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Channel: いづつやの文化記号
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Anytime アート・パラダイス! 歌川広重(10)

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        ‘名所江戸百景 亀戸梅屋敷’(1857年)

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        ‘名所江戸百景 鎧の渡し小網町’(1857年)

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     ‘山海見立相撲 相模大山’(1858年)

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     ‘木曾海道六拾九次之内 大井’(1835~38年)

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        ‘東都名所 霞ヶ関夕景’(1835年)

広重の回顧展はこれまで運よく片手くらい遭遇することができたが、そのう
ち2回が広重の浮世絵風景画の集大成である‘名所江戸百景’の全点公開。
出世作の‘東海道五拾三次’が横の画面だったのに対し、江戸百景のほうは縦長
の画面に118枚の名所絵が描かれている。太田記念美はこの特別展に優れ
ものの図録を用意してくれた。版画の下に明治から大正のころの写真と現在
の光景のセットで名所を解説してくれている。ときどき眺めてはいつかその
場所へ出かけようと思っている。

海外の浮世絵ファンが北斎というと‘神奈川沖浪裏’をすぐ思い浮かべるとす
れば、広重はゴッホが模写して有名になった‘亀戸梅屋敷’がイメージされるか
もしれない。手前に梅の幹が極端に大きく描かれ、枝の隙間から背景の梅林
の様子をのぞき見するように梅を愛でるために集まった人々が小さく点描さ
れている。この対比がとても斬新。これをみた西洋の画家たちはこんな描き
方があったのか、とそのアヴァンギャルドぶりに頭がくらくらしたにちがい
ない。

この描き方で構成された景観が名所江戸百景には数多くでてくるが、‘鎧の
渡し小網町’では右に傘をさした女性を後ろ姿でどんと立たせている。でも
全身ではなく傘を持つ手はみえず傘も半分だけ。ここは江戸橋の下流で小網
町と茅場町を結ぶ渡しがあるところ。その渡し舟が2艘、女の視線の先に
浮かんでいる。この女と船は左に消失点がある透視図法により構成されてお
り、向こう側にみえる土蔵の描写には右真ん中に消失点をつくりその大きさ
をだんだん小さくしている。透視図法を自分のものにし巧みな構図に仕上げ
ているのがスゴイ。

亡くなる年に描かれた‘山海見立相撲 相模大山’は目の覚める青で表現され
た大滝が印象深くのこるだけでなく、滝のまわりの山にみられる抽象画的な
灰色の稜線がとても気になる。これは現代アートの感覚がある。それと同じ
思いがするのが‘木曾海道六拾九次之内 大井’。雪の積もった松の木の間を
人馬がこちらに向かってきている。後ろの馬は顔を描いているが、ほかはみ
な顔がなく雪がかかった笠と蓑だけ。類型化されたフォルムはシャープな
現代デザインをみているよう。この感じとよく似ているのが‘東都名所 
霞ヶ関夕景’に描かれた逆‘く’の字の托鉢僧の列。こういう異色の作品をみる
と広重には前衛的な造形や色彩感覚がそなわっていたのだろう。たいした
浮世絵師である。


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