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Channel: いづつやの文化記号
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日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 菊慈童

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Img_0001_20250412231801   海北友松の‘菊慈童図屏風’(16世紀 岡山 由加山蓮台寺)

Img_0003_20250412231901   鈴木春信の‘見立菊慈童’(1765~66年 東博)

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鈴木其一の‘菊慈童図’(1856年)

Img_0002_20250412232001   横山大観の‘菊慈童’(1897年)

Img_20250412232001   安田靫彦の‘菊慈童’(1939年 五島美)

洋画家の梅原龍三郎が描いた北京紫禁城の絵をときどきながめていると中国
への旅心が刺激されるが、2度目の訪問については実行計画がなかなか進ま
ない。以前日中関係が良かったとき古代中国展や北京故宮博物院展などがよ
く開催され、2012年には大傑作‘清明上河図’(北宋時代 12世紀はじめ)が披弄されるという夢のような展示があった。また、そんな状況がやってくることを願っているが、果たして。

歴史好きなので中国の歴史には強い関心をもっており、関連の本をいろいろ読んでいる。でも、歴史書から汲み取る政治体制や社会、風俗のことだけでは情報としては厚みに欠ける。それを補ってくれるのが中国絵画や陶磁器、そして中国の故事や伝説を主題にして制作された日本画や彫刻などの美術作品。多くの画家が描いてきた‘菊慈童’はもし美術鑑賞が趣味でなかったら、無縁のままだったろう。

菊慈童は中国の仙人。美麗な容姿の慈童という童子が周の穆王(ばくおう)の寵愛を受けたが、あるときうっかりと王の枕を跨いでしまった。それを妬みをもつ官人に讒言され16歳のとき遥か遠方の深山に流された。これを哀れんだ王から密かに授かった経文を菊の葉に写経し続けたところ、葉の露が渓流に落ち、その水を飲んだ慈童は不老不死になったという。この物語は重陽の節句の由来となっている。

この菊慈童に最初に心を打たれたのが東博の平常展で遭遇した鈴木春信(1725~1770)の‘見立菊慈童’。この絵で春信は若く愛らしい娘を不老不死の美少年・菊慈童に見立てている。着物には長寿の祈りの象徴である折鶴があしらわれている。海北友松(1533~1615)の絵は2017年にあった回顧展(京博)でお目にかかった。紅色の派手な衣を着けた菊慈童が松の根元に座る姿で表現され、まわりに紅白の菊が描かれている。そして、江戸琳派の鈴木其一(1796~1858)、横山大観(1868~1958)、安田靫彦(1884~1978)にも大変魅せられている。


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