ベルリーニの‘聖女テレサの法悦’(1647~52年頃 コルナーロ礼拝堂)
ベルリーニの‘福女ルドヴィカ’(1671~74年頃 サン・フランチェスコ・ア・リーパ聖堂)
カルパッチョの‘教皇に会う聖女ウルスラ’(14世紀 アカデミア美)
カラヴァッジョの‘アレクサンドリアの聖女カタリナ’(1597年 テイッセン=ボルネミッサ美)
スルバランの‘ポルトガルの聖女イサベル’(1640年 プラド美)
2006年、ローマでベルリーニ(1598~1680)の彫刻を観るため、
ボルゲーゼ美と聖堂をタクシーを利用して精力的にまわった。ベルリーニに
出会う前は彫刻ならミケランジェロという強い思い込みがあった。それが美
術鑑賞が本格的になってくると、TVの美術番組に登場したベルリーニの作品
に強く惹かれるようになった。
追っかけ作品のなかで強い衝撃度をうけたのは聖女を題材にした彫像2点。
‘聖女テレサの法悦’と‘福女ルドヴィカ・アルベルトーニ’は顔の表情が頭がく
らくらするほどリアリティに富むので、つい言葉を失ってみてしまう。
そして、心臓もバクバクしている。聖女テレサも福女ルドヴィカも反宗教革
命の神秘主義的風潮をよく体現した聖者である。
ヴェネツィアのアカデミア美で遭遇した聖女ウルスラの連作も忘れられない。描いたのはカルパッチョ(1460~1495)。ウルスラは伝説の聖女でイギリスの王の娘。その娘の求婚者に対してはキリスト教徒であることを王は条件にし、ウルスラにはローマに巡礼に行くことを命じた。これは連作の一枚で1万1千人の乙女たちを同行させてやってきたローマで教皇に会っているところ。しかし、巡礼の帰途に悲劇が待っていた。ケルンまで来たときに蛮族に襲われ大勢の乙女たちとともに虐殺された。
肖像画としての聖女象ですぐ思い浮かぶのはカラヴァッジョ(1571~1610)の‘アレクサンドリアの聖女カタリナ’。カラヴァッジョのコンプリートを目標にしているから、マドリードにあるティッセン=ボルネミッサ美では立ち尽くしてながめていた。ちょっと怖いのが車引きの刑に用いられた車輪に体を切る釘がでていること。でも、カタリナは‘こんなの怖くないワ!’と堂々としている。スルバラン(1598~1664)の‘ポルトガルの聖女イサベル’にも見入ってしまう。王の妻のイサベルは貧しい人々に施そうとお金を服に隠し持っていた。それを夫に見咎められたのでとっさにここにはバラの花が入っているといってその包みをだすと、なんとバラがでてきた。聖女は奇跡もやってしまう。