日本画家を思い浮かべるとき、一人の画家だけがでてくることはなく志を共
有したグループのメンバーや馬が合う仲間たちと関連付けてイメージされる
ことが多い。日本海の佐渡ヶ島から京都に上り創作に励んだ土田麦僊
(1887~1936)は村上華岳(1888~1839)や小野竹喬
(1889~1979)らとともに新しい日本画の追求し、数多くの傑作を
生みだした。
‘舞妓の麦僊’といわれた麦僊は舞妓をモデルにした作品をいくつも描い
ている。お気に入りはこれまで何度もお目にかかった‘舞妓林泉図’。京都で
活躍した画家なのに運よく東近美でみれるのだから幸せである。南禅寺に取
材した背景の林泉(庭園)は様式化され装飾性にあふれ、緊張気味の舞妓の
表情をうまく調和させている。京近美にある‘大原女’に遭遇したときの感動は
真に麦僊で‘最高の瞬間’!だった。2mをこえる大きな正方形の画面に三人の
大原女が休憩するところが透明感のある緑と青で表現されている。
座る姿は明らかにマネの‘草上の昼食’の構図をもとにしている。そして、まわ
りに咲いているタンポポをみるとボッティチェリの‘春‘の美しい花園が重なっ
てくる。
1997年、東近美で開催された大回顧展で大変惹かれた作品が‘罰’。これは
故郷佐渡における子ども時代の情景を思い出して描かれたものだが、3人の
子どもが何か悪いことをしてその罰として立たされている。視線が集中する
のが上目遣いで悪戯っ子らしい顔つきをみせる右の男の子。これでいっぺん
に麦僊が好きになった。じつに可愛い子ども画である。
‘島の女’は麦僊がゴーギャンに惹かれていたことを如実に示す作品。八丈島は
麦僊には日本のタヒチの思えたのか、島の女たちがみせる素朴でのびやかな
姿が異国情緒風に表現されている。野間美にある大作‘春’はルネサンスの宗教
画の影響が感じられる作品。お互いに手をさしのべる母子の姿は聖母子像
をみるように清らかな愛につつまれている。