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Channel: いづつやの文化記号
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村内美の有名なクールベの絵がみれなくなった!

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Img_0003     クールベの‘フラジェの樫の木’(1864年 クールベ美)

Img_0004     ‘オルナン近郊の針金工場’(1861年 デンマーク国立オードロップゴー美)

Img_0005     ‘ボート遊び’(1865年 村内美)

6月のはじめころ美術館のHPをサーフィンしていたとき、八王子にある村内美が目に入った。ここはまだ訪問したことがなく、以前からいつか出かけようと思っていた美術館。ところが、何か変化があったようで、自慢のミレーなどのコレクションを常設展示するのは6/25までと案内されていた。

そのあとは休館し、7/11からは本業の家具の展示をメインとした展示空間に変わるという。今はもう新しい展示がスタートしているが、絵画作品の展示はしないのだろうか?HPにはもうひとつ大きな出来事が書かれていた。

なんと、クールベ(1819~1877)の‘フラジェの樫の木’がクールベ生誕の地、オルナンにあるクールベ美の所蔵になったという。これを5年前、パリで開催された‘クールベ展’(グランパレ)でみたときは腰が抜けるくらい感動した。しかもこの絵を所蔵しているのは日本の村内美。この話はまったく知らなかったのでちょっと興奮した。力強く地に根を張った樫の木を見事に描いたこの傑作を村内美が手放したということは財政が相当ひっ迫しているのだろう。ネットでは4億円で売却したという話が飛び交っている。

となると、まだお目にかかってない‘ボート遊び’も怪しくなってきた。ほかにもミレーの絵をはじめ、キスリングなども処分する可能性は十分にある。最悪の事態はコレクションが消滅すること。クールベ展の図録の裏表紙に使われた樫の木の絵を売ったのだから、そこまでいくかもしれない。

樫の木の絵が里帰りしたオルナンの風景をクールベは何点も描いている。その一枚‘オルナン近郊のルー川沿いの針金工場’は10何年前開かれた‘オードロップゴー美展’でみた。クールベの大回顧展を体験し、この画家の画技の高さに200%KOされたので、オルナンを訪れるのもひとつのオプション。はたして実現するだろうか?


エンジョイ 海百景! シニャック、ホッパー、モネ

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Img_0002_2     シニャックの‘微風 コンカルノー’(1891年)

Img_0004_2     ホッパーの‘大波’(1939年 ワシントン コーコランギャラリー)

Img_0007_2     レイセルベルヘの‘舵を取る男’(1892年 パリ オルセー美)

Img_0003_2     モネの‘ブールヴィルの断崖ノ小道’(1882年 シカゴ美)

近くの少学校はあさってから夏休みという。小さい頃夏はよくプールや海で泳いだ。水泳好きはそのころからずっと変わらず、今も週末はクルマで5分のところにあるスイミングクラブで泳いでいる。泳ぐ場所はいろいろ変わったが、プールでのクロール泳法はもう30年も続いている。

水泳が生活の一部になっているものの、海水浴は長いことしていない。だから、湘南海岸の混み具合は想像するだけ。5年くらい前までは春や秋に熱海のMOA美へ行くため頻繁にクルマを走らせた湘南道路、すいすい走っていたが、今は海水浴シーズン真っ最中だからなかなか前へ進まないだろう。

海好きなので本当は夏の海を見に伊豆半島へ行きたのだが、一度体験した交通渋滞が思い出されどうしても尻込みしてしまう。で、夏の海をイメージさせる絵をみて楽しんでいる。シニャック(1863~1935)の点描画‘微風 コンカルノー’に大変魅了されている。シニャックの絵はモネほど多くは体験してないが、20年くらい前みたこの絵が今のところベスト1、リズミカルに進む帆船が青い海にいっぱい。軽やかな気分になる。

同じ点描法で描かれたレイセルベルヘ(1862~1926)の‘舵を取る男’もすばらしい海洋画。3年前あった‘オルセー美展’に出品されたから記憶に新しいところ。この絵もシニャックの絵と同様西洋美で開かれた‘ジャポニスム展’で遭遇した。こうした画面構成をみると、西洋画の画家たちが浮世絵の大胆な構図や色使いに大きな影響を受けたことがよくわかる。

ホッパー(1882~1917)の‘大波’は08年シカゴ美であった大回顧展で200%KOされた作品。この絵は夏にみると心が爽快になる。今年1月、ワシントンのコーコランギャラリーで再会のはずだったが、残念なことにどこにも見当たらなかった。惜しいことをした。

海の絵を沢山描いているモネ(1840~1926)、そのなかで明るい色調と光りに満ちた海の光景が目に沁みる‘ブージヴァルの断崖の小道’がとても気に入っている。光を体で感じるときの感覚が絵にそのまま表現されているところがなんといってもすごい。

ダルビッシュ ヤンキース打線を封じ込み9勝目!

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体調の悪さから球宴での登板を回避したレンジャーズのダルビッシュが今日のヤンキースとの試合で6回1/3を無失点に抑え、9勝目をあげた。これで日本人先発トリオは皆9勝で並んだ。

初回いきなり先頭打者に死球をぶっつけたので嫌なムードになったが、次のイチローとヤンキースで最もいいバッターのカノーを打ちとり、無難なスタートをきった。その裏すぐ打線が機能し4番のベルトレイがセンター前にヒットを放ち1点を入れた。

今日のダルビッシュは好調、150㎞台のストレートは低めに決まり、打たれたヒットは2本のみ。6回アウトを一つとったが、ヒットと四球で1,2塁になったところで交代。降板するときの表情は硬く、もっと投げたいという気持ちが顔によくでていた。

5回にぬける球がではじめ狙ったコースへ球がいかなくなったので、ワシントン監督はすぱっと次の投手にチェンジした。前日まで地元で3戦を戦ったオリオールズにスイープを食らったから、監督としてはこの試合はなんとして勝ちたい。この交代は仕方がない。この采配がうまくいき絵にかいたようなダブルプレーで0点におさえた。で、結局3-0でレンジャーズの勝利。

対戦相手のヤンキース、昨日はレッドソックスと延長を戦い、ナポリのホームランで7-8でサヨナラ負け。低迷の原因は打線の弱さにつきる。ロングを打てるバッターがいないので投手は打線に怖さを感じない。カノー以外は簡単に打ち取られている感じ。ジータ―、グランダーソン、ロドリゲス、タシエラといった役者はプレーできないのだから、この結果はいやでも受け入れざるをえない。

イチローは怪我をしないで出場しているが、打力の低下は否めない。3割はもう遠く2割8分がいいところかもしれない。最後の打席で難しい低めをヒットにしたが、無安打のゲームをなくして勝利に貢献する打撃を期待するしかない。

エンジョイ 海百景! ブリューゲル、マネ、ターナー、ホーマー

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Img_0001     ブリューゲルの‘ナポリの眺望’(1563年 ドーリア・パンフィーリ美)

Img_0006     マネの‘キアセージ号とアラバマ号の海戦’(1864年 フィラデルフィア美)

Img     ターナーの‘難破船’(1805年 ロンドン テートブリテン)

Img_0005     ホーマーの‘メキシコ湾流’(1899年 NY メトロポリタン美)

3年前ローマを旅行したとき訪問したドーリア・パンフィーリ美でブリューゲル(1525~1569)の描いた貴重な絵をみた。‘ナポリの眺望’はブリューゲルが20代後半にイタリアを旅行ときの思い出を絵にしたもの。ここで起きた海戦の様子が描かれており、右にはヴェスビオ火山がみえる。強い風によっておきる波しぶきを表現した白の細い線を息をのんでみていた。

マネの海景画を1月フィラデルフィア美で3,4点みた。そのなかでとくに印象深かったのが日本にもやってきた‘キアセージ号とアラバマ号の海戦’と‘イルカのいる海景’。撃沈されたキアセージ号に対して手前の小舟をT字の形をとるように配置した構成によって視線が黒煙のあがる艦隊にすうーっと寄っていく。

大きく揺れ動く海面をみているとこちらの体も自然に揺れてくるのがターナー(1775~1851)の初期の傑作‘難破船’、荒れる海を体験したことは一度もないが、この絵は映画の海難シーンをみているような気になる。海面のうねりをこんなに上手に描けるのだから、ターナーの腕は半端ではない。

海が荒れると船に乗っている人たちは船が転覆しないか気が気でないが、そこに海のギャングサメが現れたらもう生きた心地がしないかもしれない。ホーマー(1836~1910)はそんな恐怖の瞬間を描いている。黒人がひとり乗った小船の周りをサメの集団がとりかこんでいる。マストは折れ、助けを求めたい帆船がいるのははるか遠くの海上、まさに映画‘ジョーズ’(1975年)の世界。

ある婦人が‘黒人青年があまりにも可哀想’と抗議をすると、ホーマーは‘彼は救われるのです。ご心配なく’と答えたという。こうした作品をみると絵画は映画同様自然の脅威を人々の感情に訴えるのに大きな力をもっていることがわかる。

エンジョイ 海百景! ロラン、ターナー、モネ、シーレ

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Img_2  ロランの‘海港、シバの女王の船出’(1684年 ロンドン ナショナルギャラリー)

Img_0001_2     ターナーの‘勇敢なるテレメール号’(1838年 ナショナルギャラリー)

Img_0003_3     モネの‘印象、 日の出’(1873年 パリ マルモッタン美)

Img_0005_2     シーレの‘トリエステの港’(1908年 シュタイアマルク州立博)

横浜美で今開催中の‘プーシキン美展’にプッサンの初期のいい絵がでているが、クロード・ロラン(1604~1682年)の‘アポロとマルシェアスのいる風景’も強く惹かれる一枚。プッサンとロランはルーヴルでは同じ部屋に飾れているから、二人はフランス絵画ではひとくくりにしてインプットされている。

ロランはロンドンのナショナルギャラリーにとても魅せられる絵がある。それはルーム15にターナーの‘カルタゴ帝国の興隆’と一緒に展示されている‘海港、シバの女王の船出’。早朝の光が海面に反射する光景が大変美しく、これから船に乗り込みソロモン王を訪ねていく女王シバの張りつめた心が手にとるように伝わってくる。と同時にみているこちらの旅心も呼び起こされる。

ロランの画風から強い影響を受けたターナー(1775~1851)が描いた‘勇敢なるテレメール号’はじつに堂々とした船の絵。御存じのようにテレメール号は1805年のトラファルガーの海戦で活躍した軍艦、時代が変わり現役を引退するときがやってきた。夕日が赤く輝くなか、黒い引き船に引かれてゆっくり進むテレメール号の姿には哀愁が漂っている。

港の絵で最も心を打つのはやはりモネ(1840~1918)の‘印象、日の出’。この絵は1985年に盗難に会い1990年無事発見された。お目にかかったのは美術館に戻り再公開された1991年。パリの訪問とこの絵の鑑賞がうまくシンクロしたので忘れられない一枚になった。とくに魅せられるのが光があたった海面がゆらゆら揺れる感じを表現した筆のタッチ、これをみないとモネははじまらない。

海面の揺らぎで思い出す絵がもう一枚ある。シーレ(1890~1918)が18歳のとき北東イタリアの港町、トリエステの光景を描いた絵。船のマストなどが反射している海面が静かにゆれる様が縦にまっすぐのびるギザギザの線で装飾的に描かれている。20年くらい前日本で見たときは衝撃が走った。シーレは18歳でもうこんないい絵を描いている。ミューズにその豊かな才能を愛されたことは間違いない。

エンジョイ 海百景! クールベ、クレイン、マグリット

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Img_0003     クールベの‘波’(1870年 西洋美)

Img_0005     クレインの‘ネプチューンの馬’(1892年 ミュンヘン ノイエピナコテーク)

Img_0008     マグリットの‘大家族’(1963年 宇都宮美)

Img_0006     マグリットの‘誘惑者’(1951年)

フランスの画家クールベ(1819~1877年)が気になりだしたのは西洋美で海岸に打ち寄せる波の絵をみてから。波をモチーフにした作品はその後日本の大原美にあるものや08年の大回顧展(パリ、グランパレ)に出品されたものなどを含めて10数点みたが、西洋美にある波の形に最も魅せられている。

波がこのくらい大きいとサーファーはすぐにでも海にとびだしていくのだろう。水の動きを描くのは大変難しい、波の形はできては消えるから、この形を目に焼きつけるのは至難の業。クールベが写真も活用して表現した波はじつに真に迫っている。暗い海辺に白い波頭ができそして崩れていく光景は大波警報を知らせる気象ニュースの映像を見ているよう。どの絵も足をとめさせるが、今年の1月はフィラデルフィアとメトロポリタンで2点みた。

クレイン(1845~1915)の‘ネプチューンの馬’はまだ縁がないが、思い入れの強い作品。はじめてみたときハッとしたのは波と馬の姿が重ね合わさっているところ。おもいろいアイデア、シュルレアリストのダリがこのダブルイメージをみたら裸足で逃げるにちがいない。左端ではまだ波と馬がまじりあい輪郭はぼやけているが、右にみえる海の神ネプチューンは波が変身した美しい白馬にまたがっている。この絵を所蔵しているのはミュンヘンにあるノイエピナコテーク。この絵のほかにもマネ、ゴッホなどのいい絵があるから、いつか足を運びたい。

マグリット(1898~1967)の‘大家族’はクリムト展をみるためでかけた宇都宮美で久しぶりに会った。絵の存在を知ったのは30年くらい前で、そのときは個人蔵となっていた。不思議な絵だなとは思ったが、意外にもそのシュールさはダリの作品のようにどぎまぎという感じでもなかった。

巨大な鳩にあっけにとられるものの広重の名所江戸百景にも大きな鷲がでてくるから、想像力をふくらませたマグリットが海の上の鳩を置いたことにそれほど違和感を感じなかった。下の波の描き方はクールベタイプ、違いは画面のなかに明るい空を暗い空を同居させていること。そして、マグリットの真骨頂は白い雲と鳩の頭がつくるダブルイメージ。

‘誘惑者’も絵のなかにすっと入っていける。帆船の帆も船体もみな波の模様というのは確かに変だが、遠くでみれば船は小さくなるから波が船全体におおいかかるイメージがする。で、船も海も一緒の模様にしてしまおう、となったのかもしれない。マグリットはイメージがちょっと跳ねるところを表現するのが天才的に上手い。

エンジョイ 海百景! ゴッホ、スーラ

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Img_0004     ゴッホの‘スヘーフェニンゲンの海’(1882年 アムステルダム ゴッホ美)

Img     ゴッホの‘サント・マリー・ド・ラ・メールの海’(1886年 ゴッホ美)

Img_0001     スーラの‘グランカンのオック岬’(1885年 ロンドン テートモダン)

Img_0003     スーラの‘グラヴリーヌの水路、夕暮’(1890年 NY MoMA)

アムステルダムにあるゴッホ美はオランダ観光の目玉のひとつ、ゴッホ(1853~1890)は世界中で愛されている画家だから、館内はいつも大勢の人で混雑していいる。ツアーの場合館内にいるのは約2時間。2011年に訪問したとき、ある絵を一生懸命探したが、またしても展示してなかった。その絵とは‘スヘーフェニンゲンの海’。

この絵はゴッホの初期の油絵で9年前手に入れた‘ゴッホ美 名画100選’の一番最初に掲載されている。ところが、このときを含めて3回美術館を訪れる機会があったのに、この絵だけはいずれも姿を現わしてくれなかった。絵のコンディションに問題があり、今は常時展示してないのかもしれない。白い波頭がとても印象深く、見たい度の強い絵なのに、会うのにえらく時間がかかっている。この状況をなんとか打破できればいいのだが。

ゴッホはアルルに滞在していたとき、地中海沿岸の海を描こうと思いアルルから30㎞くらいのところにある小さな漁村サント・マリー・ド・ラ・メールへでかけた。ここで3点描いたが、その一枚が画像の絵。波の動きのあるラインと中央の船とそのむこうにみえる2隻の船の並べ方がなかなかいい。

スーラ(1859~1891)が点描法で描いた海景画は静謐な海の光景というイメージだが、‘グランカンのオック岬’は例外的に動きのある画面になっている。視線が集中する岬は蟹料理にでてくる肉がぎゅっとつまった爪を連想する。この圧倒的な存在感のある岬をみて、心がとんでいくのは日本の浮世絵。

スーラが浮世絵にどのくらい影響を受けたのは明確にはわからない。でも、画面まん中にどーんと描かれた蟹の爪岬をみると、広重の‘名所江戸百景’の一枚とか北斎の大胆な構図などに霊感をうけたのではないかと類推したくなる。スーラにとっては異色の海景画だけにどうしても浮世絵との関連を意識してしまう。

‘グラヴリーヌの水路、夕暮’は1月MoMAで運よくみれた作品。‘オンフルールの夕暮れ’とともにやっと対面が叶いご機嫌だった。右手前に描かれた大きな碇は北斎がオランダ人の依頼で制作した絵にもでてくる。音ひとつ聞こえてこない静かな港の光景をしばらく息をのんでみていた。

エンジョイ 海百景! 又造、大観、魁夷

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Img_0005     加山又造の‘月光波濤’(部分 1979年)

Img_0003_2     横山大観の‘海山十題 波騒ぐ’(1940年 霊友会妙一記念館)

Img_0002_2     東山魁夷の‘朝明けの潮’(部分 1968年 東近美)

Img     東山魁夷の‘濤声’(部分 1975年 唐招提寺)

明治時代以降に活躍した日本画家で好きな画家は何人もいるが、生涯最接近してその作品を鑑賞しようと思っているのは6人。横山大観、菱田春草、上村松園、鏑木清方、東山魁夷、そして加山又造。今日はそのなかの3人が描いた海の絵。

加山又造(1927~2004)の水墨画にすごい絵がある。1979年に描かれた‘月光波濤’、7年前神戸大丸で又造の回顧展があり万難を排して遠征した。そこには体を熱くさせる名画がここにもあそこにも展示されていたが、とりわけ心を奪われたのがこの波濤図。似たような絵を山種美でみたことはあるが、‘月光波濤’は大作なので絵の前立った時のインパクトが圧倒的で大変な絵をみたという思いだった。岩に砕け散る波はしぶきを宙に散乱させ岩の切り立った表面を細い水の筋となりすごい速さで落ちていく。こんなダイナミックで神秘的な波濤はみたことがない。

横山大観(1868~1958)の‘海山十題’に絞った展覧会が2004年7月東芸大美で行われた。これは幸運なめぐりあわせで、その2ヶ月前広島から横浜に戻ってきたところだった。‘海山十題’は一部しかみたことがなかったので、20点を食い入るようにみた。海好きなので山の十題よりは海の十題のほうに心が動く。一番のお気に入りは‘波騒ぐ’。俯瞰の構図で描かれた青緑の海は実際に潮騒の音を聞いているようで、松の枝のむこうにみえる変幻自在な白波の模様が深い精神世界に誘い込む。

皇居宮殿のホールに飾られている東山魁夷(1908~1999)が制作した壁画‘朝明けの潮’をみる機会は一生ないので、東近美でときどき展示される下図を楽しんでいる。この絵も波のうねりがリアルに感じられる作品。強く印象に残るのは緑青の色に金箔やプラチナ箔を重ねているところ。これにより日本美の象徴である装飾美と写実が見事に融合した海景画になっている。

魁夷にはもう一点とても魅了される海の絵がある。御存じ、唐招提寺の障壁画。現地ではみてないが04年と08年にあった大回顧展(兵庫県美と東近美)で本物仕立て対面することができた。又造の波濤図同様、心に沁みる傑作である。こういう絵の前では何時間でもみていたくなる。


エンジョイ 海百景! 大観、青樹、紫紅、一村

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Img_0002     横山大観の‘海山十題 曙色’(1940年 足立美)

Img_0003     小茂田青樹の‘出雲江角港’(1921年)

Img_0001     今村紫紅の‘熱国の巻’(重文 1914年 東博)

Img                田中一村の‘アダンの木’(1969年)

島根県の安来市に近代日本画の質の高いコレクションと日本庭園で知られる足立美がある。以前広島市に9年住んでいたとき、クルマで2回でかけた。山陰の旅行ツアーではここは定番の名所観光のひとつになっているので、駐車場にはいつも観光バスがいっぱい。

日本画コレクションの目玉は横山大観(1868~1958)、とにかくびっくりするほどの数を所蔵している。名作も多く、そのひとつが‘海山十題’シリーズ、夫々4点合わせて8点ある。‘曙色’で魅せられるのは浜辺に打ち寄せる波を斜めに描く構成。そしてこの静けさ、遠くに帆船が4隻かたまっており、左からは小舟はゆっくり進んでいる。

小茂田青樹(1891~1935)というと細密に描かれたクモや昆虫などが思い起こされるが、風景画にもいい絵がある。‘出雲江角港’は出雲へ何度もでかけたので親近感を覚える。海を手前の家並みともっこりとした山々ではさみこむ構図がなかなかいい。また、この地域特有の赤い屋根を丁寧に描くところが青樹の真骨頂。どうでもいいことだが、フジテレビで今月からはじまった‘ショムニ2013’に出演している江角マキ子は出雲市の出身。

東博の総合文化展は今はご無沙汰しているが、以前は熱心に足を運んでいた。本館の1階左が日本画と洋画を展示している部屋。今村紫紅(1880~1916)がインド旅行で吸収したものを作品にしたのは絵巻仕立ての‘熱国の巻’、じっとみてしまうのが海の部分、金箔の帯が横に流れ穏やかな波のゆらぎが平べったいへの字のような模様でリズミカルに表現されている。秋に三渓園で行われる‘今村紫紅展’でこの絵と久しぶりに対面できるかもしれない。開幕が楽しみ!

奄美大島へは行ったことがないが、田中一村(1908~1977)の‘アダンの木’のお蔭でどんな島かは想像がつくようになった。3年前千葉市美で遭遇した‘田中一村展’は一生忘れられない展覧会。とくにこの‘アダンの木’には200%KOされた。大きく描かれたアダンに目を奪われるが、その向こうにみえる海がじつに美しく描かれている。銀の質感を思わせるさざ波、そして遠くのぼやけた水平線。縦長の絵なのに温かい海が目の前に広がってくる。立ち尽くしてみていた。

BS1 ‘一投にかける ヤンキース黒田博樹’!

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Img_0001      黒田の各バッターに対する攻略ファイル

Img_0002     デービス(オリオールズ)との対戦

昨日BS1の‘アスリートの魂’で放送された‘一投にかける ヤンキース黒田博樹’を興味深くみた。日本人投手としてはじめて4年連続二桁勝利をあげた黒田、このタイミングでドキュメント番組が制作されれば黒田への関心がいっそう高まる。

黒田は今年ヤンキースと15億円で契約を交わしているから、10勝するのはノルマ通りかもしれない。だが、勝ち星だけでなく防御率がアリーグ3位の成績となれば特別ボーナスをもらっていいほどのエースの働き。投手の実力は防御率に現れる。だから、今や黒田は大リーグを代表する投手に登りつめたとこになる。本当にすばらしい!

番組でとくにおもしろかったのは黒田が対戦したバッターごとに配給や抑えどころのポイントを書き込んだ分厚いファイル。バッターの癖や長所、そしてどういう配給をすればうちとれる可能性が高いか、こういうものを投手はつくっていたのかと感心した!

今はどの球団でも登板したときの投球内容が映像として記録されているから、PCを使えば対戦した打者ひとり々のデータベースをもとに打たれ原因や良かったときの配給などをいろいろと分析できる。その一例として、今年ホームランを2本打たれているオリオールズの強打者デービスと7/7に対戦した時の配給を攻略ファイルと照らし合わせながらみせていた。

この試合はちょうどみていたから、黒田がデービスをどういうピッチングでうちとったかはよく覚えている。黒田は前の2戦で横の変化でホームランを食らったから、この登板では低めの縦の変化で抑えることに決めていた。それがうまくいきこのキーマンを完璧に抑えた。

これまで黒田のチッピングをみてときどき大きく抜ける球があり気になっていたが、これはバッターに高めを意識させるためにわざと投げていたことがわかった。黒田は‘ピッチャーとしての技術のひとつだと思う’といっていた。手元が狂ったようにみえる大きな抜け球、そういえば主力打者のときしかこの球はみられない。配給のひとつとして使っていたのだ。これからは黒田の投法の見方が変わってきそう。

エンジョイ 海百景! 芳翠、由一、武二、繁

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Img_0001     山本芳翠の‘浦島図’(1893~95年 岐阜県美)

Img_0002     高橋由一の‘江の島図’(神奈川県近美)

Img_0004     藤島武二の‘大王岬に打ちよせる怒濤’(1932年 三重県美)

Img_0003     青木繁の‘朝日(絶筆)’(1910年 佐賀県立小城高校)

日本の洋画家への思い入れは日本画家にくらべると少し弱くなるが、ビッグネームの回顧展は見逃さないようにしている。昨年はすばらしい‘高橋由一展’(東芸大美)があり、2年前には‘青木繁展’(ブリジストン美)が開催された。また、この年はそごう美で‘藤島武二・岡田三郎助展’も楽しんだ。

今期待している回顧展は山本芳翠(1850~1906)と梅原龍三郎、そして森本草介。はたしてその可能性はあるだろうか?このなかで山本芳翠については画集が手元にないので、画業全体がつかめてない。3年前、三菱一号館の開館記念展で芳翠の‘十二支’シリーズに出会った。はじめてこのシリーズを知ったが、鑑賞欲を強く刺激された。出品された3点を所蔵しているのは三菱重工業、ほかの9点もみたくなるが、一体どこにあるのだろうか?もし、回顧展に遭遇すれば望みが叶う可能性もでてくる。

そのときはもちろん代表作の‘浦島図’にも会える。この絵は‘前田青邨展’をみるため岐阜までクルマを走らせたとき、平常展示でみた。絵自体は何年も前から目に焼きついていたが、本物にはなかなか縁がなかった。体が引きこまれるのは亀の上に乗っている浦島太郎だが、戸惑うのがこの浦島太郎の顔、女性かいな!?長い髪、ぽちゃっした丸みのある顔、そして体をちょっとひねるポーズ、どうみても女性の姿。

まわりの侍女や童子のかわいらしさや柔らかそうな肌をみていると、なんだかブーシェの絵をみているよう。そして、心安まるのが穏やかな海。遠くにみえる水平線が画面の上のほうに引かれているので海が広々としている。こういう絵は年に一回はみたくなる。

風景画は自分の知っている場所だと身近な感じがする。高橋由一(1828~1894)の‘江の島図’はとても気に入っている。海が描かれているところは少ないがこの道を通り島に渡っているから、海は十分イメージできる。フランスのモンサンミッシェルへ行ったとき、すぐ江の島を思い出した。

三重県の大王岬がどこにあるかわからない。でも、藤島武二(1867~1943)の絵で岬の名前だけはずいぶん前からインプットされている。武二の風景画で魅せられているのは画面に動きのある‘大王岬に打ちよせる怒濤’と‘室戸遠望’(泉屋博古館分館)。‘大王岬’は両サイドの岩がつくるV字の間に描かれた波の激しいしぶきに緊張感がある。

青木繁(1882~1911)の絶筆‘朝日’は回顧展のとき息を呑んでみていた。そして、しだいにターナーとモネの絵が重なってきた。波の揺れが青木繁の波乱万丈の人生を象徴しており、その終わりのときを朝日が明るく照らしているようにみえた。

エンジョイ 海百景! 北斎、江漢、広重

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Img_0004     葛飾北斎の‘潮干狩図’(重文 1808~13年 大阪市美)

Img_0002     司馬江漢の‘七里ヶ浜図’(江戸時代後期 大和文華館)

Img     歌川広重の‘東都名所 高輪之明月’(1831年)

Img_0006     歌川広重の‘武陽金沢八景夜景’(1857年)

浮世絵風景画に海は再三描かれる。だからバリエーションは豊富、北斎の‘神奈川沖浪裏’のように波のお化けが登場し‘動き’が強調されたもの、そして俯瞰の視点で気持ちがいいほど広々とした海をどーんと描いてみせたものもある。海好きなので夫々に敏感に反応する。

葛飾北斎(1760~1849)の‘潮干狩図’に大変魅了されている。でも本物をみたのはまだ2回しかない。8年前東博で開催された‘北斎展’でお目にかかったが、そのあと対面してない。大人、子供総出の潮干狩りは手前の潮が引いた砂浜とだいぶむこうの海に近いところ二ヶ所で行われている。

この絵は視線を画面の下から上に動かすと広大な海の光景がイメージできるのでとても楽しい。潮の香りがする砂浜で今も江戸時代も同じような格好をしてあさりを採っている。魚とりとちがってあさりは誰でも砂をほればとれるから、休日のエンターテイメントにはもってこい。夕飯どきは美味しいあさり汁をすすりながらワイワイガヤガヤ話がはずむ。

雲や波の質感を油彩で表現した司馬江漢(1747~1818)の七里ヶ浜の風景画も印象深い作品。砂浜に打ちよせる白い波が浮世絵版画とは異なる情感を醸し出しているので、思わずじっとみつめてしまう。ここからの富士山の眺めはなかなかいい。

歌川広重(1797~1858)は34歳のとき江戸の名所10カ所を描いた‘東都名所’をだした。その一枚‘高輪之明月’はすばらしい風景画だと思うが、実際には売れなかった。その理由は同時期に北斎のあの‘富嶽三十六景’が発売されたから。どうみたって人々の関心は北斎の富士山の絵に集まる。しかし、今では満月の下を飛行する雁の姿は多くの人の心をとらえて離さない。

能見堂から眺めた金沢八景の夜景は三枚続の大きな絵なので、自分はこの場所にいて同じ光景をみているような気になる。この絵をみるときは単眼鏡が欠かせない。ここでは雁は‘東都名所’とはちがって小さな点のようにしかみえないから、静かに進む雁の群れの情景を単眼鏡を通して目に焼きつけたい。

ダルビッシュ 奪三振ショーで10勝目!

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大リーグはオールスター後の試合から俄然おもしろくなってくる。今日はダイヤモンドバックスとのインターリーグ戦に登板したダルビッシュが三振14個を奪う圧巻のピッチングをみせてくれた。とにかくその投球はスゴイの一言。

前回の登板では先頭バッターにいきなりホームランを打たれた。でも、そのあとはいい投球内容で7回まで0点に抑えたが打線が隅1をひっくりかえせず敗けがついてしまった。今日はこのときより球の安定感が抜群によく、ストレートも変化球も狙ったところにビシビシ決まっていた。7回をヒット5本でのりきり無四球、無失点。2年連続で二桁勝利となった。

こういうピッチングをみると、ダルビッシュは大リーグNO.1ピッチャーではないかと思ってしまう。故障あけの3試合の失点が少ないので防御率は2.66に上がった。これはアリーグ5番目の成績、昨日ドジャーズとの試合に7回無失点に抑えた黒田はこれよりよく2.38で2位、そしてマリナーズの岩隈は2.76で6位。

レンジャーズは現在西地区の2位、首位のアスレチックスに3.5ゲームの差をつけられている。今日勝ったので4連勝。地元にエンゼルスを迎えての3連戦では3試合すべてサヨナラホームランで勝利をおさめた。昨日は4番のベルトレイがレフトスタンドへまたしても歓喜の一発。こんな滅多にないドラマチックなゲームが続くと、Dバックスのあと敵地へ乗り込んでのアスレチックス戦にもいい状態で臨める。

アスレチックスは連敗の少ない強いチーム、だからレンジャーズが再び首位に返り咲くのは容易ではないが、この4連勝をきっかけに波に乗ればアスレチックスに肉薄することも十分可能。ダルビッシュの調子が上がってきており、シカゴカブスからトレードで実力のある先発ガーザを獲得できたので投手陣の駒が揃っている。

あとは打つほうがこの活気づいた打線の勢いをどれだけ維持できるか。また、つまらない走塁ミスで得点力をさげるのも避けたいところ。そして、心配の種はクルーズの禁止薬物使用問題、出場停止になると大きな戦力ダウンだが、残りの試合はアウトのような予感がする。そうならなければいいのだが。

エンジョイ 海百景! 北斎、広重、英泉、清長

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Img_0002     葛飾北斎の‘千絵の海 総州銚子’(天保初期・1832~34年)

Img_0001     歌川広重の‘六十余州名所図会 阿波 鳴門の風波’(嘉永6年・1853年)

Img_0003     渓斎英泉の‘東都花暦 佃沖ノ白魚取’(天保後期・1837~44年 ギメ美)

Img_0005 鳥居清長の‘美南見十二候 四月 品川沖の汐干’(天保4年・1784年 シカゴ美)

葛飾北斎(1760~1849)の風景画の魅力のひとつが大胆な構図、北斎は見たものをそのまま描こうと思ってないから、自分のイメージに合うように現実を再構成する。そうして生み出された最高傑作が‘神奈川沖浪裏’、小舟に覆いかぶさるように落ちてくる巨大な波濤は波のお化けのようにみえる。

この波濤が生き物を思わせるのに対し、‘千絵の海’シリーズの一枚‘総州銚子’に描かれた波は映画にでてくる荒れる海のワンシーンそのもの、じっとみていると自然と体が左右に揺れてくる。波に翻弄されながら必死に船を操る人々の姿には緊迫感が重くのしかかっている。

歌川広重(1797~1858)が描いた鳴門の渦潮は‘神奈川沖浪裏’を彷彿とさせる。渦潮はものすごいスピードでグルグル回転し、ほかの渦と縦に横に重なり合い海全体を大きく揺り動かしている。一度、現地を旅行したのだが、クルマが到着したのは渦潮が見られる時間帯を過ぎていた。見たい気もするが、徳島はいかにも遠い。

‘佃沖白魚取’は歌川国芳の‘佃沖晴天の不二’に似たようなモチーフがでてくるので、一見するとこれも国芳が描いたのかなと思う。が、これを描いたのは渓斎英泉(1791~1848)、太田記念美で開催された‘ギメ美展’ではじめてお目にかかり大変魅せられた。英泉の風景画もいい味がでており、心を和ませてくれる。

鳥居清長(1752~1815)の‘品川沖の汐干’は好感度の高い作品。美味しい酒や料理をいい景色をながめながら飲んだり食べたりするともう極楽気分だろう。座敷のむこうに広がる海と帆船が人物の群像描写の間にすっきり描かれるところがなんともいい。

エンジョイ 海百景! 広重、北斎、国芳、国貞

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Img_0003     歌川広重の‘六十余州名所図会 薩摩 坊ノ浦 双剣石’(嘉永6年)

Img_0004     葛飾北斎の‘琉球八景 臨海湖声’(天保3~4年)

Img_0002     歌川国芳の‘高祖御一代略図’(天保中期)

Img_0001      歌川国貞の‘二見浦曙の図’(天保年間)

5年前、神奈川県歴博で歌川広重(1797~1858)の没後150年を記念した展覧会があり、‘六十余州名所図会’全点と出会った。以前このシリーズでお目にかかったのは‘天の橋立’など数点しかなかったので幸運な機会だった。

心を奪われた名所は沢山あったが、びっくり度でいうと薩摩の坊ノ浦にあるという双剣石が一番。広重はここへ実際足を運んだわけではないが、種本を参考にしてはっとさせる構図でこの奇岩を見事に描いた。本物の双剣石はこれほど高くはないだろうが、古代エジプトのオベリスクみたいに天にむかってそそり立っている。

葛飾北斎(1760~1849)の琉球八景の揃いものも北斎の想像力によって生み出されたもの。とはいえ、想像をふくらませるため‘琉球国志略’という種本がちゃんと存在する。そして、これをもとに中国の瀟湘八景に見立てて俯瞰の視点で仕上げた。‘臨海湖声’は家々が集まっているところの前を通る道が斜めにのびていく構図がおもしろい。

歌川国芳(1797~1861)が日蓮の雨乞いの祈りの場面を描いた‘高祖御一代略図 文永八鎌倉霊山ケ崎雨祈’は誰かの絵に似ている。そう、北斎の‘富嶽三十六景 甲州石班沢’!国芳は北斎を敬愛していたから、頭のどこかに石班沢があったのかもしれない。そこでちょっとしたカモフラージュを施した。日蓮の祈りが天に通じ大雨がふってきた。雨を表す黒の線を何本も引き見る者の目から石班沢を消している。

伊勢の二見浦へは名古屋に住んでいたとき2回行った。歌川国貞(1786~1864)の夫婦岩を見るたびに二つの岩をつないでいるあの太いしめ縄を思い出す。水平線から放射状にでてくる光の表現が印象的で忘れらない一枚になった。


わくわくワールドツアー! スペイン 銀の道

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Img_0005_3       セビリアとヒホンを結ぶ‘銀の道’

Img_0006_2     世界遺産 ラス メドゥラス(ローマ帝国による金採遺跡)

Img_0004_3        高いところから注ぐリンゴ酒

昔の職場仲間にスペインが大好きな女性がいた。いい人がみつかり会社をやめたのだが、結婚する前にスペイン語をもっと学びたいとサマランカ大学に半年くらい通っていた。スペインの北部についてはこのサマランカとTV番組で特集していた巡礼の道の終着点サンティアゴ・デ・コンポステラ、そしてアルタミラ洞窟くらいしかインプットされてない。

先月、たまたまみたBS日テレの‘世界水紀行’でスペインの西を南北に結ぶ‘銀の道’というものがあることを知った。‘銀の道’はセビリアとカンブリア海沿の港町ヒホンを結ぶ古代ローマから続く交易ルート。全長800㎞。番組はこの道を北上しサマランカ、アストルガ、金鉱山ラス・メドゥラス、オビエドにスポットを当てていた。

このなかで最も関心が高かったのは世界遺産にもなっているラス メドゥラスの金鉱山。じつはこの古代ローマによる金採遺跡は2月に放送されたTBS‘世界遺産’でその存在を知ったが、場所がはっきりしなかった。ここは金の集積地アストルガの近郊の山岳地帯にある。

目が点になるのが奇岩が連続する風景、トルコのカッパドキアをすぐ連想したが、これは台地の隆起とか雨による浸食といった自然現象によって生まれたものではなく、古代ローマ時代に行われた金の採掘によってできたものとわかり二度びっくり。

土木技術に長けた古代ローマ人のやることはスケールがでかい。赤茶けた山肌がこんな形になっているのは山をどどどっと破壊したから。金鉱山の山頂に貯水槽をつくり水源から水を集めてくる。そして、その大量の水を鉱山のなかに蟻の巣のように掘られたトンネルに一気に流し、その力で山を崩した。崩れた山からでた土をふるいにかけ金を採取した。こうした方法でローマ帝国は紀元前1世紀から紀元後3世紀まで金を採り続けた。

ローマ時代の話はライフワークなのでこの遺跡はとても興味がある。個人旅行で行ってみたい気もする。番組の後半、オビエドのレストランでおもしろい光景に出くわした。それはリンゴ酒のカップへの注ぎ方。手を高くあげてそこから下に注いでいる。こうするのはガスを抜くため、そうすると香りと味がでるそうだ。フランスのモンサンミッシェルを訪問した時、昼食にリンゴ酒を飲んだ。テーブルに持ってくる前はこんな格好で注いでいたのだろう。

スペインをまた旅行することがあったら、ラス・メドゥラスの奇岩とリンゴ酒のことを頭のなかにいれておきたい。

わくわくワールドツアー! クロアチア プリトゥヴィツェ湖群国立公園

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Img_2     クロアチア プリトゥヴィツェ湖群国立公園

Img_0001_2         階段状の湖と滝

Img_0002_2        炭酸カルシウムが固まってできる石灰華

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2年前、BSプレミアムで放送された‘世界遺産 一万年の叙事詩’(90分、9集)を熱心にみた。1回々収穫の多い番組だったが、その最終回にとても美しい景観がでてきた。1979年世界遺産に登録されたクロアチアのプリトゥヴィツェ湖群国立公園。以来その映像が目に焼きついていたが、嬉しいことに先月BS日テレの‘絶景 世界自然’が詳しくとりあげてくれた。

クロアチアの首都ザクレブヘの飛行ルートはまずウイーンへ飛びここで乗り換えてザグレブへ入る。約14時間だそうだ。そして、プリトゥヴィツェまではさらに南下しクルマで3時間。人口428万人のクロアチアの主要産業は観光らしい。年間900万人もの観光客が世界中からやって来るとのこと、このうちプリトゥヴィツェ湖群公立公園にでかける人々は80万人。公園の広さは琵琶湖の半分くらい。

この世界遺産でとても惹きつけられるのは階段状になった湖とみているだけで涼しくなる多くの滝。湖は大小16,、滝は92あるという。いくつものトレッキングコースが用意されていて下流から上流までは歩いて3時間、湖のなかには遊覧船から景観を楽しめるところもある。

青く輝く湖の色がびっくりするほど美しいが、その透明度に目を奪われる。そして、湖はおもしろいことに階段状になってできている。上の湖の水は滝となって下の湖へと落ちていく、その水の流れはまた下の湖にたまりまた滝に変わり流れ落ちていく。

ここの地層は石灰層でできており、藻や水におちた木やバクテリアに炭酸カルシウムが付着しそれが堆積して石灰華が形成される。この岩や大木に少しづつ堆積した石灰華が何千年もかけて巨大化し、水をせき止め棚状の湖が生まれた。トルコのパムッカレで石灰質の棚をみたことがあるが、ここの湖も形成の仕方は同じこと。

多くの滝が流れ落ちる景観は心を大きく揺るがす。一度みてみたい!

一回だけの‘谷文晁展’!

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Img_0003_2        ‘青緑山水図’(1822年 東京富士美)     

Img_0004_2             ‘米法山水図’

Img_2             ‘弁材天図’

Img_0001_2         ‘富嶽図屏風’(上野記念館)

サントリー美で行われている‘谷文晁展’の後期(7/31~8/25)をみてきた。谷文晁(1763~1840)の大規模な回顧展ははじめてのことだし、注目していた展覧会であることは確かにそうなのだが、一回で十分ということにしていた。で、図録を入手することを主たる目的としてさらさらとみた。

文晁の山水画には北宋風の山が垂直にきり立ってる絵と池大雅を思わせるもこもこ山の二つがあるが、好みとしては黒で量感豊かに描かれたもこもこ山のほうに惹かれている。この黒が強いインパクトを持っている山水で一番のお気に入りは東博にある‘彦山真景図’。‘米法山水図’は板橋区美で6年前にあった‘谷文晁とその一門’で遭遇し魅了された作品。

東京富士美はまだ訪問してないが、そのコレクションは西洋絵画から日本画まで幅が広い。文晁のこんな緑と青が強く印象づけられる山水画を持っていたとは。北宋タイプは板橋区美でも数点みたが、この絵が最もいいかもしれない。

今回の収穫は‘弁財天図’、参考として酒井抱一の‘妙音天像’の図版があったが、どちらも甲乙つけがたいほどいい出来。この‘弁財天図’は山谷にあった有名な料理屋‘八百善’に伝来したものらしい。文晁は画家であると同時に趣味人、太田南畝、山東京伝、酒井抱一らと文化サークルをつくり八百善で集っていた。

文晁の富士山はこれまで2点ほどみたが、別ヴァージョンの‘富嶽図屏風’も悪くない。静岡県美にあるものは日曜美術館の‘富士山 10選’にとりあげられていたので期待していたが、やはり前期のみの展示だった。惜しいことをしたが、‘大富士山展’(どこかの美術館が企画している!?)があればみる機会があるだろう。

予想に反して収穫の多かった‘ルーヴル美展’!

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Img_0006_2     ‘アラバストロン(壺)’紀元前874~850年)

Img_0005_2     ‘ローマ皇帝ハドリアヌスの胸像’(127~28年)

Img_2     ‘ギャビーのディアナ’(100年頃)

Img_0001         コローの‘ギリシャの若い女’(1870~72年)

東京都美で開かれている‘ルーヴル美展 地中海四千年のものがたり’(7/20~9/23)、これまで何度かこのブランド美術館の所蔵展を体験したから今回はお休みにするつもりだった。ところが、ひょんなことで招待券が手に入ったので気が変わり出動することにした。

展覧会の目玉はチラシに大きく載っている‘ギャビーのディアナ’、現地でみた覚えがないのでまずはこの大理石彫刻との対面に鑑賞エネルギーの多くを注ごうと思っていた。ふつう自慢のお宝は展示全体の真ん中あたりにでてくるが、序と4章からなるテーマ‘地中海’の3章に進んでもまだお目にかかれない。これまでみた部屋で見逃したのかなと不安な気持ちになっていたら、最後の4章に特別のしつらえで展示してあった。

そのため、ここへ着くまでにギリシャの赤像式の壺やら古代エジプトの石像、ローマ皇帝の胸像、北アフリカのモザイクなどを結構熱心にみることになった。歴史好きにとって、‘地中海’という枠組みで四千年の歴史をみたとき、どの民族や国が主役の座につき、それがどのように変わっていったのかが残された文物によって知ることができるのは大きな収穫。各章の冒頭に飾ってある地図をじっくりみたあと、作品と対面した。

そのなかで足がとまったのは量感たっぷりの方解石でできたエジプトの大きな壺。表面のツルツル感がいい。ローマ皇帝の胸像は3つ、アウグストゥス、ハドリアヌス、セプティミウス・セウェルス、はじめて髭をはやしたハドリアヌスに引き寄せられたが、残念なことに顔の両サイドが欠けている。このあと、びっくりする彫刻が待っている。何がサプライズだったかは見てのお楽しみ!

さて、お目当ての‘ギャビーのディアナ’は狩りの女神アルテミス、ぐるぐるまわってみたが、みればみるほどその美しい顔に惹かれた。顔の長さを2本の指で測り、身長に対していくつあるかチェックしたら理想的な八頭身になっていた。美しいはずである。現地ではギリシャローマ彫刻の部屋はもう何年もみていないから、こうしたローマ時代につくられた傑作模刻に会えるのは幸運なめぐりあわせ。ミューズに感謝!

絵画作品ではコロー(1796~1875)の‘ギリシャの若い娘’の前に長くいた。日本であったコローの回顧展(08年 西洋美)でもみたが、ここで再会するとは思ってもみなかった。見終わったあと購入した図録は宝物を手にいれたような気分、じっくり読み込むつもり。

暑さがふっとぶ‘アメリカン・ポップ・アート展’! ウォーホル

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Img_0002     ‘200個のキャンベルスープ缶’(部分 1962年)

Img_0001     ‘マリリン’(1967年)

Img_0003     ‘キミコ・パワーズ’(1972年)

Img_0007     ‘花’(1970年)

今年、わが家はアメリカンアートの年だから、国立新美で行われる‘アメリカン・ポップ・アート展’(8/7~10/21)への期待値は特別高い。その気持ちに駆られて初日に出かけた。最近は以前のように開幕する日に足を運ぶことがないので、目に力が入った。

ポップアートを象徴する作家、ウォーホル(1928~1987)は37点でている。これほどの多くのウォーホル作品をみることができるのだから、日本は真に美術大国。だから、作品の前では大興奮ということになるはずなのだが、1月MoMA、MET、そしてワシントンのナショナルギャラリーとハーシュホーンで‘ゴールドマリリンモンロー’など4点で目慣らしができていたので、人物の顔の色使いやそのヴァリエーションのつけ方などに注意を払ってじっくりみることができた。

ウォーホルは小さいころから毎日食べていたというキャンベルスープ、ところがアメリカに住んだことがないのでこのスープにはまったく縁がない。そのスープ缶がなんと200個も繰り返し描かれている。缶がひとつだけだと、インパクトは薄い存在なのにこれほど大量に並んでいると、記号化されたアメリカの消費生活が強くイメージづけられる。

スープ缶の連続表現は人物の肖像にも使われた。マリリン・モンロー、ミキコ・パワーズ、毛沢東夫々の顔の肌や目や唇、髪の色、衣装や着物の色合い、そして背景の色との関係はどうなっているかを時間をかけてみた。

マリリンの場合。地の色とアイシャドーの色は一致している。髪の色はゴールドや茶色などいろいろな色が使われているのに対し、ミキコのほうは東洋人を意識してか目、眉毛、髪はみな黒、そして地の色と着物の色はゴッホのひまわりの絵のように同じで、同時にこの色が口紅の色になっている。感心するのがアクセントを効かせている着物の襟の色。上段右の赤に映えるゴールドの襟が目に焼きつく。

ハーシュホーンでみた‘花’は1点だったのに、ここでは10点が一堂に並んでいる。黄色や赤やピンクなど明るい色でべたっと彩られた大きな花弁はこちらに飛び出してくるよう。熱帯の花園に紛れ込んだような感じで浮き浮きした気分になる。

ウォーホルは天性のカラリスト、生き生きとした色彩の力をこれほど強く感じたことはない。こういう作品をまじかにみると、多くのコレクターがウォーホルの作品に夢中になるのがよくわかる。

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