‘鉄橋、アルジャントゥイユ’(1874年 フィラデルフィア美)
‘パラソルを持つ婦人’(1875年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー)
音楽を聴いていて至福の瞬間が訪れるのはクラシックでもポップミュージッ
クでも演歌でもさびのメロディのところ。そこへくると気持ちがぐんと昂ぶ
り、歌手と一緒に大きな声を出して唄いたくなる。時間が流れている音楽で
はこのメロディラインが繰り返しでてくるから、歓喜の振動の幅はだんだん
大きくなっていく。
これに対しいい絵画に出会ったときは、一瞬で喜びはプラトー状態になる。
絵の前で‘ウヮー、すごい○○!’と思うわず唸る。感激する○○は人夫々。絵
の楽しみを色彩に求めている人は心を打つ色の美しさ、輝きに強く反応する。
また、モチーフの形や全体の構図の斬新さに大きな喜びを感じる人も多くい
る。そうした心を大きく突き動かす要素はみている者の感じ方の調子にも関
係してくる。色彩がなにか生き物のように生き生きとして感じられるときも
あれば、色が消えて形だけが残りフォルムとフォルムの絡みや融和がとても
刺激的に映ることさえある。絵が好きな人の反応の仕方も単純ではない。
モネ(1840~1926)の大回顧展が2010年パリのグラン・パレで
開催されたとき、白の輝きに体が震える絵があった。オルセーにある雪の絵‘
かささぎ’。タイトルのかささぎに視線がずっととどまっているということは
なく、とにかく陽に照らされた雪の白は心に沁みる。たしかに雪が降りやん
で光がさしてくるときは雪の白は目にまばゆいくらい美しくみえる。
もう一点感激した白があった。それは‘鉄橋、アルジャントゥイユ’に描かれ
た機関車の吐く煙と橋脚。隣に飾ってあったオルセー蔵の同じタイトル
の絵と比べると白のインパクトが全然ちがう。オルセーの絵を単独でお目
にかかるといいなと思うだろうが、フィラデルフィアのものをみてしまうと
もうこれはみれない。一度参照ポイントが上がってしまうと、こういう評価
の変化がおきる。
‘パラソルを持つ婦人’は一度日本にやってきた。ワシントンのナショナル・
ギャラリーが所蔵する自慢の印象派がたくさん並んだが、空の雲と衣裳の白
が一際目立つこの絵は深く目に焼きついている。どのくらい白の印象が強い
かはかなり離れてながめてみるとよくわかる。そこからでも絵のところは明
るくみえる。まるで発光体から光がでているようだった。これはスゴイ!