大原孫三郎(左)と児島虎二郎(右)
ロートレックの‘マルトX夫人の肖像―ボルドー’(1900年)
Myカラーが緑&黄色なのは1986年、西洋美で開かれたワールドクラス
のエル・グレコ(1541~1614)の回顧展をみたことが大きく関係し
ている。このとき忘れられない光景があった。それはほぼ同じ構図と色使い
で描かれた倉敷の大原美とブダベスト美が所蔵する2つの‘受胎告知’が並んで
飾られていた。こういう鑑賞体験があると大原美のコレクションの凄さがい
っぺんに理解できる。
倉敷の実業家、大原孫三郎(1880~1943)がこの絵を手に入れるのに
大きな働きをしたのが、大原の依頼をうけて欧州に行き絵画を収集していた
洋画家の児玉虎次郎(1881~1929)。虎次郎は同じ岡山県の出身で
孫三郎よりひとつ年下。孫三郎はパトロンとして生涯虎次郎を経済的に支援
し、絵画収集を一任していた。2度目の欧州行きのとき、1922年(大正
11年)児島はパリの画商のところへいくと‘受胎告知’があった。
値段は15万フランと非常に高かったので、すぐ大原に電報を打って買って
いいか確かめて購入している。当時の5万円で大原美術館が1930年に建
ったときその費用が同じ5万円だった。
虎次郎の絵画購入話はまだある。大原美にあるモネ(1840~1926)
の‘睡蓮’は虎次郎がジヴェルニーのモネの邸宅を訪ねて直談判して売ってもら
ったもの。この頃モネの絵は入手が極めて困難だったが、虎次郎は熱い
思いをモネにぶつける。‘私個人のためではありません。日本の若い絵描きのために、絵を譲ってください’。この体当たり作戦が功を奏しモネは秘蔵の大作‘睡蓮’を手放してくれた。
そして、ゴーギャン(1848~1903)の有名な‘かぐわしき大地’とロー
トレック(1864~1901)の‘マルトX夫人の肖像―ボルドー’も虎次
郎の眼力によるもの。とくにゴーギャンの絵はやがて大原美だけでなく日本
の宝になるのだから、本当に‘good job’だった。