中国へは1994年に行った。北京と西安、そして定番の万里の長城、出かけたのは10月だったので北京では梅原龍三郎(1888~1986)の名画‘北京秋天’のような美しい空がみえたはずなのだが、関心はもっぱら地上にどんと建っている紫禁城や天壇にあったため、視線はその建物の高さまでしかいかず絵のような光景を楽しむ余裕がなかった。
梅原の作品で最も魅せられているのは北京を描いたもの。永青文庫にある‘紫禁城’とたびたび会うのが理想的な鑑賞環境といえるのだが、これは叶わないため東近美の通常展示によくでてくる‘北京秋天’で梅原を楽しんでいる。この絵について、梅原は‘秋の高い空に興味をもった。なんだか音楽をきいているような空だった’と語っている。当時と較べ、現在の北京はPM2.5の影響で空はひどいことになっている。絵に描かれた光景はもう戻ってこないだろう。
最近閉館した神奈川県近美、3回くらい足を運んだが所蔵作品で強く胸に刻まれているのが松本竣介(1912~1948)の‘立てる像’、中央に足を大きく開けた若い男を立たせる画面構成はアンリ・ルソーの‘私自身、尚蔵=風景’と似ているが、全体の雰囲気がまったく異なるのでルソーの影はすぐ消える。インパクトのある絵だから一生忘れられない。
東近美でよくお目にかかる香月泰男(1911~1974)の‘水鏡’がとても気になるのはその意表をつく構図のため、右の水槽をのぞき込む少年は肩の部分と頭だけが描かれ顔の表情はみえない。この子の心はどうみても暗い、こういう物語を連想さsる作品はずっと記憶に残る。