民藝派の河井寛次郎(1883~1959)や濱田庄司(1894~
1978)の回顧展を欠かさずみるようにしているが、今年はまだ遭遇し
ていない。以前はよく出かけていた日本民藝館へは所蔵作品をほとんどみ
たので、ご無沙汰が続いている。ここで柳宗悦(1889~1961)か
らやきものをはじめとして素朴な工芸品から美を感じとることを教えてもら
った。お陰でやきものをより深く味わえるようになったが、河井や濱田の
作品に接したのはここより大原のほうが先だった。
やきものは絵画や彫刻などが飾られている本館の建物とは別のところに並ん
でいる。当時はまだ美術への関心は普通のレベルだったので今ほど熱い思
いに駆られてはいなかった。作者の名前がしっかりインプットされたかは
曖昧。印象深かったのは寛次郎の目の覚めるような青がぐっとくる‘緑釉六方
鉢’、こんな色鮮やかなやきものがどうやって生まれてくるのか。陶磁器に
興味をもつきっかけになった作品のひとつだったかもしれない。美術品との
出会いは突然やってくる。
一方、濱田は大皿の絵付けがダイナミックな‘青釉黒流描大皿’に度肝をぬか
れた。これまでみたやきものとはまったくイメージが違った。バネを思わせ
る太い黒の流れが上下ペアとなり模様をつくっている。まるで抽象画をみ
ているよう。後で知ることになるポロックのドリッピングと同じことを濱田
はやきもので行っていた。やきものはろくろを回したりするから古くからの
伝統をひきついでいることは確かだが、アイデアは現代アーティストの頭の
なかと同じ。これがスゴイ!
富本健吉(1886~1963)とイギリス人のバーナード・リーチ
(1887~1979)は若頃からうまがあったようだ。大原にある富本は
白磁の丸壺などいいのが揃っているが、古九谷風の色彩が目をひく‘色絵黍模
様菓子皿’がすばらしい。河井も濱田も作陶の精神としていいことを述べて
いるが、富本は‘模様から模様を作らない’と言い続け、人の作品の真似をせ
ず独創的で緻密な模様を創作し見る者を感嘆させた。
リーチの黄橙色の大皿に描かれた人魚は一度見たら忘れられない。7年前
日本橋高島屋で開かれたリーチ展で再会し、当時の感動を思い出した。また、
陶板に登場した荒ぶる獅子もよみがえった。リーチは日本語も達者だから
イギリスの陶芸家という気がしない印象。