日本画は美術館にいつも展示されないため本物との出会いにはかなり長い時間がかかる。これに対して西洋画は修復中とか展示室の改装工事の期間を除けば所蔵している美術館に足を運べばお目当ての作品をみることができる。だから、リーチ一発というのが普通。
ところが、前のめりになって入館したのに‘現在この部屋は工事中で閉鎖されてます!’という想定外のことが時々おこる。ワシントンナショナルギャラリーへ2008年行ったときはロココ絵画はこの案内で鑑賞を妨害された。一番のお目当てだったフラゴナール(1732~1806)の‘読書する娘’に会えたのは5年後のこと。
黄色の服で印象深いのはフェルメールの絵に出てくる女性、例えばワシントンにある‘手紙を書く女性’とフラゴナールのこの作品。Myカラーが緑&黄色なのでこういう目の覚めるような黄色に遭遇すると熱く反応する。驚かされるのは明るいライブ感覚、ここにはロココの甘ったるい雰囲気がなくマネやルノワールの女性画を横に並べても違和感のないほど近代的、すぐそこまで新しい都市生活がやってきている感じ。
METにもいいロココが揃っているが、ここのヴァトー(1684~1721)の‘イタリアの喜劇役者たち’の前に立つとルーヴルにいるような気になってくる。当時のフランスで大いにはやったエンターテイメント生み出す役者たちの軽快な動きと心意気がびしびし伝わってくる。
ヴァトーの20年後に生まれたブーシェ(1703~1806)の裸婦は開放的でぽっちゃり系のイメージがありつい長くみてしまう。そして、この絵のようにキューピッドやおちび天使のティツィアーノ風の描き方が心を打つ。ところが、キューピッドをよくみるとその目がやけにきついことに気づく。この目が画面をひきしめている。
ロココの画家と同じ時代に生きたのに別の道を歩んだシャルダン(1699~1779)、‘トランプの家’に大変魅了されている。このトランプ遊びをする絵をほかにも3,4枚みた覚えがある。音の聞こえない静かな空間だが、少年の手の動きをじっとみてしまう。