マセイスの‘両替商とその妻’(1514年 パリ ルーヴル美)
タイトルの‘徴表情’というのは聞きなれない言葉かもしれない。これは‘お気に入り本’に載せているコロンビア大ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授の本‘選択の科学’(2010年 文芸春秋)にでてくる。
アメリカで‘人間ウソ発見器’の異名をとるポール・エクマンという心理学者は目の前にいる人物がウソをついているかどうかを95%の的中率であてるという。エクマンが手掛かりにしているのがこの‘徴表情’。ウソをつく人はわずか数ミリ秒(1ミリ秒は1秒の1000分の1)しか持続しない‘徴表情’でボロを出すことがわかった。
普通の人はこれに気がつかない。ところが、エクマンにはこれが読みとれる。‘徴表情’を見抜く訓練を重ねほかの人にはない能力を身につけていった。例えば、真実をいっている人とウソをついている人の映像をスローモーションでつぶさに観察したという。
じゃあ、こういう訓練をすると誰でも人がウソついているか見破れるかというとそう簡単ではない。エクマンは顔を生涯の研究テーマとしており、人間の顔だけでなく動物の顔もずっと見つづけている。その一例が猿、猿の瞬間瞬間の表情を観察して、猿がつづいて見せた行動と関連づけた。例えば、この表情をしたときは盗む、あの表情のときは攻撃する、またあの表情をみせるときは親愛の情を示す、といったようにさまざまな表情が行動の前触れだということをつきとめた。
こういう長年の観察に積み重ねにより、エクマンは‘徴表情’の瞬間がみえるようになった。なんともスゴイ話!では絵画の世界にも‘徴描写’(My造語)のスゴ技を使って絵を描いた画家がいるか、そこは長い歴史をもつ絵画、卓越した写実の技で見る者をあっと驚かせる異能の人はしっかり存在する。
ルーヴル美にマセイス(1465~1530)が描いた‘両替商とその妻’という風俗画がある。目が点になるのがカウンターの前に置かれた凸面鏡。下の拡大図でもわかるとおり、凸面鏡にはこちら側が映っている。老人が手を窓にかけ、向こうには教会がみえる。
よくまあ、こんなに細かく描けることと感心する。こういう神業的な技術が目を惹く作品は訓練に訓練を重ねた一握りの人間の手からしか生まれてこない。そしてミューズからは親方の称号が授けられることになる。