西洋絵画に続いて、日本美術で強く心を揺さぶった作品を10選んでみた。いずれもはじめてお目にかかったもの。
昨年ワシントンのフリーア美で長年追い続けた俵屋宗達の‘松島図’をみた。これで日本画を語る上で欠かせないピースが大方うまった。そのため、追っかけは一段落し心のなかでは日本美術はもう済みマーク状態。といっても展覧会へはもう行かないというのではなく、いたって気軽にみている。自然体の鑑賞スタイルで気になっている作品が1点あればそれで十分、それをいつくしむように長くみている。
横浜そごうで開催された福井県美蔵品による‘日本画の革新者たち展’(1/16~2/16)で目を楽しませてくれたのが狩野芳崖(1828~1888)の‘伏龍羅漢図’、こんないい芳崖の作品が福井にあったのか、という感じ。大収穫だった。
高島野十郎(1890~1975)の回顧展(4/9~6/5、目黒区美)も忘れられない展覧会だった。強烈なイメージを残す自画像からはその繊細で写実性にとむ画風はちょっと想像できないが、描かれた風景画や静物画はみる者の魂を奪うほど強い磁力を放っている。最もみたかったのが雨を表す細い線に目が吸い寄せられる‘雨 法隆寺’、しばらく高島野十郎のことが頭から離れなかった。
韓国からやって来た‘半加思惟像’は本物をいつかこの目でと思っていた彫刻、TVの美術番組で中宮寺の国宝‘半加思惟像’がとりあげられるときは必ず韓国にあるこの像がでてくるのでずっと関心を持ち続けてきた。その思いが東博で行われた‘ほほえみの御仏ー二つの半跏思惟像-’(6/21~7/10)で叶ったのだからいうことなし。見る角度によって弥勒菩薩の表情がいろいろ変わるのも名品の証。
東芸大で開かれた‘いま、被災地からー岩手・宮城・福島の美術と震災復興ー’(5/17~6/26)で昨日アップした松本竣介の‘画家の像’同様、立ち尽くしてみていたのが萬鉄五郎(1885~1927)の‘赤い目の自画像’、この絵はある展覧会に出品されたのに展示替えのため見逃した。長いこと待たされたが対面の時がきた。盛岡へ出向かなくてみれたのは幸運だった。