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スーラの‘ポール=アン=ベッサンの外港、満潮'(1888年 オルセー美)
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シニャックの‘微風、コンカルノー'(1891年)
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シニャックの‘マルセイユ港の入り口'(1911年 オルセー美)
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ドランの‘ウォータールー橋'(1906年 テイッセン=ボルネミッサ美)
イギリスの著名な美術史家ケネス・クラークの著作のひとつに‘風景画論'
(1949年)というのがある。西洋画における風景画の位置づけを知るに
は丁度いいだろうと思って読んだのだが、気になることが書かれていた。
クラーク大先生は‘風景を絵にするのはおもしろくない'とおっしゃる。われ
われ日本人は水墨画や浮世絵があるので風景画を絵のジャンルとしては高い
ところにおいている。だから、この発言はちょっとショックだった。
この本を読んだ後、家のまわりの風景をじっくりながめてみた。たしかに
クラークのいうことがあたっているといえなくもない。いつもの見慣れた
光景に激しく心が揺すぶられることはない。立ち止まって感じ入る風景と
いうのは目を奪われるほど美しい街のなかを流れる川とか雄大な山々、
広々とした海の光景といったものに限られる。そのため、感情が深く入っ
ていく風景画に遭遇することは少ないし、人物が描かれていないものはなお
さらそうなる。
こうした目の前の光景をリアルにとらえて画面をつくっていくものと比べる
と、スーラ(1859~1891)やシニャック(1863~1935)が
はじめた点描を用いた風景画は色彩の力が強くなり装飾性があり意匠的な
表現がみられるようになる。スーラは人物のいない静謐なイメージの海景画
をいくつも描いている。お気にいりのひとつがノルマンディーのポール=
アン=ベッサン。目を細めてみると小説が書けそうな風景にみえてくる。
色の点々の大きさがスーラより少し大きいシニャックの点描風景画。最も魅
了されているのが‘微風、コンカルノー'、風が相当強く吹いているためたくさん
いるヨットの帆が大きく傾いている。なんだか海のポスターをみているよう。
‘マルセイユ港の入り口'とドラン(1880~1954)の‘ウォータール―橋'
は斑点の効果で色彩がいっそう浮きたち強烈な陽の光が目に突き刺さってくる。