観音菩薩の彫刻で十一面観音が発達した千手観音をみるのが仏像鑑賞の大き
な楽しみになっている。それは1995年にお目にかかった‘日本仏教美術名
宝展’(奈良博)からはじまった。ここで大阪の葛井寺にある‘千手観音菩薩坐
像’と遭遇したのである。十一もある顔だけでもびっくりするのに、数えきれ
ないほど多くの手をもっている。合掌した手を中心に全部で1041本の手
があるというのだから驚き!じっとみていると手が生き物のようにみえてき
た。この遭遇から23年経った2018年、運がいいこに東博の‘仁和寺の
御室派のみほとけ’展で再会した。2度も‘最高の瞬間’!を味わえれば強く心
に刻まれる。天にも昇る気分だった。
ほかの千手観音では唐招提寺で遭遇したものも実際に手が千本あるので立ち
尽くしてみていた。なかなか見栄えのする千手観音像で体を取り囲むように
出た手がぐるぐるまわっているような形をしている。古い話になるが、市川雷
蔵(知ってる人は知っている)の映画では‘円月殺法’という刀の使い方で相手
を斬り倒す場面がでてくるが、そのシーンとこのたくさんの手がダブってき
た。興福寺の千手観音は慶派の仏師の手になるものだが、この手の数は一般
的な42本。一つ々の手は大きいので全体のボリューム感があるのは興味
深い。
東大寺法華堂は数回訪問したが、真ん中で存在感をみせつける‘不空羂索観音立像’に大変魅了されている。ここでは八本の手が均等に配されている。そして、目を見張らせるのが光背で蓮弁を象った四重の光の輪をめぐらし、大小48本の光のすじを放射している。観音像とこの装飾性豊かな光背の組み合わせはほかにみたことがないので特別な観音様をみたという感じがする。
仏像の手が強く目に焼き付けられるのが同じく東大寺にある‘誕生釈迦仏立像・灌仏盤’。この誕生仏は小さいのにとても大きくみえる。それは手に意味があることを知ってながめるから。釈迦は生まれてすぐ七歩歩んで、右手で天、左手で地を指し、‘天上天下唯我独尊’(てんじょうてんがゆいがどくそん)といったという。丸顔で笑みをたたえる釈迦の姿にいつも心を鎮められている。