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Channel: いづつやの文化記号
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美術館に乾杯! テイト・モダン その十五

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Img_0003     ウォーホルの‘マリリン 折り書き札’(1962年)

Img     リキテンスタインの‘ワーム’(1963年)

Img_0001     ケリーの‘ブロードウエイ’(1958年)

Img_0002     オルデンスバーグの‘ソフト排水管(青ヴァージョン)’(1967年)

ウォーホル(1928~1987)というとすぐ思い浮かべるのがマリリン・モンローをモデルにしたポートレイト、いろいろなヴァージョンのなかでテイトに飾ってあるのは色つきのモンローと黒白のモンローが切手のシートのようにセットで組み合わさったもの。

普通の肖像画は同じポーズなら一枚限り、さらに依頼される場合はポーズや衣装を変えて描かれる。ところが、モンローの写真を元ネタに使って肖像画に仕立てるときは背景や顔の色などを変えると何枚でも作れる。ウォーホルに惹きつけられるのはこの色の選択の上手さ。ポップアートのパワーはこの複製のマジックによって生み出される。

リキテンスタイン(1923~1997)の回顧展に遭遇することをずっと夢見ている。これまでリキテンスタインの漫画をみたのはそれほど多くなく両手くらい。そのため、お目にかかった作品はよく覚えている。‘ワーム’は縦1.7m、横4mの大作、漫画を読む習慣がないのでこうした鑑賞体験はとても新鮮で体が軽くなる。

3年前に亡くなったケリー(1923~2015)はリキテンスタインと同じ年に生まれている。幾何学的抽象の名手でその魅力を支えているの明快な色彩。NYにいるとき描かれた‘ブロードウエイ’、タイトルは誰もが知っている街だがこのほんの少し左に傾いた赤の色面からではモンドリアンの絵のようにブロードウエイのイメージは沸いてこない。むしろ、赤を得意としたニューマンの作品がダブってくる。

日用品をびっくりするほど大きくし布やビニールでかたどった‘ソフト・スカルプチャー’で一世を風靡したオルデンスバーグ(1929~)、作品になったのはトイレ、ドラムセット、ベースボールバット、、、‘ソフト排出管’はビニールは使われていないがヴァリエーションのひとつ。排出管に掛けられているものからは象の耳、トランク、磔などが連想される。


美術館に乾杯! テイト・モダン その十六

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Img_0002    ムニョスの‘コーナーにむかって’(1989~92年)

Img     ゴーバーの‘無題’(1989~92年)

Img_0004     シャーマンの‘無題A,B,C,D’(1975年)

Img_0001     ダマスの‘アイボリーブラック’(1997年)

現代アートを展示した会場に足を踏み入れると、普段の生活とはかけ離れた世界に遭遇することがある。スペインの彫刻家ホワン・ムニョスの‘コーナーにむかって’は謎の中国人にとり囲まれた気分になる。ベンチに座ったり立ったりしている7人の男性は皆同じ顔立ちで同じ服装をしている。

そして、その姿になにかギョッとする思いがおこるのは彼らが全員にこやかに笑っているから。明らかに東洋系の人物なので身近な感じがするのはいいのだが、はてこの大げさでない品のいい笑いは何なんだ!という気もする。ムニョスの作品をみたのはこれとかなり前に行われた森美の開館記念展に出品されたものだけ。2008年ビルバオのグッゲンハイム美で回顧展があったらしい。日本にも作品がたくさんやって来ることを期待したいが実現は難しそう。

ゴーバー(1954~)の作品はだまし彫刻の類。部屋の壁から男の右足がにょきっと出ている。素足ではなくちゃんと靴もソックスもズボンもはいている。こんなものが急に現れたら誰だって肝を冷やす。薄明りの夜にみたら、あまりの怖さで猛スピードで逃げ出すだろう。ドイツのゲオルグの逆さまになった人物の絵ははじめは違和感があるが時間が経つと慣れてくる。ところが、この切断された足は何度見ても怖さは消えないだろう。

シンディ・シャーマン(1954~)はアメリカの女性写真家。彼女はかなりハードな前衛でオリジナルの自分の姿をあれこれ違うキャラクターに変えて撮っていく。まるで七変化の舞台を演じる役者のよう。髪型や衣装を変え男や少女、老婆などに扮していく。こういう変装上手は日本にもいる。名画のなかの人物や女優になりきる森村康昌、二人をくらべるとシンディのほうが別人にみえる。

今年横浜美であったテイト・モダン展の出品作にマーレン・ダマス(1953~)の‘アイボリーブラック’も含まれていた。彼女は南アフリカの出身で後にオランダへ移住した。この少女の肖像はどことなくアフリカのプリミティブで神秘的な雰囲気がよくでている。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その一

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Img     ギリシャ神殿風のテイト・ブリテン

Img_0005    イギリス派の‘双子の婦人’(1600~10年)

Img_0002     ヴァン・ダイクの‘スペンサー家の貴婦人’(1633~38年)

Img_0003     リリーの‘キルデア伯爵夫人エリザベス’(1676年)

テムズ河畔にたたずむテイト・ブリテンはイギリス美術を展示する国立の美術館。ターナー、コンスタブル、ラファエロ前派など人気の絵画がずらっと飾られており多くの美術ファンが押し寄せる。はじめて訪れたのはかなり前だが、その頃はイギリス絵画だけでなくとピカソやダリなどの近代絵画も展示されていた。そのため館内では忙しくみた覚えがある。

現在のテイト・ブリテンになってからは2度足を運ぶ機会があった。おかげでどんな展示レイアウトになっているかはおおよそ頭に入っている。フロアは1階だけ、そしてターナーの作品はターナーギャラリーに集められている。コンスタブル、ブレイク、ロセッティ、バーン=ジョーンズ、ミレイたちの絵は正面入り口を進んだ左右の部屋でお目にかかれる。

イギリス絵画が輝きはじめるのはターナーやコンスタブルがでてきたころから、だから、それ以前に描かれた作品はよく知らない。だが、地方の画家が17世紀のはじめに描いた‘フ双子の婦人’には思わず吸い込まれた。双子の絵はこれまで見ただろうか、という好奇心が湧き長く見ていた。

この姉妹は同じ日に結婚し同じ日に子どもを授かった。よくみると二人はほとんど同じ顔立ちだが、右の婦人のほうが目が濃く、生まれた赤ちゃんも同じように右の子のほうがくっきりした目をしている。記憶に強く残る肖像画だった。

1632年チャールズ1世のお抱え画家になるためにロンドンに招かれたヴァン・ダイク(1559~1641)はここには1点だけある。それが‘スペンサー家の貴婦人’。婦人が着ている衣服の絹地の質感描写が目を釘づけにする。この絵は20年前日本にやって来た。

ヴァン・ダイクが亡くなったあと才能豊かな肖像画家として名を馳せたのがピーター・リリー(1618~1680)、‘キルデア伯爵夫人エリザベス’はお気に入りの一枚。モデルの美しさは目を見張るばかり。彼女の美貌が伝説となるほどだったことは一目でわかる。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その二

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Img_0001     ゲインズバラの‘ジョヴァンナ・バチェッリ’(1782年)

Img_0002     ロムニーの‘キルケーに扮したハミルトン夫人’(1782年)

Img_0003     レノルズの‘ブーケの花を着飾る三人の婦人’(1773年)

Img     ホガースの‘使用人の六つの頭部’(1750~55年)

イギリスの画家で好みの第一列にいるのはターナー、コンスタブル、ブレイク、そしてラファエロ前派。次の二列目はゲインズバラ(1727~1788)とロムニー(1734~1802)。だから、ナショナル・ギャラリー、テイト・ブリテンでまず目に力をいれて見るのはこうした画家。

これまでお目にかかったゲインズバラのなかで最も印象深いのがジョヴァンナの肖像。踊るようなポーズをとっているのは彼女が人気のバレリーナだったから。舞台用のメイクをし衣装を着ている。ゲインズバラは作品をもっとみると第一列に移るような気がする。ターゲットにしている‘デボンシャー公爵夫人ジョルジアーナ’に対面したら確実にそうなるだろうが、まだそのときが来ない。

ロムニーの‘キルケーに扮したハミルトン夫人’はTVに出演しているアイドルタレントのような感じ。小顔で目がぱっりしてしているのですごく魅せられる。どうでもいい話だが、今の日本の若い女性はこのモデルのように小顔の人が多い。昔の女性とくらべたらすごく増えたように思えるのだが、どうしてこんなに変わってきたのか不思議でならない。

レノルズ(1723~1792)はナショナル・ギャラリーに若い軍人を描いたいい絵があるが、ここの‘ブーケの花を着飾る三人の婦人’も古典の寓意画の趣があり、その高い画技に見入ってしまう。イギリス画壇の大御所にまでのぼりつめただけのことはある。

ホガース(1697~1764)の‘使用人の六つの頭部’は珍しい肖像画。みんなホガースの家で働いた人たちだが、六人まとめて描くというのがおもしろい。オランダの集団肖像画とはちがって親しみがもてる。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その三

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Img_0003    ライト・オブ・ダービーの‘空気ポンプの実験’(1768年)

Img_0001    ライト・オブ・ダービーの‘ブルック・ブースビーの肖像’(1781年)

Img_0002     フュ―スリの‘短剣を奪い取るマクベス夫人’(1812年)

Img     スタッブズの‘馬に食らいつくライオン’(1769年)

画家に対する関心は作品をあるていどまとまった形でみないと本物にならない。ライト・オブ・ダービー(1734~1797)はイギリスの美術館をまわって作品の数が増えれば確実にのめりこむことはわかっている。そう確信させるのはラ・トゥールを彷彿とさせる‘夜景画’に心を揺すぶられているから。

ジョゼフ・ライトはバーミンガムから北へ50㎞くらいのダービーに生まれた。以前イギリスを仕事で回ったことがあり、ダービーはエディンバラへクルマで行く途中通ったかもしれない。この街にすごい画家がいたことを強く認識したのは6年前のこと。たしか国立新美であったエルミタージュ美展で‘外からみた鍛冶屋の光景’に大変魅了された。そしてライトはラ・トゥールの生き返りだなと、思った。

ライトに開眼するのが遅れたので、代表作‘空気ポンプの実験’はまだお目にかかってない。この美術館は数度訪問しているのにみたという実感がないのだから、チコちゃんから‘ボーっとみてんじゃねえよ!’と一喝されそう。次にロンドンへ行くことがあったら必見リストの最上位に載せておくつもり。

肖像画の傑作‘ブルック・ブースビー’は1998年のテイト・ギャラリー展(東京都美)に出品された。この人物はライトと同郷の作家でフランスの哲学者ルソーの親友だった。男性の肖像画としてはなにか違和感があるのは横向きに寝そべるポーズがまるで古典画の裸婦像を連想させるため。

スイス人のフュ―スリ(1741~1825)は24歳のときロンドンに渡り、そのあとずっとイギリスで暮した。この画家の作品には不気味さがまじっており怖いところがある。‘短剣を奪い取るマクベス夫人’は激しい場面が描かれている。スコットランド王を殺したマクベスが両手に血のついた短剣をもって‘ああー、大変なことをしてしまった、怖くてもう一度みにいくなんてできない’というと夫人は‘なによ情けないわね、短剣をよこしなさい’と言い返す。

動物画を得意としたスタッブズ(1724~1806)はナショナルギャラリーでも数多くみれるが、ここの‘馬に食らいつくライオン’ほど体がフリーズするものは並んでない。これほど体をよじっている馬はドラクロアの馬の絵と双璧をなす。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その四

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Img_0001  ブレイクの‘アベルの死体をみつけたアダムとエヴァ’(1826年)

Img  ブレイクの‘ダンテに語りかけるベアトリーチェ’(1824~27年)

Img_0002     マーチンの‘神の怒りの日’(部分 1852年)

Img_0003     ダッドの‘妖精の樵の見事な一撃’(1855~64年)

古い時代の西洋美術に親しんでいるとギリシャ神話や聖書の話をモチーフにした絵画や彫刻に出くわすことが多い。おかげでキリスト教徒でもないのに天地創造やキリストの受難の物語に理解がすすんできた。関心を寄せているウイリアム・ブレイク(1757~1827)にも記憶に強く残る絵がある。

‘アベルの死体をみつけたアダムとエヴァ’を画集ではじめてみたときの衝撃はマグニチュード7の地震くらい大きかった。視線が集中するのが頭に手をやり恐怖におののくような顔をしたカイン、その後ろでは兄に殺された弟アベルに母親のエヴァが崩れかかり、父親のアダムが’なんということだ!’と悲しみにくれている。兄弟喧嘩の末に人類最初の殺人がおきてしまった。

テイト・ブリテンにはブレイク作品がたくさんあるが‘戦車の上からダンテに語りかけるベアトリーチェ’など8点が日本でも展示された。‘神曲’を題材にしたこの‘ベアトリーチェ’は思わず絵の隅から隅までみてしまうほどの魅力をつつまれている。

ベアトリーチェの乗った戦車を牽いているのがグリフィンの怪物。この表情がじつに可愛い、芸能プロダクションからすぐゆるキャラ界出演へのオファーがきそう。その前にいるのがダンテ。一見するとやさしい女性のようにみえる。‘神曲’というとこの絵を真っ先に思い出す。

一階の広い展示室で言葉を失ってみていたのがジョン・マーチン(1789~1854)の‘神の怒りの日’、テーマに相応しい大作で天から襲いかかってくるような巨大な岩が圧倒的な迫力で迫ってくる。真っ赤な激しい線は溶岩は飛び散っているイメージでまさに神の怒りの大きさ物語っている。こういう悲劇的なスペクタクルは誰でも描けるわけではない。マーチンに200%参った。

ダッド(1817~1886)の‘妖精の樵の見事な一撃’はいわくつきの絵。ダッドは精神病におかされあろうことか父親を殺してしまった。この絵は収容されていた精神病院で描かれたもの。画面中央で斧をふりあげているのが樵、そのまわりを様々な姿の妖精たちが見守っている。

王や女王、魔法使い、村に農民、、驚かされるのが画面いっぱいに描かれている花の描き方、花びらひとつ々が目が点になるほど精緻な描写。忘れられない一枚。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その五

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Img_0002     ターナーの‘吹雪’(1842年)

Img_0003 ターナーの‘雪崩 アルプスを越えるハンニバルとその軍勢’(1812年)

Img     コンスタブルの‘フラットフォードの製粉場’(1816~17年)

Img_0001     コンスタブルの‘ハドレイ城のための習作’(1828~29年)

イギリスの国民的画家、ターナー(1775~1851)とコンスタブル(1776~1837)。ロンドンで美術館巡りするとき二人の絵をみるのは大きな楽しみになっている。ナショナル・ギャラリー、テイト・ブリテン、ヴィクトリア・アンドアルバート美、ロイヤル・アカデミーに足を運ぶと感動の入った袋ははちきれんばかりに膨らむ。

テイトのターナーギャラリーはターナーの‘聖地’みたいな場所、5つぐらいの専用の部屋に画集に載っている作品がどどっと並んでいる。それらのなかから5年前の今頃、東京都美で開催されたターナー展に‘レグルス’、‘ヴェネツィア、嘆きの橋’などいい絵がたくさんやって来た。それはひとつの‘事件’ともいえる大展覧会だった。

ターナーを見る機会に恵まれたので‘済みマーク’がつけられそうだが、まだそうならない。どういうわけか必見リストに載せている‘吹雪’と‘雪崩 アルプスを越えるハンニバルとその軍勢’が姿を現してくれない。ライト・オブ・ダービー同様、次回のロンドン旅行の目玉にすることにしている。

コンスタブルの回顧展は日本で開かれることをずっと願っている。まだその兆しがないがそう簡単には諦められない。それほどコンスタブルの風景画が好きなのである。これまで運よく最高傑作の2点をみることができた。

ナショナルギャラリーにある‘干し草車’とここの‘フラットフォードの製粉場’。‘フラットフォード’は日本でもお目にかかったが、みるたびに構図がいいなと思う。馬にまたがった少年が後ろを振り返る姿がいい感じ。

‘ハドレイ城のための習作’で描いているのは田舎の廃墟になった城、荒々しく陰鬱なイメージだが、深く惹きつけられる。習作とはいえ等寸大なので完成作とかわらない出来映え。またみてみたい。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その六

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Img_0001        ロセッティの‘ピロセルピナ’(1874年)

Img     ロセッティの‘べアタ・ベアトリクス’(1864~70年)

Img_0003     バーン=ジョーンズの‘コーフェチュア王と乞食娘’(1884年)

Img_0002     バーン=ジョーンズの‘愛に導かれる巡礼’(1896~97年)

秋も深まり上野ではフェルメールやルーベンスの回顧展が行われ、月末からはムンク展も加わる。だから、西洋絵画のお楽しみ満載といったところ。フェルメールは来年に出動するのでまだ予約はしてないが、ルーベンス、ムンクは前売りはすでに手当してある。でも、3つとも前のめり状態でもなく、じつは心は早くも来年の前半の展覧会にむかっている。

期待は三菱一号館美の‘ラファエロ前派の軌跡展’(3/14~6/9)と二つの美術館で行われるクリムトとシーレ、東京都美では‘クリムト展’(4/23~7/10)があり、国立新美では1日遅れて‘ウィーン・モダン’(4/24~8/5)がはじまる。

クリムトとロセッティの描く女性の絵には神秘的な魅力があり、回顧展ではいつも抑えられない高揚感につつまれる。ラファエロ前派展の出品作の情報は入ってないが、ロセッティ(1828~1882)の最高傑作‘プロセルピナ’は確保されているのだろうか。

ゾクゾクっとするほど女性の圧力を感じてしまう‘プロセルピナ’、この絵は日本でも2回みる機会があった。4年前は森アーツ・センターでもうひとつの傑作‘べアタ・ベアトリクス’と一緒に展示された。これは真に豪華なラインナップ。

ダンテの愛したベアトリクスと最初の妻シダルを重ね合わせて描いた‘べアタ・ベアトリクス’が荘厳で静謐な世界のイメージなのに対し、黒髪と赤の唇が見る者の心を溶かしてしまいそうな官能的な美をびしびし感じさせるる‘プロセルピナ’。ロセッティは本当にスゴイ画家!

ロセッティより5歳年下のバーン=ジョーンズ(1833~1898)にも心を奪われ続けている。画集に載っている作品でみたのは4割くらい。だから、いつかバーミンガム、マンチェスター、リバプール美を訪問し思いの丈を叶えたいと思っている。

テイトにある印象深い作品は‘コーフェチュア王と乞食娘’と森アーツでみた大作の‘愛に導かれる巡礼’。バーンジョーンは縦に長い画面に描くのが特徴。これはモリスと一緒にステンドクラスを製作したことの影響かもしれない。


美術館に乾杯! テイト・ブリテン その七

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Img     ミレイの‘オフィーリア’(1851~52年)

Img_0001     ミレイの‘両親の家のキリスト’(1849~50年)

Img_0002     ハントの‘良心の目覚め’(1853年)

Img_0003     ブラウンの‘イギリスの見納め’(1864~66年)

今年は5月にデンマークを旅行しシェークスピアの‘ハムレット’の舞台となったクロンボー城へ行ったので、ミレイ(1829~1896)の最高傑作‘オフィーリア’への思い入れがさらに深まった。ラファエロ前派ではロセッティの‘プロセルピナ’とこの絵がダントツの一位。

‘オフィーリア’は日本には2008年の回顧展(Bunkamura)と2014年のラファエロ前派展の2度貸し出された。だから、ロセッティ、バーン=ジョーンズ、ミレイのビッグ3についてはめぼしい傑作はわざわざイギリスへ行かなくても楽しめたことになる。これは日本が世界に誇る美術大国であることの証。

‘両親の家のキリスト(大工の仕事場)’で主役は画題上は釘で手を傷つけた少年イエスだが、視線が向かうのは右でイエスの傷を洗うためたらいに入れた水を運んできた洗礼者ヨハネ。心配そうに横目でイエスをみる表情がとてもいい。この絵から普通の人たちを登場させて宗教画を描いたカラヴァッジョを思い出した。

ハント(1827~1910)も1948年に結成されたラファエロ前派のメンバー、‘良心の目覚め’は意味深なタイトル。男の歌を聴いているうちに愛人が小さい頃の純な気持ちを思い出して悔悛するというのだからいい話。まさに近代のマグダラのマリア。そう思ってみると女性は輝いてみえる。でもそれは一瞬だけ。ヴィクトリア朝では道徳を重視していたのでもってこいの絵といえるが、現実は道徳は乱れ愛人が多くいたというメッセージにもなっている。

ロセッティの師であり友人でもあったブラウン(1821~1893)は宗教的なテーマや風景画などいろいろ描いた。水彩画の‘イギリスの見納め’はラファエロ前派の彫刻家ウールナーのオーストラリア移住に刺激を受けて制作されたもの。なにか思いつめた表情をみせる男女の姿が印象的。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その八

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Img     ヒューズの‘4月の恋’(1855~56年)

Img_0001     スタンホープの‘過去の追憶’(1858~59年)

Img_0002     ワッツの‘希望’(1886年)

Img_0003     ウォーターハウスの‘シャロットの女’(1888年)

ラファエロ前派に光をあてた企画展では欠かせない画家がヒューズ(1832~1915)とスタンホープ(1929~1908)。ミレイの影響をうけたヒューズの代表作が‘4月の恋’、たしかにミレイの‘オフィーリア’を彷彿とさせる優美さがほのかに匂ってくる。

これとは対照的に同じ縦長のカンバスにささくれた娼婦の様子が描かれているのがスタンホープの‘過去の追憶’、この女はロセッテイの圧の強い‘プロセルピナ’にくらべれば近くまで寄っていけそう。破れたカーテンや伸び放題の鉢植えなど部屋のたたずまいはずいぶん緩んでいるが、毒のある顔でもないのでこの日の天気のことくらいは話せるかもしれない。どうでもいいことだが、じっとみていると女優の仲間由紀恵がダブってくる。

ラファエロ前派とはかかわりをもたず独自の道を歩んだワッツ(1817~1904)、ここには最も惹かれる‘希望’がある。その画風はベルギー象徴派のクノップフ(1858~1921)とよく似ている。球の上に乗っている女性は目隠しをして竪琴を弾いているが、その竪琴をよくみると弦は1本しか残っていない。痛々しく絶望のイメージなのに希望とするところがワッツ流。

ワッツの率直な印象はすごくいいのがあると思えば駄作にも遭遇するいう感じ。これと同じところがあるのがウォーターハウス(1849~1917)、‘シャロットの女’はすごくいい絵なのにテイトでみたほかの絵はパッとしなかった。これほど落差があると評価は下がる。

その体験を引きずったままあるとき日本にやってきた作品をみたが、その思いは変わらなかった。細部の描写に手抜きが多いのでテイトの印象は当たっていた。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その九 

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Img_0002    ダイスの‘ペグウェル・ベイ、ケント州’(1858~60年)

Img     フリスの‘ダービーの日’(部分 1856~58年)

Img_0003     ホイッスラーの‘ノクターン 青と金色’(1872~75年)

Img_0001  サージェントの‘カーネーション、ユリ、ユリ、バラ’(1886年)

海外の美術館をまわっていると日本ではほとんど知られていないその国の画家が描いたすばらしい絵に遭遇することがある。今年はデンマークとノルウェーの画家が目を楽しませてくれた。どこにでも絵の上手い人物はいるのだからそう驚くこともないのだが、そういう画家の存在を知るとまわりの人についしゃべりたくなる。

ダイス(1806~1864)の‘ペグウェル・ベイ、ケイン州ー1858年10月5日の思い出’は大変魅了された風景画。白い崖をみるとすぐ似たような絵を思い浮かべる。人物はでてこないがクールベとモネが描いた‘エトルタの断崖’。潮が干きごつごつした岩が現れた夕暮れの光景がとてもいい。そして画家の妻や子どもたちが前景に並らべる構図も秀逸。ダイスも右のほうに自分の後ろ姿をしっかり描き入れている。

フリス(1819~1909)の大画面作品‘ダービーの日’は日本画でいうと‘洛中洛外図屏風’みたいな作品。ダービーを楽しみにきた人々のいろんな表情が活写されている。若いカップルや紳士を気取った少年がいるかと思えが詐欺師みたいな男もいる。また、この画面の横では軽業師が芸を披露し、その息子はピクニックをする家族の食べ物を羨ましそうにながめている。風俗画と美人画をみるために絵をみているのでこういう絵にでくわすと心が弾む。

ホイッスラー(1834~1903)とサージェント(1856~1925)は本籍アメリカ、現住所イギリスの画家。4年前横浜美ですばらしいホイッスラー展があり代表作のひとつ‘ノクターン 青と金色 旧バタシー橋’が展示された。浮世絵が好きならすぐピンとくると思うが、広重の‘名所江戸百景 京橋竹がし’を引用している。画面の真ん中に橋げたをもってくる構図は西洋画に慣れた人たちは戸惑ったにちがいない。ゴッホもホイッスラーも浮世絵の虜になった。

サージェントの絵にも日本の提灯が描かれている。はじめてこの絵をみたとき嬉しかった。ええー、青い目の女の子が提灯で遊んでいる!。しかも日本人の琴線にふれる花がいっぱい。カーネーション、ユリ、バラ。サージェントはミレイの‘オフィーリア’の花を意識したかもしれないが、描き方は印象派的。この絵で一気にサージェントのファンになった。

横浜高島屋の‘浮世絵 最強列伝展’!

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Img     喜多川歌麿の‘名所腰掛八景 すだれ’(1795~96年)

Img_0004     喜多川歌麿の‘女行列川渡’(1804年)

Img_0003     菱川師宣の‘低唱の後’(1679~84年)

Img_0001     勝川春章の‘坂東三津五郎’(1780~81年)

来週の月曜、22日まで横浜高島屋で行われている‘サンタフェ リー・ダークスコレクション 浮世絵最強列伝’をみてきた。この浮世絵展はつい最近知り、散歩がてら出かけてきた。前もって案内しておくと来年1/9~21に日本橋の高島屋にも巡回する。

浮世絵のコレクターは日本人に限らず世界中に大勢いる。リー・ダークス氏はアメリカ人で空軍士官として日本に駐留したとき浮世絵の虜になり、収集にのめり込んだらしい。このコレクションについてはNO情報だったが、会場を進んでいくうちに予想以上にいい作品が揃っていることがわかってきた。師宣、春信、清長、写楽、歌麿、北斎、広重、国芳、豊国、国貞、、といった浮世絵オールスターが続々現れてくる。

期待値がアバウトなとき収穫が多いと本当に嬉しくなる。その筆頭が喜多川歌麿(1753~1806)、‘名所腰掛八景 すだれ’と三枚続きの‘女行列川渡’に大変魅了された。‘川渡’は以前展示替えでみれなかったもの。これはラッキー。そして、‘名所腰掛八景’シリーズはこれまで一枚も縁がなかった。すばらしい!

菱川師宣(?~1694)は定番の‘衝立のかげ’の隣にひょいと‘低唱の後’が飾ってあった。これは画集に載っていたかどうか?‘最強列伝’もわかるーという感じ。美人画はほかにも春信、清長、栄之、英山も揃っているのだから申し分ない。みてのお楽しみ!

そして、歌舞伎役者を描いた勝川春章(1726~1792)の‘坂東三津五郎’に思わず足がとまった。役者を中心からすこし左にずらして描き、腕の一部を画面からはみ出すところが上手い。こうしたちょっとした工夫が肖像画を生き生きとしたものにしている。ほかにも豊国の大きな相撲絵にも惹きこまれた。

今年は太田記念美で広重を楽しみ想定外の最強列伝に遭遇した。帰り際、来年森アーツセンターで開催される‘新・北斎展’(1/17~3/24)のチラシが目に入った。楽しみがまた増えた。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その十

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Img_0001     モリスの‘麗しのイズー’(1858年)

Img_0002     ポインターの‘アンドロメダ’(1869年)

Img_0004     ドレイパーの‘イカロス哀悼’(1898年)

Img_0005     アルマ=タデマの‘お気に入りの習慣’(1909年)

ラファエロ前派の第二世代の中心人物はイギリスにおける装飾芸術の礎を築いたウィリアム・モリス(1834~1896)とバーン=ジョーンズ(1833~1898)。モリスが唯一描いた油絵が‘麗しのイズ―’。モデルは妻のジェイン。ジェインのこの肖像画が描かれて16年後、ロセッティは愛人ジェインを‘プロセルピナ’に変身させた。

‘麗しのイズ―’のみどころは画面に現れたモリスの卓越したデザインセンス。イズ―の衣装、カーテン、置台の装飾性の高い花柄模様などが画面を華やかに彩っている。

ギリシャ神話を題材にしたポインター(1836~1919)の‘アンドロメダ’やドレイパー(1863~1920)の‘イカロス哀悼’は神話好きにはたまらない絵かもしれない。海獣への生贄として岩につながれたエチオピア王の娘、アンドロメダ、このお話は救出にやってくる英雄ペルセウスや怖い獣と一緒に描かれることが多いが、ポインターは女性のヌードをみせたくてアンドロメダだけにしている。ヌードへの人気が高かったヴィクトリア朝の気分を反映している。

ドレイパーにはもう一点‘ユリシーズとセイレーン’(1909年 ハル市美)という刺激的な絵があるが、横浜美で開催された‘ヌード展’で久しぶりにみた。日本には2回目の登場。‘イカロス哀悼’のほうはイカロスの異様に大きな翼に度肝をぬかれる。‘おいおい、これほど大きな翼があるのに落っこちてしまうとは、よっぽどへまをやらかしたのだね’と、ツッコミをいれたくなる。

アルマ=タデマ(1836~1912)はオランダ出身で後にイギリスに帰化した画家。得意技はリアルな細密描写、とくに大理石の質感描写は神技的に上手い。古代ローマ都市の風俗画を熱心に描いた‘お気に入りの習慣’でもポンペイの浴場に使われている大理石に目は吸いこまれる。

西武球団が笑い 監督・選手・ファンが泣いたパCS!

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Img    大泣きの西武辻監督

パリーグの覇者西武がCSで二位のソフトバンクに2勝4敗で破れ、日本シリーズに出れなくなった。試合が終わったあとのセレモニーで辻監督は大泣きしたそうだ。球場に応援しにきた大勢のファンも一緒に泣いたにちがいない。

西武のファンたちの楽しい気分は優勝を決めてから1ヵ月で吹き飛んでしまった。昨年はカープのファンが泣き、今年は首位をずっと走り久しぶりにチャンピオンフラッグをつかんだ西武が同じようにCSで涙をのんだ。そして、西武の選手、監督コーチはソフトバンクに一方的にやられたので、負け惜しみはいいたくないがみんな悔しくてたまらない。それはそうだろう、レギュラーシーズンでは強い西武だったのだから。

CSで笑ったのは西武球団、日本シリーズに出場できなくても地元で5試合できたので興行収入はしっかり稼いだ。CSのファイナルを首位の本拠地で決着がつくまで行うことにしているのは仮にここで敗けたとしても球団には収入を確保してやるため。そして、CSを突破すれば日本シリーズの興行により儲けが3ないし4試合上乗せになる。

だから、球団としては6戦までもつれ破れて日本シリーズの興行権を失ったとしても満員の観客から6回お金をもらえたので内心はホクホクなのである。日本シリーズに進出できなくてもビジネスとしてはなんら問題ない。CSは何度もいうように球団に利益をもたらすための興行、野球ファンの気持ちなんかまったく考えていない。

プロ野球を真に楽しくするためにはレギュラーシーズンが終わったら、一週間から10日後にセパの覇者が日本一をかけて激突する。復活した強い西武と3連覇のカープの日本シリーズ、昔のような緊張感と期待にみちた7戦なら日本シリーズはおおいに盛り上がる。

こんな余計なCSを続けていたら、野球ファンから愛想をつかされるのはまちがいない。サッカーはWCの活躍でまた人気が高まっており、バスケや卓球のプロリーグも注目を集めている。また、バドミントンも強い。これから東京五輪にむけて水泳、柔道、体操、陸上リレー、男子マラソンなど期待のスポーツはいろいろある。

西武球場がお通夜のように湿っぽくなってどうする。西武のファンたちが本当に可哀想!

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その十一

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Img_0003  ホイッスラーの‘シシリー・アレキサンダー嬢’(1872~74年)

Img   サージェントの‘マクベス夫人に扮するエレン・テリー’(1889年)

Img_0001    ティソの‘船上の舞踏会’(1874年)

Img_0002          ムーアの‘花’(1881年)

大人の女性を描いた肖像画には心を奪われる作品は数多くあってベスト10を選べといわれるといろいろ悩む。これに対して子どもがモデルだとベスト5くらいはすぐでてくる。ホイッスラー(1834~1903)が描いた‘シシリー・アレキサンダー嬢’はランクインしている一枚。

はじめてみたのは日本であったテイトギャラリー展(1998年 東京都美)、ホイッスラーはテムズ川の絵と肖像画でその名を知られた画家だが、肖像画にはぐっとくるものが多い。そのなかで最も惹かれているのがこの8歳の女の子。

ホイッスラーはこの子を描くのに70回もポーズをとらせたという。ふつうだったらもう嫌だといってダダをこねてもおかしくないが、シシリーちゃんは銀行家の父親のしつけがよかったのかなんとか頑張った。でも、限界にきていたことはそのふくれ面をみるとよくわかる。

サージェント(1856~1925)の‘マクベス夫人に扮するエレン・テリー’は等身大の肖像画なので目の前に本人がいるような錯覚を覚える。もう心を200%吸いこまれる見事な肖像画。女の役者を描いた絵ではこれとミュシャのサラ・ベルナールの上演ポスターが双璧。サージェントの回顧展に遭遇することを夢見ているがそのときは再会できると勝手に妄想している。

ティソ(1836~1902)は本籍はフランスで現住所はイギリス。これまでお目にかかったのは片手にすぎないが、作品はどれも上流階級の女性たちが社交場に集う光景が華やかに描かれている。‘船上の舞踏会’はメディアのカメラクルーが撮った映像が流れている感じ。真ん中のスペースがあき通り道のようになっていてそのまわりを囲むように正装をした男女たちが陣取っている。

ホイッスラーとうまがあったムーア(1841~1893)は唯美主義と古典主義を融合させた画家。描く女性のポーズはギリシャ彫刻を彷彿とさせる。日本の展覧会では見る機会がほとんどないので、イギリスへ行くとレイトンとともに新鮮な刺激が味わえる。


美術館に乾杯! テイト・ブリテン その十二

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Img_0001    ベーコンの‘座った人物’(1961年)

Img_0002     フロイドの‘女と白い犬’(1950~51年)

Img     バラの‘スナック・バー’(1930年)

Img_0004     ギルマンの‘朝食をとるモンタ―婦人’(1917年)

アート市場に作品が出ると高値がつくベーコン(1909~1992)は相性の悪い画家。その理由は描かれる人物が幽霊みたいで気持ちが悪いから。テートモダンにも三連画があるのだが、首の長い不気味な生き物なのでとりあげなかった。

ベーコンでみておられるのはゴッホを描いたものとベラスケスの‘法王イノセント十世’を引用したシリーズだけ。‘座った人物’は法王と同じく白い線で枠をつくってそのなかに男性を配置している。この枠をつくるというアイデアはなかなか思いつかない。

1998年東京都美でテイトギャラリー展があったとき、ルシアン・フロイド(1922~2011)の‘女と白い犬’はロセッティの‘プロセルピナ’と同じくらい心がザワザワした。女性の姿にすごく生感覚があり、その強い目力が強く印象に残っている。この絵によって画家があのオーストリアの精神病理学者フロイトの孫であることを知った。

バラの‘スナック・バー’は一度見たら忘れられない絵。似たような絵で思いつくのドイツのグロスとかキルヒナー、そしてメキシコの画家たちが描く人物像の匂いもちょっとする。アクの強い独特の描写は場末のスナックバーの風景をを切り取るにうってつけ。こういう絵をみるとアートはキャラが立たないとうけないなとつくづく思い。

ゴッホの影響をうけたギルマン(1876~1919)の‘朝食をとるモンタ―婦人’は厚塗りの画面にインパクトがあり白のハイライトを多用した婦人の顔とテーブルの白いティーポットが目に焼きついている。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その十三

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Img_0003  ホックニーの‘シャワーを浴びる男、ビバリー・ヒルズ’(1964年)

Img     ハミルトンの‘クライスラー社賛’(1957年)

Img_0001     ピーター・ブレイクの‘バッジをつけた自画像’(1961年)

Img_0004     ギルバート&ジョージの‘イングランド’(1980年)

ホックニー(1937~)に興味をいだくきっかけになった絵はボストン美にある‘ギャロービー・ヒル’(1998年)、2008年にアメリカ美術館巡りをした際、久しぶりにでかけたボストン美の展示案内のパンフレットにこの絵が使われていた。

明るい色彩にあふれる現代的な風景画だったので大変惹かれたが、現代アートの展示室が改築工事のため対面が叶わなかった。そして、3年前に再訪したときはサージェントやホーマーの作品に時間をとられ再度みる機会を逃した。ようやくお目にかかれたのは昨年あったボストン美展。リカバリーに9年もかかってしまった。

イギリスにもポップ・ア―ティストは何人も現われたが、最も関心が高いのはホックニー。親近感をおぼえるのは日本の富士山などを描いていることも大きい。‘シャワーを浴びる男、ビバリー・ヒルズ’はイギリス人がまったく消えてしまうほどのアメリカンポップ調全開といった感じ。

ハミルトン(1922~2011)の‘クライスラー社賛’も黄金のアメリカ文化にどっぷりはまっている。当時はクライスラーだってアメ車の象徴の一端を担っていた。懐かしい大型車をみると、アメリカの生活スタイル、エンターテイメントが日本にもどんどん入って来たことが思い出される。

ベースボールや映画、音楽、ジーンズ、コーラ、マグドナルドのハンバーガー、、ピーター・ブレイク(1932~)の‘バッジをつけた自画像’にはプレスリーが載った雑誌やバッジをたくさんつけたデニムのジャケットが描かれており、イギリスでもアメリカ文化が若者たちに大きな影響を与えたことを物語っている。

ポップ・アートをふたたび蘇らせた感のあるのがギルバート&ジョージ(1943~、1942~)の大きな写真作品‘イングランド’、画面の下では伝統的なイギリススーツでビシッときめた二人がバラをはさんでどや顔で立っている。そして、上では背景を暗くしてユーモアと怒りを体で表現している。

美術館に乾杯! テイト・ブリテン その十四

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Img    ペップワースの‘ぺラゴス’(1946年)

Img_0001     ニコルソンの‘1935(白いレリーフ)’(1935年)

Img_0003     ナッシュの‘メガリスの等価物’(1935年)

Img_0002     クラッグの‘北からみたイギリス’(1981年)

名の知れた女性の現代ア―ティストですぐ思いつくのは絵画ならアメリカのオキーフとフランケンサーラー、メキシコのフリーダ・カーロ。そして、彫刻の世界ではイギリスのバーバラ・ヘップワース(1903~1975)とフランスのニキ・ド・サンファル。

テイト・ブリテンにあるヘップワースの‘ぺラゴス’は丸い造形がとても印象的な彫刻。これは作家のアトリエからながめた大西洋から霊感をうけてつくられた。穴の開いた部分の海をつつみこむように伸びた腕の先から反対側にむかって弦が張られている。この弦がなんともユニークで癒される。

モンドリアンから強い影響をうけたベン・ニコルソン(1894~1982)は幾何学的抽象の創作に大きな足跡を残した。コートールド美にはモンドリアン風の彩色画もあるが、ニコルソンのイメージはホワイトレリーフでできあがっている。アッシリアの獅子とかミケランジェロの聖母子などレリーフには魅力を感じているので、この浅くへこんだ円に強く惹かれる。

ポール・ナッシュ(1889~1946)の‘メガリスの等価物’は現代的な風景画だが、中央の円柱や壁はストーンサークルがモチーフになっている。ナッシュはこの巨石に魅惑されたらしい。幾何学的なフォルムで構成された画面だが、冷たい感じがなく太古の人類の営みに想像が膨らむ。ホックニーもみてて心が休まる抽象的な風景画を描いており、ターナー、コンスタブルという風景画の巨匠を輩出したイギリス絵画の力を感じさせる。

トニー・クラッグ(1949~)の‘北からみたイギリス’は作品に最接近してみないとその突飛なアイデアが楽しめない。左にいるクラッグも大きなイギリスの地図もじつは街で拾った色つきプラスティックのゴミで描かれている。イギリスの国土を見慣れた角度からのものにせず横に寝かせる発想は普通の人からはでてこない。

美術館に乾杯! ロイヤル・アカデミー

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Img_0003    ピカデリーサーカスのすぐ近くにあるロイヤル・アカデミー

Img_0001     コンスタブルの‘水門を通過する舟’(1826年)

Img_0002     コンスタブルの‘跳ねる馬’(1825年)

Img     ミケランジェロの‘聖母子と幼児聖ヨハネ’(1503~05年)

若い頃ロンドンに2ヶ月くらい住んでいたことがあり、ピカデリーサーカスにはよく出かけた。そこからハイドパークの方へ向かって5分も歩くとロイヤル・アカデミーに着く。ここではパリのグラン・パレと同じように大きな展覧会が定期的に開催される。

はじめてここへ入ったのは1990年、イギリスに出張することになり運よくモネの連作作品を80点も集めた大回顧展に遭遇した。モネの人気はどこでも高く3ヶ月の会期中に50万人が押し寄せるという盛況ぶり。そのため出かけた日曜日は入館するのに2時間もかかった。苦労してみたモネ展が海外で体験した最初の展覧会となった。

2度目の訪問は2010年、このとき9つの美術館を回ったが、ロイヤル・アカデミーでは企画展はなく必見リストに載せていた2つの作品を見ようと意気込んで出かけた。ところが、コンスタブル(1776~1837)の代表作のひとつ‘跳ねる馬’はどういうわけか姿をみせてくれなかった。絵を修復中とのこと、ガックリ!

もう一つの傑作‘水門を通過する舟’は2003年六本木の森美術館が開館したとき、その記念展に出品された。コンスタブルは1998年にあったテイトギャラリー展(東京都美)で開眼したが、この絵をみて思い入れ度Aランクの画家が決定的となった。

‘跳ねる馬’との対面は叶わなかったが、ミケランジェロのレリーフ‘聖母子と幼児聖ヨハネ(トンド・タッデイ)’はしっかり目のなかにおさめた。この彫刻をみたことでミケランジェロの彫刻のコンプリートが達成できた!最後のピースにたどり着くのに長い月日が流れたので感慨深い。

さて、‘跳ねる馬’のリカバリーはいつになるか、イギリス旅行の優先度が上がると実現するのだが、予定は他の場所で数年先までうまっているのでまだ時間がかかりそう。

美術館に「乾杯! ヴィクトリア&アルバート美 その一

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Img     ラファエロの‘奇跡の漁り’(1515~16年)


Img_0001     ‘タペストリー・奇跡の漁り’(1516~21年)

Img_0002     ラファエロの‘聖ペテロへの鍵の授与’(1515~16年)

Img_0003     ラファエロの‘アナニアスの死’(1515~16年)

2010年に訪問したヴィクトリア&アルバート美は世界最大級の装飾美術館。世界中から集めてきた工芸、デザイン、ファッションなどの装飾美術がどさっと展示されている。とにかくいろんなものがあるのでじっくり見たら何日もかかりそう。

ここへやって来た最大の目的は有名なラファエロ・カルトンをみるため。カルトンはタペストリーの下絵、ラファエロ(1483~1520)は1515年レオ十世からシスティーナ礼拝堂の下部壁画に飾られるタペストリーの絵を依頼された。1517年に10枚の下絵は完成しブリュッセルにあるタペストリーの工房に送られた。

そのタペストリーのひとつが3番目の画像の‘奇跡の漁り’、2番目がその下絵。タペストリーとは左右が逆になっている。この原寸大の下絵は7枚が現存しているが、すべてV&Aにある。いずれも縦3m、横3~5mの大きなもの。下絵といってもラファエロの絵画だから見ごたえ十分、しかもビッグサイズ、ヴァチカン美にある‘ラファエロの間’にいるような気分になる。

描かれているのはペテロとパウロの物語だが、その構成や描写には激しい動きがみられ新たな絵画バロック様式に一歩も二歩も踏み出した感じ。とくに‘アナニアスの死’のドラマチックで誇張的な表現はバロックそのもの。こうした激しい感情の動きがリアルに描写された人物に目を奪われると宗教画の荘厳さはどこかへとんでしまう。

ラファエロ・カルトンにお目にかかれたのは生涯の思い出。ミューズに感謝!

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