浮世絵の大首絵美人画ならすぐ喜多川歌麿を連想するように、武者絵いうと
すぐ二人の画家がでてくる。小堀鞆音(1864~1931)の‘武士’と
前田青邨(1885~1977)の‘洞窟の頼朝’。栃木県の佐野市生まれの
小堀は竹内栖鳳と同い年で横山大観より4つ年上。合戦中の武士がこれほ
ど力強く表現された絵はほかにみたことがない。顔は青邨の頼朝とよく似て
いるため、一人の武士が動と静を演じているように思える。
芸大美のコレクション展(春と秋)でお目にかかった平櫛田中(1872~
1879)の‘転生’はみた瞬間体がフリーズするほどの怖さがある。これは鬼
が子どもを食ったが、なまぬるいので、こんな生温ッ子が食えるか生まれ変
わって来いって、火焔のなかに吐き出しているところ。あまり長くみている
と夢でうなされそう。
竹内久一(1857~1916)の大きな彫刻にも圧倒される。‘伎芸天‘は
2mを超える巨大な木彫。天平彫刻を表現するため極彩色で彩られている。
1893年に開かれたシカゴ万博に出品されアメリカ人の目を釘づけにした。
もうひとつ忘れられないのが明治天皇の顔をもとにつくられた‘神武天皇立像’。
政治的な演出は横におくと、こんな巨像があったのか!と唸ってしまった。
明治以降に活躍した彫刻家は高村光雲、光太郎の親子くらいしか知らなかっ
たのに、美術鑑賞にたっぷり時間をつぎこむとほか彫刻家もすこしずつ頭に入
ってくる。橋本平八(1897~1935)の子どもの彫刻が心を癒してく
れる。お気に入りは東近美でみた‘幼児表情’とここにある‘或日の少女’。この
少女は岸田劉生の子ども画とも重なる。
近代漆芸界の神様的な存在である松田権六(1896~1986)の‘草花鳥
獣文小手箱’は東京美術学校の卒業制作。あまりの出来映えに教授陣が百点満点
をつけたら、権六は‘芸術に満点はありえない’と抗議したという。高い技術を
もっているだけでなく芸術とむきあう姿勢に根性が座っている。