俵屋宗達の‘風神雷神図’がみたくて東博へ出かけた。現在ここで‘栄西と建仁寺’展(3/25~5/18)が開かれている。
‘建仁寺展’は2002年京博で開催されたのを体験したから、今回はパスしてもいいのだが、琳派狂いのためどうしても上野へ足が向かう。この‘風神雷神図’とか雪舟の‘秋冬山水図’、そして長谷川等伯の‘松林図’は特別な絵という思いが強いから、何度でもみたい。これはクラシックのモーツアルトやベートーベン、マーラーを聴くのと同じ心持ち。
真打の風神雷神様は最後の最後にその雄姿をみせてくれた。ピーク&エンドの法則にのっとった展示の仕方。絵画の楽しみに限っていえば、ピークにあたるのが海北友松(かいほうゆうしょう 1533~1615))の大迫力の‘雲龍図’でエンドが雷神のおおらかな笑いが聞こえてきそうな‘風神雷神図’。
昨年、BSプレミアムのアーカイブスで放送された‘天才画家の肖像 宗達’のなかで風神が乗っている雲の部分が黒くなっているの元は銀箔が貼られていたからではないかと推測されていた。背景が金箔と銀箔で装飾されていたとすると、風神と雷神の姿はよりいっそうカッコよくみえたにちがいない。この二神の魅力はユーモラスで漫画チックなところ。つい‘また会いに来たよ、元気だった’と声をかけたくなる。
京博で開催されたときと同様、海北友松の襖絵がどどっと飾られている。その白眉が‘雲龍図’、ぼこっと盛り上がる背骨の形をみると恐竜の骨を連想させ強そうだなと思わせるが、視線をヒトデみたいな眉毛と下品にでている鼻毛に移すと老いの悲哀を感じさせ、ちょっと親しみを覚える。蕭白はボストン美蔵の雲龍図を描いたとき、この龍を参考にしたのかもしれない。
美味しいメインディッシュ二皿のほかにもいいのがでてくる。長谷川等伯、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、白隠、ここまでは京博と同じラインナップ、等伯(1539~1610)の‘松に童子図襖’は前回もそう感じたのだが、右の童子が宙に浮かんでいるようにみえる。
蕭白(1730~1781)の‘山水図’(京都・久昌院)は2年前千葉市美であった曽我蕭白展にも展示された。画面下半分の家々や岩は三角のフォルムが目立つのに対し、上半分は山々が丸く量感豊かにもこもこした感じで描かれている。右では山間から滝が流れ落ち、左の山の風景の向こうに月が顔をみせる。こうした北宋風の蕭白の山水は心に響く。