今年は松本竣介(1912~1948)に縁があった。5月、東芸大美で宮城県美が所蔵する‘画家の像’という見ごたえのある肖像画をみた。そのとき、秋に神奈川県近美の鎌倉別館で‘松本竣介展’(10/8~12/25)が開催されるという情報をえていたかどうか記憶があやふやだが、出かける計画はたてていた。
神奈川県近美の本館は今年惜しまれながらクローズしたのに目と鼻の先にある鎌倉別館のほうは存続している。その理由がよくわからないが、チケットを買うときそのことを聞くときょとんとされた。当面は大丈夫そう。ここへきたのは久しぶりなので建物のレイアウト感覚がなくなっていた。2階が展示室だった。
‘画家の像’の1年後に描かれた‘立てる像’、ともに大きな絵で縦は1.6mもある。‘立てる像’を最初にみたのはどこだったかすっかり忘れたが、この絵によって松本竣介という洋画家を知った。刷り込まれたイメージは学生服を着た大きな男、今ふたたびみるとこの男のでかさはガリバー級、そしてある絵がオーバーラップする。
それはアンリ・ルソーの‘私自信、肖像=風景’(1890年 プラハ国立美)、図録の論考、作品に説明のどこにもルソーの名前がでてこないが、竣介はルソーのこの絵をみなかったのだろうか。こういうときは高い確率で影響を受けていると思ったほうがいい。
今回作成された図録の冒頭に竣介の写真が載っていた。‘自画像’を以前みたときイケメンのシテイボーイの感じがしていたが、実物はたしかに絵描きに思えないくらいすっきりした顔をしている。サラリーマンでいうとエンジニアのイメージ。
音がまったく聞こえてこないような橋や都会の風景を描いた作品が全部で5点でていた。描かれているのは東京や横浜の街の一角、本来なら都市の風景がこんなに静まり返っていることはないが、時は生きる希望や楽しみが消え去った戦時下、切れ切れになった都市の面影がじつに切なく描写されている。