‘スラブ叙事詩 原故郷のスラブ民族’(1912年 プラハ市美)
絵画や彫刻への興味が普通程度のときにはまったく知らなかったのに、美術
全般にわたって関心が広がっていくと、こんなすごい美術家に遭遇できて幸
せだなと思うことが多々ある。チェコのアルフォンス・ミュシャ(1860
~1939)はそのひとり。美術の魅力にどんどん惹きこまれていったとき、
TVで放送される美術番組は見逃さずにみていた。ビデオ収録しその内容を
メモに残しているが、ミュシャを知ったのは1999年、あの村上隆が堺市
ミュシャギャラリーを訪問した番組だった。
パリに出たミュシャがその才能を開花するきっかけとなったのが女優サラ・
ベルナールのポスター‘ジスモンダ’を制作したこと。これが大当たりして、
アール・ヌーヴォーの旗手として装飾性豊かなポスターや版画をどんどん生
み出していった。もっとも心を奪われたのはリトグラフの‘黄道十二宮’、うっ
とりするほど美しい横顔をみせる女性、その長い金髪は前後に動くように
カールされている。この髪の表現はやりすぎるとビジーになるが、調度いい
ところで加減しているので華麗さを浮き立たせている。
2003年中欧をまわったとき、チェコのプラハも訪問した。プラハ国立美
ですばらしいミュシャの絵に遭遇した。この‘スラ―ヴィア’は事前に情報がな
かったので、うわーとなった。民族衣装を着た少女がもつ輪はスラブの団結
の印、足もとの鷲は支配者ハプスブルク家を象徴している。ミュシャはこの
絵でオーストリアからの独立を訴えた。
2017年、天にも昇るような展覧会が実現した。故郷のチェコに戻った
ミュシャが50歳のときから17年かけて描き上げた‘スラブ叙事詩’(全20
点)が国立新美の広い会場に全部披露された。描かれているのはスラブ民族
の苦難と栄光の歴史を映す出す壮大なスペクタクル。前々から鑑賞を夢見て
いたので嬉しくてしょうがなかった。とくに長く見ていたのは一番最初の
‘原故郷のスラブ民族’、‘スラブ式典礼の導入’、そして最後の‘スラブ民族の賛
歌’。ミュシャに乾杯!