国宝 快慶の‘阿弥陀如来及び両脇侍像’(1195年 浄土寺)
仏師の名前で最初におぼえるのは法隆寺の釈迦三尊像などをつくった止利。
そのあとは美しい阿修羅像や東寺の密教彫刻、‘五大菩薩坐像 金剛宝’など
傑作の数々が生まれてくるが、具体的な名前は誰も知らず腕のいい仏師た
ちの仕事ぶりを想像しただただ感心するばかり。そして、宇治の平等院へ
でかけ鳳凰堂のなかにある‘阿弥陀如来坐像’をつくったのが、定朝(?~
1057)であることがどんとインプットされる。
この阿弥陀如来像は均整のとれた温和な表現が特徴の定朝様式でつくられ
ている。調和のとれた円満な姿をみると心が鎮まり、仏像というのはこれ
ほどいいものかと腹の底から思う。以後浄土信仰の流行を背景に各地でこ
の定朝様式にそって寄木造りによる仏像が無数につくられていく。その
意味で定朝は絵画の雪舟のような仏師となった。
その次のビッグネームが鎌倉時代に活躍した運慶(?~1223)と快慶
(?~1227以前)。東大寺南大門の金剛力士立像で二人の名前が胸の
刻まれるが、最初にこの巨大な彫刻をみてしまうと印象があまりに強烈な
のでほかの作品がかすんでしまう。美術にさほど興味のない人はこれで終
わりだが、仏像をもっとみたいと思ってもそう鑑賞の機会があるわけでは
ない。円成寺で運慶の若い頃の作品‘大日如来坐像’をみたのは美術鑑賞が
趣味になった入口あたりの頃、これが運慶の仏像か!玉眼と丸みをおびた
顔とバランスのとれた安定感のあるポーズにいっぺんで魅了された。
この仏像から運慶とのつきあいがはじまった。
快慶についても関心が深く、兵庫県の浄土寺を目指してクルマを走らせ、びっくりするほど大きな阿弥陀如来(5.3m)と両脇の観音、勢至の菩薩を息を呑んでみた。金箔を塗られた姿は神々しく、大変感動した。こんなすばらしい仏像を快慶が東大寺の金剛力士像にもかかわっていたとき合間を縫ってつくっていたとは。藤田美にある‘地蔵菩薩立像’もお気に入り。大阪でもみたが、2015年運よくサントリー美で再会した。