‘小野道風像’(13世紀 三の丸尚蔵館)
鈴木春信の‘見立小野道風’(1765年)
世の中には書道に長けた人がたくさんいるが、わが家のまわりにも亡くなった父をはじめとして、書の先生をしていた叔母がいたり、大学の友人にも達筆なのがいる。5人はすぐでてくる。字の上手い人は年賀状は手書きが多い。時間がかかるだろうが、書くこと自体が楽しいにちがいない。
美術館ではときどき名筆を集めた特別展が行われる。たとえば、王義之の書が東博で披露されたりする。日本の能書で鑑賞する機会が多いのが空海(774~835)。空海展はこれまで4回くらい足を運んだので、定番の‘聾瞽指帰(ろうこしいき)’、‘灌頂暦名’、‘風信帖’(いずれも国宝)などにより見事な筆跡を目に焼き付けてきた。
空海の肖像画は西新井大師總持寺が所蔵する‘弘法大師像’がもっとも明快にその姿を印象付けられる。これをみると空海が頭脳明晰の人であったことが容易にイメージできる。彫刻作品はあまりお目にかからないが、2003年京博で開催された‘空海と高野山’に出品された‘弘法大師坐像’が忘れられない。‘弘法大師行状絵詞’は荒れ狂う大波の中、遣唐使船に乗って唐に渡る場面や曼荼羅、経典、法具の制作を行うところなどが描かれている。
日本書道史のなかで和様書道を盛行へと導いたのが能書として名高い小野道風(おののみちかぜ 894~966)。平安時代中期を代表する三跡もひとりである。はじめのころは道風は‘とうふう’でインプットされていた。三の丸尚蔵館にある肖像画をはじめみたとき、戯画っぽい人物描写なので面食らった。この人物がより身近に感じられたのは鈴木春信(1725~1770)が若い娘に置き換えて描いた‘見立小野道風’。これだと書の道に行き詰まりを覚えていた道風が、雨の日に何度も失敗してもそれに屈せず蛙が柳に飛びつくことに成功するのを見て、再び努力することで大成したという逸話が腹にストンと落ちる。