菱川師平の‘伊勢物語 河内越え’(1688~1704年 川崎・砂子の里資料館)
仕事で広島市にいたころ、県立美術館の平常展示で忘れられない日本画にお
目にかかった。それは横山大観(1868~1958)の‘井筒’。拙ブログ
の名前‘いづつや’は苗字からとっており、伊勢物語・23段‘筒井筒’で詠われ
る歌はそらんじているから、エポック的な鑑賞体験となった。
業平が‘筒井づつ井筒にかけしまろがたけ、過ぎにけらしな妹見ざるまに’
(幼いころ、井筒とくらべたわたしの背丈も、もうすっかり井筒を越してし
まったようですよ、貴方とお会いしないでいるうちに)と詠む。これは求婚
の歌。
これに女は‘くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき’(あなたと長さをくらべあったわたしの振り分け髪も、肩を過ぎるまでに伸びました。あなたでなくて誰のために髪上げをいたしましょうか)と業平のプロポーズを承諾する返歌で応じる。‘井筒’は井戸を囲む井桁(いげた)のこと。大観が二人を幼なじみの小さな子どもで描くのに対し、鈴木春信(1725~1770)はこの主題を明和の風俗として少し背丈の高い少年・少女に置き換えて‘見立筒井筒’に仕上げている。
春信の‘見立河内越え’は二人が結婚してからの話。業平は根っからのプレイボーイだから、別にいい人ができ、夜になるとせっせと愛人宅に通う。妻が夜道を行く夫の身を案じて詠む歌は、‘風吹けば沖つ白波立田山 夜半にや君がひとり越ゆらん’(風が吹くと沖に白波がたつという名の竜田川を、夜更けにあの方はたったひとりで越えているでしょう)。妻が快く見送るので不審に思い隠れて様子を窺っていた業平はかぎりなく妻がいとおしくなって、以後女の家には行かなくなる。今ならこんな話はまずないが。元禄期に描かれた菱川師平の‘伊勢物語 河内越え’は昨年大倉集古館で行われた‘浮世絵の別嬪さん’で遭遇した。収穫の一枚だった。