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Clik here to view. ミレイの‘安息の谷間’(1858年)
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Clik here to view. ブラウンの‘干し草畑’(1855年)
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Clik here to view. コリンズの‘5月、リージェンツ・パークにて’(1851年)
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Clik here to view. ダイスの‘ペグウエル・ベイ、ケント州’(1858~60年)
ラファエロ前派で関心の大半を占めているのはロセッティ、ミレイ、そしてバーン=ジョーンズ、だから正直言ってハントとかブラウン、ヒューズの作品の前に立っている時間は長くない。
ロセッティの描く女性画は歌麿の大首絵の美人画のようにどっと迫ってくる感じだが、ミレイ(1829~1896)の女性肖像画は子どもでも大人の女性でも全身像によりその美を完璧に表現しているイメージが強い。とにかく肌合い、髪の毛、衣装がびっくりするほど精緻に描かれているので強く印象に残る。
1858年に制作された‘安息の谷間’は2008年にBunkamuraでお目にかかったとき、右の尼僧の目力に圧倒された。夕暮れ時の墓場、左ではもうひとりの尼僧が腕まくりをして墓を掘り起こしている。この手前の二人とその向こうに立ち並ぶ糸杉とポプラは並行的に描かれているので、画面はとてもみやすい。だから、よけいにこの右の女性の目が気になる。
はじめてみたブラウン(1821~1893)の風景画が新鮮だった。イギリスの画家の風景画というとコンスタブルとターナーをすぐイメージするが、ラファエロ前派のブラウンにも風景を描いたものがあった。モチーフは干し草畑、モネの有名な連作積み藁やミレーの農村の絵とはちがい、ここでは月が輝いている。これは農村のイメージが変わる幻想的な光景。小さな絵なのに強く印象付けられた。
もう2点足がとまった風景画がある。コリンズ(1828~1873)とダイス(1806~1861)の作品。どちらもすごく奥行きを感じさせる絵。共通しているのは視線が横に動くこと。手前をまず左右にみてだんだん上にあがっていく。こういう風にみていくと遠近法とはちがって人物でも木々や草花、そして断崖でもじっくり目が追っていける。そのため、描かれた人物がなにをしているのかよくイメージできる。
‘ペグウェル・ベイ、ケント州’はモネやクールベが描いたエトルタの海岸を連想した。テートブリテンが作った図録(英語版)にこの絵は載っており目にとまっていたが、本物は見ごたえのあるいい絵だった。これでイギリスの風景画に対する見方が変わった。