブーシェの‘ユピテルとカリスト’(1744年)

Img_0003_3     アングルの‘聖杯の前の聖母’(1841年)

Img_0005     セザンヌの‘パイプをくわえた男’(1893~96年)

フランス絵画300年と銘打った‘プーシキン美展’、今回やってきた66点は現地では本館と別館(2006年開館)にわけて展示されている。印象派とかマチス、ピカソらの作品があるのは別館でそれ以前のものは本館にある。

旅行会社が企画するロシアツアーではよくプーシキン美入館が含まれている。この場合だいたい別館のほう。こちらにはルノワール、ゴーギャン、ゴッホ、モネ、セザンヌら人気の画家の名画がずらっと揃っているのでパリのオルセーと同じくらい大きな満足が得られるにちがいない。

では本館にある作品はどうかというと、BS朝日の‘世界の名画’をみたかぎり一見の価値がありそうな作品がここにもあそこにもという感じ。その中からやって来た絵のなかで思わず足がとまるものがいくつかあった。

展示室に入ってすぐ出迎えてくれるのがプッサン(1594~1665)の‘アモリびとを打ち破るヨショア’。日本でプッサンの絵をみたのは何年か前あった‘ベルリン美展’(西洋美)一回だけ。このときの作品と比べてみると‘ヨショア’のほうに軍配があがる。ヨショアの勢いにおされて不安な表情をみせながら戦かう右の男をみていると、ルーヴルにある‘サビニの女たちの略奪’の緊迫した場面が頭をよぎる。この絵は08年METで遭遇した‘プッサン展’(拙ブログ08/5/9)に出展されなかった。こんないいプッサンが日本でみれるなんて夢みたいな話。

ブーシェ(1703~1770)の絵も魅力いっぱい。ぱっとみるとロココの甘い香りのする女性画。こういうほわっとした絵はただうっとりみていればいいのだが、右端の暗闇のなかにいる鷲がちょっと気になる。どうして場違いな鷲がいるの?これはユピテルを暗示している。そう、ユピテルお父さんの女狂いがまたはじまったのである。今回のターゲットはディアナのお付きのカリスト。得意の変身術を使って女神ディアナになりすまし、‘カリストちゃん、楽しいかい、最近きれいになったね’なんて優しい言葉をかけている。ディアナに変身するとはやはりユピテルは抜かりがない。

アングル(1780~1867)の‘聖杯の前の聖母’は画集によく載っている有名な絵だから、画面の隅から隅までじっくりみた。みればみるほどアングルの画技の高さに感心させられる。視線が集中するのが聖母のつるっとした卵形の顔とやわらかくて美しい手。そして、強く印象付けられるのが聖母の存在感の出し方。手前に金属の感じがよくでている聖杯をならべ、二人の聖人を一歩後ろにさげ暗い背景のなかに配置する構成。これにより聖母が前後で挟まれる形になり、明るい光に照らされたその姿はいっそう神々しく輝いてみえる。

セザンヌ(1839~1906)は2点、3年前ロンドンのコートールド美で遭遇した‘パイプをくわえた男’(10/12/22)が展示されているのだからたまらない。セザンヌの農夫を描いた作品はどれもぐっとくる。

想定外のサプライズ作品はドニとマティス!

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Img_0001     ドニの‘緑の浜辺、ペロス=ギレック’(1909年)

Img_0002     マティスの‘カラー、アイリス、ミモザ’(1913年)

Img_0004     ドンゲンの‘黒い手袋をした婦人’(1907年)

Img_0005     ピカソの‘マジョルカ島の女’(1905年)

展覧会をみるとき満足度を左右するひとつのポイントが作品の数。その数は多ければいいというものでもない、優品が少なくてアベレージクラスの絵が大半をしめるようなものでは退屈なだけ。この‘プーシキン美展’は66点、海外の美術館が所蔵するコレクションならこれくらいがちょうどいい。

今回最後の部屋に想定外の絵が飾ってあった。それはゴーギャンとドニ(1870~1943)とマティス(1869~1950)、いずれもチラシにも載ってなく、いきなり目の前に現れたので相当興奮した。ゴーギャンは‘エイアハ・オヒバ(働くなかれ)’の隣に2005年にもあったプーシキン美展で展示された‘彼女の名はヴァイルマティといった’があった。ええー、またこの絵がやって来たの!あまり驚かさないでよ、という感じ。ゴーギャンは‘エイアハ・オヒバ’だけと思っていたから、一気にテンションがあがった。

色彩のまぶしさに目がくらくらするドニの‘緑の浜辺、ペロス=ギレック’をいい気持でみていた。前回のプーシキン美展でも‘ポリュフェモス’というとても惹かれるドニの神話画がでていた。1906年にドニと知り合いになったコレクターのモロゾフが購入したお気に入りの作品には神話画のほかにこんな明るくてユートピア的な雰囲気の漂う絵があったとは、これでドニにまた一歩近づいた。

7/3にBS朝日の‘世界の名画’をみたとき、目が釘づけになる作品があった。TVカメラが映し出す別館の展示室にマティスの部屋がでてきた。すぐ気がついたのは日本にもやってきた‘金魚’、そのほかにも画集でみたことのないいい絵が数点ある。エルミタージュでマティスを目いっぱい楽しませてもらったから、マティスの傑作はエルミタージュに結集しているものと思い込んでいた。ところが、プーシキンにもマティがこんなにある。いっぺんに現地でみたくなった。でも、それはだいぶ先のこと。

マティスへのそんな思いがあったばかりなのにその一枚‘カラー、アイリス、ミモザ’がなんと天から降ってきた!画面の多くを占める鮮やかな緑にぐっと吸いこまれた。Myカラーが緑だからこういう絵に会うと体全身で反応する。そうならそうと早く言ってよね、期待値がもっとあがっていたのに。こういうサプライズがあるから展覧会通いはやめられない。

フォーヴィスムの画家ドンゲン(1877~1968)は昨年の‘エルミタージュ美展’(国立新美)でもお目にかかったが、ここでも1点あった。‘黒い手袋をした婦人’は目を見張らされるほどの出来栄えではないが、回顧展に遭遇することをひそかに願っているドンゲンファンとしては新たな作品の出現はわけもなく嬉しい。

ピカソ(1881~1973)は3点ある。お気に入りは小品の‘マジョルカ島の女’、この女は同じ年に描かれた‘サルタンバンクの一家’(ワシントンナショナル・ギャラリー)にもほぼ同じポーズで登場する。この大作を1月現地でみたので、マジョルカ女をみながら中央に描かれたアルルカンや太った道化の姿を思い出していた。

もっとみたいプーシキンのゴーギャン!

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Img     プーシキン美別館のゴーギャンが展示されている部屋

Img_0001     ‘マンゴーとタヒチの女’(1896年)

Img_0002     ‘ルぺ・ルぺ(果物の収穫’(1899年)

Img_0004     ‘ジヌー夫人’(1888年)

プーシキン美でゴーギャン(1848~1903)の絵が2点展示してあったのには大変驚いた。7/3の‘世界の名画’(BS朝日)をみると別館のゴーギャンが展示してある部屋は3つくらいあった。作品は10数点あるという。一番上の画像の右が今横浜美で鑑賞できる‘彼女の名はヴァイルマティといった’、そして‘エイアハ・オヒバ(働くなかれ’はこの絵の手前に並んで飾られている。だから、2点は現地の展示がそのまま再現されていることになる。これは大ヒット。

‘ヴァイルマティ’の次の部屋に目をやると左奥に見覚えのある絵がある。これは3年前テートモダンであった‘ゴーギャン展’(拙ブログ10/12/13)でお目にかかりうすピンクの地に強い衝撃を受けた‘嫉妬しているの?’ これまでゴーギャンショックが何回かあったが、色の輝きで体が震えたのは‘ヴァイルマティ’とこの‘嫉妬しているの?’、そしてMETにある‘昼寝’。

‘世界の名画’のおかげででプーシキンにあるゴーギャン作品の情報がぐーんとふえた。過去この美術館にあるゴーギャンで対面したのは色に魅せられた2点プラス‘逃亡’など3点の5点。コレクションの総数からいうと半分ほどである。

画集などに載っているゴーギャンの作品で追っかけ画の上位にあげていたのはゴッホと一緒にアルルで生活していたときに描いた‘ジヌー夫人’と‘エイアハ・オヒバ’だった。‘エイアハ・オヒバ’はミューズのお力添いで日本でみることができた。あまり、ミューズにおすがりするのもよくないので、ジヌー夫人とは現地で対面しようと思う。

そのときはかつてないほどの興奮が待ち受けているかもしれない。そう思わせるのは‘ジヌー夫人’のほかに新情報の‘マンゴーとタヒチの女’と‘ルぺ・ルぺ(果物の収穫)’が目に焼きついたから。2点とも絵の存在は知っていたが、図版の色が違っていたり、画像そのものが小さかったため、見たい度に火をつける絵ではなかった。

でも、今はこの2つの大きな絵に相当入れ込んでいる。とくに鮮やかな緑の草の上に横になりポーズをとるタヒチ女が気になってしょうがない。モデルをつとめるのは13歳の少女だが、とてもそうはみえず女性美全開の完璧に成熟した女性の姿。いつか絵の前に立ちたい。

心をとらえて離さないプーシキンの傑作コレクション!

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Img_0002     セザンヌの‘マルディ・グラ(謝肉祭の最終日)’(1888年)

Img     モネの‘ベル・イル島の岩’(1886年)

Img_0003     ゴッホの‘赤い葡萄畑’(1888年)

Img_0001     アンリ・ルソーの‘馬を襲うジャガー’(1910年)

西洋画でも日本画でもお気に入りの作品を味わいつくしたいという思いはいつも心のなかにある。だから、その作品がどこの美術館に所蔵されているかはだいたい記憶されている。運良く願いが叶ったものは済みマークをつけ、それの追っかけに注がれたエネルギーは次のターゲットにむかって充電される。

モスクワにあるプーシキン美を訪問する計画が具体的に決まっているわけではないが、‘世界の名画’(BS朝日)を楽しんだことで印象派やマティス、アンリ・ルソーがある別館(2006年に開館)へのあこがれが大きくふくらんできた。

必見作品リストはすでにできている。こういうものは美術館へ出かける直前につくってもいいのに、気だけは前のめりになっているから画集や美術書を網羅してリストアップに励む。その追っかけ画の筆頭にあげているのがセザンヌの(1839~1906)の‘マルディ・グラ’。

セザンヌについては今年大きなイベントがあった。といってもMyイベントのことで、回顧展の開催ではない。1月フィラデルフィア美で‘サント=ヴィクトワール山’に会い長年の夢が漸く叶ったのである。もう一枚‘大水浴’もみる予定だったが、残念なことに展示されてなかった。世の中そう思い通りにはいかない、ミューズがまたフィラデルフィアへ誘っているのだと解釈した。

そんなわけでセザンヌの追っかけ画がひとつ減った。で、次なる狙いはセザンヌが16歳の息子をアルルカンに、息子の友達をピエロにして描いたこの‘マルディ・グラ’とチューリッヒにある‘赤いチョッキの少年’、この2点と‘大水浴’はなんとしてもみたい。

今横浜美に展示されているモネ(1840~1926)の絵はぐっとこない。現地にある作品でリストアップしているのは‘世界の名画’でもとりあげられた‘ベル・イル島の岩’、同じモチーフの絵(オルセー)と昨年ブリジストンでお目にかかったが、まだプーシキンとチューリヒにあるものは縁がない。鑑賞欲をとても刺激される絵。そして、もう一点対面を心待ちにしているのが‘キャピュシーヌ大通り’。

手元にあるゴッホ(1853~1890)の油彩画全集(TASCHEN)にプーシキンにある作品が5点載っている。その一枚がゴッホの生涯で唯一売れた絵‘赤い葡萄畑’。値段は今の価値にして40万円ほど。本物を一度みてみたい。

今年はアンリ・ルソー(1844~1910)の追っかけ画リストに済マークがいくつもついた。プーシキンにあるのは4点、‘マンスーリ公園の散歩’(1910年)、‘セーヴル橋の眺め’(1908年)、‘ジャガーに襲われる馬’(1910年)、そして今回の‘プーシキン美展’にやって来た‘詩人に霊感を与えるミューズ’(1909年)。熱帯の密林シリーズの追っかけは長い旅。‘ジャガーに襲われる馬’もいつかこの目でという思いは強い。

黒田8勝目 ジャイアンツの田中賢介2安打!

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Img_0001     ジャイアンツのレフトで先発出場の田中賢介

ヤンキースの黒田がツインズとの試合で5回を0点に抑え8勝目をあげた。この試合雨のため長い中断があったが、黒田は毎回ランナーを出すものの丁寧になげ無失点で5回を投げ切った。5回裏カノーのヒットなどであげた2点をリベラが守りきり、ようやく勝ち投手になった。前回登板した試合での好投と今日の試合の結果防御率は2.65となりアリーグのトップに立った。

この成績ならオールスターに選ばれてもよかったが、残念ながら投げる試合のめぐりあわせが悪かった。ダルビッシュ、岩隈が選ばれた今年のオールスターは楽しみだったが、今はそれが急速にしぼんでしまった。ダルビッシュはまさかの故障者リスト入りで投球ができなくなり、また、岩隈もオールスターの前に先発するため球宴での登板はなし。

ダルビッシュの場合、検査の結果はとくに問題はなかったので球宴あけの登板からはもとのリズムで投げれるような気がする。心配なのが岩隈、前回のゲームはボロボロだった。疲れのためか球にキレがなくレッドソックス主力打者に軽くホームランや長打を食らった。この試合を含めてここ4試合で打たれたホームランは9本。そのため防御率は2.97まで落ちた。今は好調時の面影はない。各チームのバッターも岩隈はいい投手というイメージがあるので、攻略法をいろいろ考える。岩隈にとって今が正念場かもしれない。

ダルビッシュと岩隈がバッドニュースなら、ジャイアンツの田中賢介が3Aから昇格したのはグッドニュース!日ハムでは2塁手だったが、ジャイアンツではセフトで起用された。きょうのパドレスとの試合で5試合連続で先発出場し毎試合ヒット、今日も2本打った。2本目は足を生かした3塁へのセイフティバントを成功させた。足が速く盗塁の技術をもっているので、これからバッティング走塁でいい働きをしてくれそう。

昨年ワールドシリーズを制したジャイアンツは故障選手が続出し、現在勝率は5割を切り西地区の4位にあまんじている。でも、首位Dバックスとはまだ6.5ゲーム差だから、後半巻き返しの可能性は十分ある。田中賢介の活躍に注目したい。

夏の風物詩 ‘流しそうめん’!

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今日のNHK7時のニュース、エンディングは新潟県村上で行われた‘流しそうめん’だった。名水100選に認定されている冷たい湧き水と一緒に流れてくるそうめんを親子で夢中にすくっていた。半円にした青竹の長さは200m、孫悟空のように空をひゅーっと飛んでいきこの美味しそうなそうめんを食べてみたかった。

TVではよく目にする流しそうめんをまだ体験したことがない。この風情のある光景をみるたびに上のほうから流れてくる細いそうめんを一度でいいから箸ですくって食べてみたいという思いが募る。でも、こういうイベントにはずっと縁がない。今全国でこれを年中行事としてやっているところはどのくらいあるのだろうか?

この流しそうめん、いつごろ始まったのか知らない、明治以降になってから、それとも江戸の頃からあった?夏の暑い時期に、野外にわざわざ冷たい井戸水や湧き水を流す長い水路を竹でつくり、上のほうからゆであげたそうめんをどんどん流していく。人々はその長い竹の水路の両サイドに陣取り、ゆらゆらと流れてくるそうめんをじっとみつめ思い思いに箸ですくって喉にほおりこむ。

この流しそうめんを楽しむ日本人の心はじつに豊か。以前仕事で付き合いのあったアメリカ人とお酒を飲んだ時は日本人のこの流しそうめんと花見の習慣を自慢の種にしていた。

‘日本人は庶民だってやることは風流なんだ、昔京都の貴族たちは川や庭の池に舟を浮かべて酒を飲んだり美味しいもの食べて優雅なひと時を過ごした。今はそれと同じことを普通の人たちが流しそうめんで楽しんでいる。家の外でのバーベキューを楽しむアメリカ人の目からすると食べるのがそうめんだけかい、と物足りないかもしれないが、われわれ日本人はコストはたいしてかけずこのそうめんを食べて涼しさを感じ暑い夏をのりきっている。自然と一体になって食を楽しむ日本人の食文化は奥が深いでしょう’

6年前に‘好きなそうめん ベスト10’(拙ブログ07/8/15)を書いたときは島原そうめんを食べていた。今はそれにこだわらず三日に一度くらいそうめんを食べている。トッピングの具は前と同じで卵焼き、きゅーり、隠元、しそ、焼ハム。わが家では夏はそうめん一本、これで暑いときの生活のリズムをつくっている。

大リーグ 前半戦のレビュー!

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大リーグは今日が前半戦最後のゲーム、イチローは1番ライトで先発し3本ヒットを打ちいい形で前半の戦いを終えた。打率.284はまあまあの数字か、とはいえ天才バッターイチローには3割を打って当たり前というイメージがあるのでこの数字は淋しい。イチローはやはり3割を打たないと応援にも熱が入らない。

前半のイチローのバッティングをみてつくづく思ったことがある。アウトコース低く目のとんでもないボール球に手をだし、凡ゴロになる。以前だったらこれがセンター前とかレスト前のヒットになった。でも、今は足腰の筋力の衰えでこの打ち方でヒットにできる可能性は少ない。

かつての高い打撃の技術がイチローを苦しめている。よく人は得意なことで失敗するといわれる。まわりはイチローの打ち方の変化に気がついている。しかし、ヤンキースの打撃コーチはそんなことは口にしない。たとえ、心のなかでは‘あんな難しい球に手を出さないで、四球を選び出塁してくれるほうがいいのに’と思ったとしても。

こういうイチローを監督をはじめとする首脳陣はどうみているか、ヒットを打ってるかぎりはイチローを1番か2番で使う。でも、ヒットがでなくなると、ロングが打てず四球を選ばないバッターという評価がなされ、上位打線から6番、7番に下げられる。そうなると、イチローはプライドが高いから下位打線では力が発揮できず、モチベーションがあがらないままシーズンを終えることになる。

今、ヤンキースがイチローを1,2番で使っているのはホームランや長打が打てるバッターはいなくなったから。ヤンキースの野球は基本的にはスモールベースボールは頭になく、上位のバッターが長打を絡めてガンガン点をとる野球。このスタイルが役者の不足でできないため仕方なく出塁率の低いイチローを上位で使っているのである。こういうヤンキースで試合をするのだから、イチローも頭を切り替え今日みたいに狙い球をしぼってホームランを狙えばいい。とにかく上位で先発するためには長打を増やすことと四球を選び出塁率をあげること。

今年ヤンキースはポストシーズンに進出するのは無理だろう。そして、ダルビッシュのいるレンジャーズも地区優勝をアスレチックスにもっていかれるような気がする。23日にヤンキース戦に登板するダルビッシュは最終的に15勝くらいに終わるかもしれない。昨年はレンジャーズはずっと首位を走っていたからダルビッシュは後半調子をあがることができた。ところが、今年はチームの状態がよくないから、登板するときは相当なプレッシャーのなかで投げることになる。これは厳しい戦いだから、勝ち星は4、5月のようにポンポンとはつかない。

今日の試合で8勝目をあげた岩隈の場合、15勝は難しくなってきた。11勝くらいだろう。後半は対戦試合数の多い同地区のレンジャースズ、アスレチックス、エンゼルスがポストシーズンへの進出をめざして戦力をあげてくるから、ここで勝ち星をあげるのは大変。

後半戦で大いに注目しているのは上原、田沢のいるレッドソックスと田中賢介がレギュラーで先発するジャイアンツ、2チームの試合をみることが多くなりそう。


いつかみてみたい‘ベアトゥス黙示録写本挿絵’!

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Img_0004_2     ‘ベアトゥス黙示録注解’(ファクンドゥス写本 マドリード 国立図書館)

Img_3         ‘ベアトゥス黙示録注解’(ファクンドゥス写本)

Img_0003_2     ‘ベアトゥス黙示録注解’(ファクンドゥス写本)

アルタミラの洞窟壁画のある場所をスペインの地図で確認していたとき、前から気になっていた絵に関連した情報が入ってきた。それは手元の美術本に載っているとても興味をひく写本挿絵が描かれた場所。今日はその話を少しばかり。

中世のスペイン、アストゥーリアス王国にリエバナという小さな村があった。8世紀後半、ここの修道院の院長ベアトゥスが‘ヨハネ黙示録’についての注釈書を書いた。内容がよかったので10世紀から13世紀にかけて多くの写本がつくられた。そして、挿絵画家の手によって写本の挿絵も一緒に描かれた。これが世にいう‘ベアトゥス本’。

この写本は主なものだけでも23ある。多くは北スペインでつくられたが、ピレネー山脈を越えたフランスのサン・スヴェールの教会でも一冊つくられた。この写本に描かれた一場面がモワサックにあるサン・ピエール教会の入り口の半円形に彫られた彫刻群のもとになっている。

目を楽しませてくれるのが写本に描かれたヨハネ黙示録の場面。この黙示録が絵画化されたものは2つ知っている。ひとつは実際にはみたことはないが、フランスのロワール川沿いに建つ古城‘アンジェ城’に飾られている巨大なタペスリー、もうひとつは3年前ブリュージュのメムリンク美でお目にかかった‘聖ヨハネ祭壇画’。

‘ベアトゥス本’にはいろいろな黙示録のヴァージョンがでてくるが、マドリードの国立図書館が所蔵する‘ファクンドゥス写本’(岩波書店から出版)は平面的な描き方だが、色が鮮やかで画面に動きがあるので思わず見入ってしまう。とくにおもしろいのが天使と竜が戦う場面。竜には7つの頭と10個の角がある。この異様な姿をした竜は一度見たら忘れられない。

また、最後の竜と黒い獣が登場する絵柄もインパクトがある。竜も獣も同じ数の頭と角があり、その前で人々は手をあげあるいは無力感を漂わせた姿で列をなしている。そして、地に使われている赤と青と黄色の色面がその光景を引き立ている。べたっとした色使いだが、色の力は相当強い。マドリードをまた訪問することがあったら、是非みてみたい。

大リーグ球宴 注目のブレイク選手!

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Img_0001     オールスターゲームが行われたNY シティーフィールド球場

Img                デービス vs ハービー

今年の大リーグのオールスターゲームは選出されたダルビッシュと岩隈の登板がないので、楽しみがだいぶ削がれていることは否めない。でも、オールスターは特別な試合だし打撃や投手成績の上位にでてくる選手たちのプレーを一度にみられる貴重な機会。注目の選手を目に焼きつけながら1回からゲームセットまでずっとみていた。

勝負は3-0でアリーグが4年ぶりに勝利した。先発で投げたのはナリーグが地元メッツの期待の星ハービー、そしてアリーグは13勝1敗と前半勝ち続けたタイガースのシャーザー。ハービーは一度そのピッチングをみたことがあるが、力強い投手。現在ナリーグの奪三振王で160㎞近くのストレートときれのいいスライダーがびしびしときめる。2イニング投げ、強打のカブレラ(タイガース)や37本のホームランを放っているデービス(オリオールズ)をうまく打ちとった。

日頃見る機会の少ないナリーグの投手でもうひとり関心を寄せていたのが防御率が1点台のカーショー(ドジャース)。この投手ははじめてみた。左腕で二段モーションみたいな特徴のある投げ方をする。ドジャーズは7月勝ちが多くなり最下位から2位にまであがってきた。後半戦カーショーが好調を維持できれば地区優勝も夢でない。

目をTVに釘づけにさせたのはレッズの長身チャップマン(キューバから亡命)、169㎞の速球を投げるが今日は163㎞だった。160㎞のスピードボールコンスタントに投げられたら、バッターはお手上げ。どんなに速いか球場で見てみたい。

アリーグの投手で注目していたのはレイズの左腕ムーア、すでに13勝あげている。レイズの試合は比較的みることが多いのにこの投手が登板する試合は縁がなかった。投手としては小柄だが、コントロールがいい。実況のアナウンサーによると5歳から10歳まで沖縄に住んでいたらしい。現在、レイズは東地区2位で首位のレッドソックスを激しく追い上げているから、ムーアの投げる試合は見逃さないようにしたい。

打者で今最も関心が高いのが前半すごいペースでホームランを打ったデービス(一塁手)、アリーグが最初に1点をとったときカブレラの2塁打のあと一塁の頭を超えるヒットで続き、得点に貢献した。後半のこの選手の活躍に目が離せない。

ワシントン・ナショナルズにハーパーというすごいバッターがいるという話は聞いたことはあるが、実際にそのバッティングはみたことがなかった。左打ちで構えはどっしりしており貫録十分。年は20歳、ええー、20歳なの!本当?という感じ。ナリーグにも才能あふれる投手や打者が次々でている。大リーグは世代交代がドンドン進んでいることがよくわかった。

エルミタージュ美のゴーギャン!

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Img_0001     ‘果実を持つ女’(1893年)

Img_0002     ‘タヒチの牧歌’(1893年)

Img_0004     ‘幼児(降誕)’(1896年)

Img_0005     ‘丸太舟’(1896年)

2005年、東京都美で開催された‘プーシキン美’ではプッサンやアングルなどはやって来なかったが、ルノワールやモネ、ゴッホ、ゴーギャンに加え、マティスの‘金魚’、ピカソなど目を奪われる傑作がずらっと揃った。そして今、再びシチューキン、モロゾフのコレクションが横浜美で美術ファンを楽しませてくれている。

7/3に放送された‘世界の名画’(BS朝日)の最後でプーシキン美の女性館長がちょっと気になることをいっていた。‘今、エルミタージュ美に対しシチューキンコレクションをプーシキンに返還するよう求めている’。東京都美であったプーシキン美展の図録をみると、シチューキンが蒐集した印象派やポスト印象派、マティス、ピカソなどの作品は全部で262点。

シチューキンはこれらをモスクワ市に寄贈することを決めていた。だから、1917年に起きたロシア革命によって国家に没収され今はエルミタージュに収まっているシチューキンのコレクションをプーシキンに返してちょうだいというわけである。なるほど、筋の通った話。

でも、これは難問。エルミタージュにあるゴーギャンやマティスの名画がサンクトペテルブルクからモスクワに移籍するなんてことは現実にはありえない。エルミタージュには体が自然とほてってくるようなすばらしい絵画が沢山展示されているが数、質ともに世界最高クラスのラインナップを誇るのはレンブラント、ゴーギャン、そしてマティス。

シチューキンとモロゾフの2人が蒐集したゴーギャンは夫々16点と11点、この27点は1948年エルミタージュとプーシキンに恣意的に分けられた。現在プーシキンにあるゴーギャンは10数点ということだから、ほぼ2等分されているのかもしれない。手元にある美術本や現地で購入した図録に載っているエルミタージュ所蔵のゴーギャンは11点。

これだけの数のゴーギャンと1999年対面した。でも、記憶にはっきり残っているのは大好きな‘果実を持つ女’、‘タヒチの牧歌’、‘幼児’の3点だけ。これは館内のあちこちであまりに多くの名画と接したため、脳が相当興奮し印象深いゴーギャンしか記憶できなかったからだろう。

二度目のエルミタージュがあるかわからないが、レンブラント、ゴーギャン、マティスのすごいコレクションを思い出すたびに旅心が刺激される。

忘れられないエルミタージュのマティス!

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Img_0004_2     ‘ダンス’(1910年)

Img_0003_2     ‘音楽’(1910年)

Img_2     ‘家族の肖像’(1911年)

Img_0001_2     ‘会話’(1909年)

美術の鑑賞を重ねにつれ自分の感性と波長の合う画家が現れてくる。でも、その画家に対する思いが熱いからといって簡単に最接近できるというものでもない。何事も運が味方してくれないと夢が夢のままで終わる。

マティス(1869~1954)との相性度は70%くらい。カラヴァッジョとは100%の相性度なのに、遭遇するマティスの作品の30%は退屈する。マティスに対する率直な思いはこうなのだが、色彩の力に200%OKされた作品は両手をこえるからマティスの魅力が心のなかに強く刻まれていることも事実。で、未見の絵のなかには追っかけ画リストに入っているものも多い。

ではマティスとの巡り合わせはどうかというと、これは時が大いに味方してくれている。最初の幸運は1990年ワシントンのナショナルギャラリーで開催されていた‘マティス展’、この時プーシキン美にあるモロゾフコレクションの一枚‘モロッコ三部作’や‘緑衣のモロッコ人’(エルミタージュ美)などをみることができた。

2回目のマティスイベントは1994年の‘バーンズコレクション展’(西洋美)、傑作の‘生きる喜び’など16点が展示されていた。多くの美術ファンがこのビックな展覧会を楽しまれたにちがいない。

そして、三度目のマティス体験はサンクトペテルブルクにあるエルミタージュの訪問。今から14年前のことだが、シチューキンが蒐集したマティスの傑作の数々と出会った。これは一生の思い出。シチューキンがマティスと初めて会ったのは1904年、まだ売れてなかったマティスにたちまち惚れ込みパトロンとなった。購入した作品は全部で43点、モロゾフもマティスを11点蒐集しているが数ではシチューキンのほうが圧倒的に多い。二人の目利きコレクターによってロシアにもたらされたマティス作品は現在、エルミタージュとプーシキンに分けられて展示されている。

昨年そのシチューキンコレクションの一枚‘赤い部屋’(拙ブログ12/5/11)がやって来て話題になった。マティス同様沢山あるゴーギャンの絵は覚えているものが少ないのに、色彩の魔術師マティスについては8点くらいが目に焼きついている。とにかく赤や青、緑などの色彩パワーが強烈だった。

最も長くみていたのが対になって飾られている‘ダンス’と‘音楽’、大変大きな絵で青と緑の地の色面に赤で彩られた裸婦の人物が浮かび上がっている。これをみたら誰だってマティスがすごい画家であることがわかる。‘赤い部屋’の隣にあったのが‘家族の肖像’、子供が紙で人物や暖炉を切る抜いてペタッと貼ったようなきわめて平面的な作品だが、空間に広がりがありくつろいだ気分になる。

‘会話’も大作でインパクトの強い作品。強く印象に残っているのは横向きのマティス自身と夫人を引き立てている背景の青。マティスの絵は赤などの暖色系の色が心にズシンとくることが多いが、こういう青のパワーが強調されたものは切り紙絵‘ジャズ’以外はあまりみたことがない。

焼却されたピカソ、モネらの名作!

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Img     焼却されたピカソ、モネらの7作品

2日前TVからショッキングなニュースが流れてきた。昨年10月オランダのロッテルダムの美術館で盗まれたピカソ、モネらの絵7点が焼却されたという。130億円をこえる価値を持つ作品がこの世から永遠に消えてしまった。

このいたたまれないことをしてくれたのは美術館から絵を盗んだルーマニア人の母親、息子は1月に逮捕されたが、母親は墓地などに埋めていた作品をまた掘り出し、2月自宅のかまで焼き、証拠隠滅を図った。なんてことをしてくれるんだ!大声で怒鳴ってやりたい気分である。

7点を所蔵していたのはオランダのトリトン財団、コレクションの全貌はわからないが財団の存在は3年前行われた‘ゴッホ展’(国立新美)でインプットされた。このときゴッホのいい花の絵やモネ、シスレーの風景画3点が展示してあった。

盗難にあった7点のうち画集などで知っているのは画像の上の右からふたつ目の絵だけ。これはゴーギャンとポン=タヴェンで親しかったデ・ハーンが描いた‘日本的背景の自画像’(1889年)、この絵の下にあるゴーギャンの‘窓辺の少女’(1898年)は画集でお目にかかったことがない。

左端のモネの2点‘チャリング・クロス駅’(上)と‘ウォータールー橋’(下)はモネ展でお馴染みのロンドンの連作シリーズの一枚。この2点を回顧展でみることはなかったが、その可能性がまったく消滅した。モネの大ファンなのでこういうのは辛い。

ピカソの‘アルルカンの頭部’(下の真ん中)は興味を惹く絵。これまで縁のあったアルルカンとは異なり、キュビスム全開のぎょっとさせるアルルカン、一度みたかった。焼くことはないよね!こんなおもしろい絵を。

過去名画が盗難にあったり、展示中に傷つけられたりすることはよく耳にするが、今回のように名画が盗まれたうえ焼かれたなんてことがあっただろうか?こんなことは二度と起きて欲しくない。

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