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Channel: いづつやの文化記号
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MoMA(4) 絶大な人気を誇るアンリ・ルソーとピカソ!

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Img_0003     ルソーの‘眠るジプシー女’(1897年)

Img_0004     ルソーの‘夢’(1910年)

Img_0001     ピカソの‘アヴィニョンの娘たち’(1907年)

Img     ピカソの‘泉の女たち’(1921年)

5階に展示されている作品のなかで多くの人が集まっているのはゴッホ、ピカソ、そしてアンリ・ルソー。ちょっと驚きなのはルソー(1844~1910)、20年前はこんなに人はいなかった。でも、今は大変な人気。

‘眠るジプシー女’も‘夢’も大きな絵、本物をみたのはずいぶん前だから普段は美術本の図版でのつきあい、これに慣れると絵のサイズはとんでしまう。‘夢’が縦2m、横3mもあるどデカい絵であることをすっかり忘れていた。

‘眠れるジプシー女’はへんな絵だが、不思議な魅力をもっている。一見舞台の書割りの感じ、右からマンドリン、横たわるジプシー女、そして置物のようなライオン、幼稚園の園児たちがこの3つの作り物を斜めにべたっと貼り付けたのかなと思ってしまう。それにしても怖くないライオン、ライオンキングはこの絵から生まれた?

この絵がとても静かでポエジーなのに対し、‘夢’は東洋風にいえば極楽浄土の世界。草木の緑が‘蛇使いの女’(1907年 オルセー)同様印象深く、果物の橙色や花びらのうす青やピンク色も目に心地いい色調。主役の植物に囲まれて裸婦がソファーに横たわり、ライオンや象、猿、そして大きな鳥が思い々のポーズをとっている。まさに熱帯の楽園、時間はあればずっとみているのだが、、

ピカソ(1881~1973)が生み出したキュビスムを象徴する作品‘アヴィニョンの娘たち’、この有名な絵を拙ブログではまだとりあげてなかった。なんとはなしにその機会がなかった。1990年にやって来たとき、この絵の前では‘これが本物か!’と夢中になってみた。

印象に強く残っているのは右の2人の女、その刷毛を緩やかに曲げたような鼻からは小さいころ動物園でみたマントヒヒの鼻を連想した。今回は左端に立つ女をMETで会った‘クーロス’の逞しい足のことを思い浮かべながらみていた。

ピカソの作品は数多く展示してあったが、リスト載せていた新古典主義時代の‘泉の女たち’と対面できたのは幸運だった。量感のある人物表現にぐっと惹きこまれる。


MoMA(5) 名画の揃うマティス!

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Img_0001     マティスの‘赤いアトリエ’(1911年)

Img_0003     マティスの‘モロッコ人たち’(1916年)

Img          レジェの‘3人の音楽家’(1944年)

Img_0002     ベックマンの‘船出’(1932~33年)

マティス(1869~1954)はMoMAではミロとともに追っかけ画の多い画家。予定では4点と出会うことになっていたが、実際にみれたのは‘赤いアトリエ’だけ。でも、これまで画集でみたことのない作品が3点あった上、お気に入りの‘モロッコ人たち’や大作‘ピアノのレッスン’と再会したのでとても充実したマティスになった。

室内の床も壁も赤一色に描かれた‘赤いアトリエ’はぱっとみると平板な絵という印象、ところが不思議なことに画面をじっとみていると床は横にのび、壁はそこから垂直の面になっているようにみえてくる。どうやら後ろに置かれた完成作品の配置に仕掛けがありそう。そして、赤の色がところどころで濃淡がつけられている。

これに対して‘モロッコ人たち’では人物や建物はトランプの絵柄みたいに整然と割り付けられている感じ。だから、描かれた対象に動きはない。強く印象に残るのは左下の円いメロンの緑と黄色を鮮やかに引き立てている背景の黒。この絵をはじめてみたのは1990年、ワシントンのナショナルギャラリーを訪問した際、運よく‘モロッコのマティス展’が開催されていた。以来、画面をひきしめる濃密度200%の黒とメロンの緑に魅了されている。

Myカラーは緑&黄色だから、隣に飾ってある‘ピアノのレッスン’にも敏感に反応する。この絵は縦2.45m、横2.12mもある大きな絵。ピカソの‘アヴィニョンの娘たち’やルソーの‘夢’同様、絵の大きさをすっかり忘れているから、新鮮なサプライズ3連発だった。

レジェ(1881~1955)はリカバリーを願った‘大きなジュリー’は姿をみせてくれず初見の2点が目を楽しませてくれた。画像は音楽家3人の絵。明快な色彩と黒の輪郭線で形どられた彫刻的な人物をみているとたちまち心が軽くなる。

ドイツ表現主義のベックマン(1884~1950)が三幅対の作品を手がけたのはちょうどナチスから退廃芸術家と烙印を押されたころ。その第一作が‘船出’、左右のパネルは拷問の場面で、中央はその拷問から解放され自由を手に入れたところ。時間があればじっくりみたいところだが、追っかけ画がいっぱいあるのでそういうわけにもいかない。

MoMA(6) お目当ての未来派に釘づけ!

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Img_0002     セヴェリーノの‘舞踏会のダイナミックな象形文字’(1912年)

Img_0004_2     ボッチョーニの‘去る者’(1911年)

Img_2     ミロの‘鳥に石を投げる人物’(1926年)

Img_0001_2     デ・キリコの‘モンパルナス駅(出発の憂鬱)’(1914年)

何年か前ローマの国立近代美術館を訪問したとき大いに魅了されのが未来派の作品。幸いなことに2度も縁があったので、セヴェリーノ(1883~1966)やボッチョーニ(1882~1916)、バッラ(1871~1958)の作品にだいぶ目が慣れた。

といっても、未来派が展示されている美術館は限られているから体験した作品は印象派との比較でいうと月とスッポンくらいの差がある。イタリアでほかにみる機会があったのはミラノのブレラ美とヴェネツィアにあるグッゲンハイム美、イタリア以外の美術館で未来派とむすびつくところはどこ?

パリのポンピドーやロンドンのテート・モダンはボッチョーニがあった?という感じ。これに対しMoMAは未来派をしっかりコレクションしている。今回お目当ての作品は5点、バッラの‘アマツバメ’とボッチョーニの‘蜂起する都市’はダメだったが、3点はヒットした。まあ1点か2点みれれば御の字かなと思っていたから想定外の成果。

セヴェリーノの‘舞踏会のダイナミックな象形文字’はワクワクするような絵。右下に書かれた文字‘VALSE’はワルツ、これはピカソの総合的キュビスムの手法。壊れたガラスの破片を連想させるフォルムを複雑に重ねて密度の濃い空間をつくり、そこに踊り子や人物の顔を断片的描き込んだり全身像を小さく思いつくままに配置している。

ボッチョーニの作品は三部作‘心の状態’の一枚、‘別れ’、‘去る者’、‘あとに残る者’が並んで展示してあった。この‘去る者’に描かれた彫刻的な造形をもつ顔が目に焼きつく。幾筋もの斜めの線により心がめざすところへどんどんへ向かってる感じ。こういう時間を表現している作品は想像力をいろいろ掻き立ててくれるので絵に力がある。

しばらくこの顔をみているとある絵が思い出された。それは香月康男の‘シベリアシリーズ’に描かれた人物の顔、ひょっとすると香月はボッチョーニの絵をみたのかもしれない。

ミロ(1893~1983)の‘鳥に石を投げる人物’の前では思わず足がとまった。フィラデルフィア美にあった‘月に吠える犬’同様、こんなへんてこでおもしろい絵にでくわすと抽象度の強い現代アートとはいえいっぺんにリラックスモードになる。たしかに子どもが鳥に石を投げて遊んでいる場面が目に浮かぶ。

デ・キリコ(1888~1978)の‘モンパルナス駅’は1993年日本で開催されたMoMA展に出品された。そのときの疑問がまだとけない。どうしてこの孤独感の漂う静かな空間に大きなバナナが登場するのか?デ・キリコにとってバナナは何を意味するのだろうか?不安な気持ちにつつまれる今の状況から解放されてバナナに象徴されるまったりした南国の世界に身を置きたいとふと思ったのだろうか?

MoMA(7) シュルレアリスム エンターテイメント!

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Img_0003_2     マグリットの‘光の帝国Ⅱ’(1950年)

Img_0002_2     マグリットの‘偽りの鏡’(1928年)

Img     クレーの‘魚のまわりで’(1826年)

Img_0001_2     クレーの‘猫と鳥’(1928年)

美術本に載っている有名な絵と対面するときは特別な感情が湧き上がってくる。MoMAにはそんな絵が4点ある。ピカソの‘アヴィニョンの娘たち’、シャガールの‘私と村’、ダリの‘記憶の固執’、そしてモンドリアンの‘ブロードウェイ・ブギウギ’。

1990年、1993年にここへ来た時この4点は2回とも揃い踏みだった。ところが、今回はちがった。展示してあったのは‘アヴィニョンの娘たち’と‘ブロードウェイ・ブギウギ’、シャガールとダリはローテーションのため倉庫でお休みなのか、それともたまたま他館へ貸出し中なのかわからないが、定番の名画がないと面食らう。

フィラデルフィア美でシャガールは数点みることになっていたが、時間に追われパニック状態になり展示室をひとつとばすという決定的なミスと犯したため対面のチャンスが消えてしまった。そして、MoMAでも‘私と村’と遭遇できず、悪い流れが2日続いた。

シュルレアリスムは代表格のダリは1点も展示してなかったが、マグリット2点、ミロ4点、タンギー2点、エルンスト1点のラインナップ。そして、半分シュルレアリストのクレーが‘魚のまわりに’や‘猫と鳥’など5点。このなかでとくに印象深いのがマグリットとクレー。

ここにあげた4点はすでにみているものだが、こういういい絵は何度みても楽しい。展示室のなかで一際輝いているのがマグリット(1898~1967)の‘光の帝国Ⅱ’、ブリュッセルの王立美にあるものは縦長のカンバスなのに対してこちらは横長。この絵はぱっとみるとどこがシュールなの?という感じ。夕暮れ時は昼間の残像があるのでこんな光景に出くわすことはままある。

‘偽りの鏡’もなんとか絵のなかにはいっていける。画面いっぱいに描かれた目が強いインパクトをもっているが、瞳と雲のダブルイメージはまあわかりやすいし、瞳のむこうに大空が広がっていることもイメージできる。マグリットのシュール画はダリの夢の世界とはちがっていつも見慣れている光景がモチーフに使われているので、エンターテイメント感覚で楽しめるのが特徴。

クレー(1879~1940)の作品のなかで最も好きな絵‘魚のまわりで’と再会した。魚や丸は小学生の子どもでも描けそうだが、お皿の青やまわりの黄色の配色には天性のカラリスト、クレーならではの豊かな才能が発揮されている。しばらくいい気持でみていた。

絵の前でニヤニヤしていたのが‘猫と鳥’、額のところに描かれた鳥はこの猫がこれから食べてしまおうと考えている鳥が頭にちらついていることの表現だろう。猫の気持ちがこれほど伝わってくる絵を歌川国芳がみたら裸足で逃げるにちがいない。

MoMA(8) 目を奪われるニューマンの赤!

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Img_0002_2     モンドリアンの‘ブロードウェイ・ブギウギ’(1942~43年)

Img_0003_2     ニューマンの‘英雄的にして崇高な人’(1950~51年)

Img_2     ロスコの‘NO.3/NO.13’(1949年)

Img_0004_2           ポロックの‘五尋の深み’(1947年)

MoMAが所蔵する作品の情報を得るベースとなっているのは前回訪問したとき手に入れた図録。日本語版はなく英文だが、150点が掲載されている。今回リカバリーできたのを含めこれまでみたのは93点。全点に済みマークがつくのはまず無理だが、みたかった作品はおおよそ目のなかにおさめたので気持ち的には楽になった。

モンドリアン(1872~1944)の‘ブロードウェイ・ブギウギ’は抽象絵画の美を競ったら確実に五本の指にはいる傑作。この画面ではそれまでの作品にみられた黒の線が消え、縦横にのびた黄色の帯が明るく輝き活気に満ちたNYの街並みを見事に表現している。感心するのは余白のつくりかた。交差する線と正方形、長方形でつくりだす全体の構成に間があいたり、またビジー過ぎることがないように余白をうまく配置している。

リストに◎をつけていたニューマン(1905~1970)の赤の色面、本物は圧倒的な赤だった!大変デカい作品で縦が2.42m、そして横はなんと5.43mもある。その巨大なカンバスにどどっと赤一色。ジップと呼ばれる5本の垂直の線条は即興的に引かれた感じだが、線と線の間隔が絶妙で画面を引き締めている。ニューマンを沢山体験しているわけではないが、この作品がベストワン。一生の思い出になりそう。

ニューマンより2歳年上で同じ年に亡くなったロスコ(1903~1970)、1949年に制作された‘NO.3/NO.13’はフィリップスコレクションでみた作品同様、その色彩の美しさに心がとろけんばかりだった。ロスコの描きだす色面の組み合わせは言葉では言い尽くせない魅力を秘めている。色彩美を肌で感じたいと思ったらロスコとニューマンをみるのが一番かもしれない。

ポロック(1912~1956)は2点あった。一点は初見だったが、‘五尋の深み’は日本で2001年お目にかかった。ポーリング全開の作品に魅了されているので、分厚くぬられた塗料を隅から隅まで夢中になってみた。とくに緑色のところは目に力が入る。

MoMA(9) ビッグネームが続々登場!

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Img_0001_2     ウォーホルの‘ゴールド・マリリン・モンロー’(1962年)

Img_0002_2     ローゼンクィストの‘マリリン・モンロー Ⅰ’(1962年)

Img_0005_2     コーネルの‘マリー’(1940年代はじめ)

Img_0004_2     シーガルの‘バスの運転手’(1962年)

MoMAはアメリカで生まれた現代アートの殿堂だから、ビッグネームの作品が次から次と現れる。その中で最も有名なのがウォーホル(1928~1987)の代名詞ともいえる‘ゴールド・マリリン・モンロー’、もうずいぶんご無沙汰しているからとても新鮮にみえる。

ワシントンのナショナルギャラリーにあった‘グリーン・マリリン’は写楽の大首絵のように画面いっぱいに描かれているのに対し、このマリリンの顔はとても小さい。でも、ゴールドを背景にした小さい顔にはすごいインパクトがある。マリリンの死のショックがまだ尾をひいているときにこの作品をみた人たちはマリリンが聖母マリアのようにみえ、涙がまたとめどもなく流れたにちがいない。

同様にマリリン・モンローをモチーフに使ったローゼンクィスト(1933~)の作品はすぐにはマリリンとむすびつかない。中央に文字が書かれているからマリリンのことだなと気がつくが、これがなかったら化粧品のポスターにでてくるモデルが逆さになっているのね、で終わり。図録だと動かせば人物の表情が読み取れるが、本物の前で上下が逆転した口と目をみてマリリンにみえる人はまずいない。これはひねりのアート。今、ローゼンクィストに開眼しつつある。

コーネル(1903~1972)は何点か川村記念美に展示されているので多少目が慣れている。ところが、20年前はこの作家は知らなかったから‘マリー’とはまったく縁がなかった。これは少女おたくの部屋に飾ってある作り物のよう。コーネルは少女趣味があったの?少女はかわいらしい顔をしているがこの情景はとても怖い。細い草木にぐるっととり囲まれるマリーはホラー映画に出てくる人形を思わせ、腹の底からじわじわ怖くなってくる感じ。

シーガル(1924~2000)の彫刻をみたのはこれまでほんの数点しかないから、‘バスの運転手’に出会ったのは貴重な体験。シーガルは1960年代に人体から直接型取りして石膏像をつくった。顔の型を取るとき目が開けられないのでどの作品も目をつぶっている。このバスの運転手も目をつぶって運転をしている。大丈夫かなぁー。

これでMoMAは終了。残すはグッゲンハイムとノイエ・ギャラリー。

グッゲンハイム美はもっと大きくなかった?

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Img_0002_2     グッゲンハイム美の外観は巨大なカタツムリ

Img_0005     ピサロの‘ポントワーズの風景’(1867年)

Img_0001_3     ゴーギャンの‘村の男と馬’(1891年)

Img_2     アンリ・ルソーの‘フットボールをする人々’(1908年)

日本へ帰る日の午前中は自由行動、月曜日は多くの美術館が閉まっているが、グッゲンハイム美はやっているので10時の開館にあわせてホテルを出た。前来たのは20年前だから、覚えているのは巨大なカタツムリを思わせる外観だけ、館内のレイアウトについてはまったく記憶にない。

ドアが開き意気込んで入ったが、なにかシーンとしている。先週まで‘黒と白のピカソ’という企画展を開催していてそのあとかたずけと次の展覧会の準備のため、中央の吹き抜けをとり囲んでいる螺旋状の回廊はクローズ中で横にある展示室も2室しかみれないという。拍子抜けした!リストには追っかけ画がいくつも書き込んであるというのに、、展示してある作品はわずか19点。20分で終わってしまった。

想定外の事態になったのだが、みたい度の強い絵がこのなかに運よく入っていたので半分の満足は確保された。その一枚がピサロ(1830~1903)の‘ポントワーズの風景’、印象派に画風が変わる前の作品で大作。メトロポリタンでも同じ年に描かれたものをみたが、仮に2点のうちどちらか1つをさし上げると言われたら、躊躇なくここにあるものをいただきたい。いったん左に曲がって先のほうで右のほうへむかっていく道には何人いるか数えてみたら9人いた。本当にいい絵をみた。

2点飾られていたゴーギャン(1848~1903)は1点は2010年にテートモダンであった回顧展でお目にかかったが、この‘村の男と馬’は初見。ピサロ同様、リカバリーを願っていた作品に出会えたのはラッキーというほかない。15点展示されている2階のこの部屋の記憶が消えているのだが、もっと広い部屋だったようなイメージがある。ところが、この美術館はそれほど大きくないことがだんだんわかってきた。巨大なカタツムリの外観によって大きな美術館のイメージができあがっていたのかもしれない。

特◎の絵が目の前に現れた。それはアンリ・ルソーの‘フットボールをする人々’、これで一気にニコニコ顔になった。ルソーに引き込まれるにつれ、いつかグッゲンハイムにあるこの絵をみたいという思いが強くなった。それがようやく実現した。視線が集中するのはやはり真ん中でボールを手から放している男。そして、下をみると心もとない表現が目に入る。なんとも貧弱な足!まるで中国人の纏足のように細い。

ピカソの‘黄色い髪の女’と再会!

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Img_0008_2     ピカソの‘黄色い髪の女’(1931年)

Img_0006_2     ピカソの‘水差しと果物鉢’(1931年)

Img_0002_2     マルクの‘黄色い牝牛’(1911年)

Img_0007_2     カンディンスキーの‘小さな喜び’(1913年)

グッゲンハイムはMoMA同様、久しぶりに訪れるので期待の作品が多かった。でも、その大半は次回に繰り越し、必見リストに◎がついていたのはシーレ、モディリアーニ、ロスコ、リキテンスタイン、そしてステラ。

こうした作品に会えればこの美術館は気が楽になる。実質2回の鑑賞でもうOK?、これには理由がある。1991年池袋にあったセゾン美(現在はなし)で‘グッゲンハイム美展’が開催された。当時大変話題になった展覧会なので足を運ばれた方も多いのではなかろうか。

その出品作がすごいラインナップだったことはその2年後この美術館を訪問し手に入れた図録(英文)をみて理解した。ここに載っている作品の多くが日本にやって来ていた!特筆ものはカンディンスキー、傑作がずらずらと並んでおり、夢見気分でみたことを今でもよく覚えている。今回日本でみた作品が3点でていた。

ピカソの4点のうち‘黄色い髪の女’と‘水差しと果物鉢’を長いことみていた。何年か前Bunkamuraで展示された‘黄色い髪の女’はお気に入りの作品、ピカソは昔から対象が直線的で角々描かれたものは好みでなく、この絵のように丸みをおびた造形にだけ熱い視線を注いでいる。

セゾンでみた‘水差しと果物鉢’は強いインパクトを持った作品。太い黒線で縁どられた水差しやテーブルカバーと鮮やかな緑が強く印象づけられる。緑、黄色、紫、好きな色が全部でてくるので上機嫌。

マルク(1880~1916)に開花するきっかけになったのがセゾンで遭遇した‘牝牛’、牛の飛び跳ねる姿が様式化されており、これにより動物のもつ生命力が力強く表現されている。その絵以降、マルクを体験する機会が何度かあったが、これを超える作品にまだ出会ってない。

この美術館自慢のカンディンスキー(1866~1944)はまたいっぱいみたかったのだが、4点のみ。残念ながらお目当てのものは姿をみせてくれなかった。その一枚‘小さな喜び’は日本で公開された17点のなかにも入っていたが、今回の展示はこの絵のタイトルのように小さな喜びにとどまった。


ダルビッシュ 惜しかった! 完全試合

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大リーグが開幕して第2戦、レンジャーズのダルビッシュはアストロズとの試合で大記録寸前のところまでいった。あと一人打ち取れば完全試合の達成だったのに、、本当に惜しいことをした。残念!8回4番のマーチンにボール3までいったときはハラハラしたがなんとか三振をうばったので、かなり高い確率で完全試合がみれるのではないかと思った。

9回は先頭打者の7番を難なくショートゴロ、続く8番も軽くセカンドゴロ、ここでダルビッシュはほっとしたように笑顔、本人はこれはやれるぞ、という気になったにちがいない。これはえらいことになった。あとひとりで大記録が実現する。そして、むかえた9番バッター、もう200%三振のイメージ、それいけダルビッシュ、が、1球目をいきなりセンターへクリーンヒット、万事休す!

ダルビッシュは昨年の終盤からレンジャーズの実質エース、今春のキャンプ、オープン戦でも順調に仕上がったみたいで、今日の登板はおおいに期待していた。序盤から三振をばんばんとり、まったく安定したピッチング。球がすっぽ抜けて四球が多かった昨年とはまるでちがう投球内容。1球々自信をもって投げている感じ。

圧巻だったのは3番のペーニャを156キロの速球で三振にうちとった場面。このピッチングは今年の活躍を暗示するような球、この試合の三振の数はこれを含めて14個。フォーシーム(ストレート)、スライダー、カットボール、どの球種もいいのでバッターはヒットを打つのはとても難しい。

アメリカの野球専門誌でダルビッシュはサイヤング賞の候補にあげられている。研究熱心なダルビッシュのことだから今シーズン、その高い投球技術をさらに進化させ、多くの野球ファンをうならせるビッグエースに成長するのではなかろうか。登板する試合が来るのがとても楽しみ。

待望のノイエギャラリーでクリムト三昧!

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Img_0003_2        ノイエ・ギャラリーの外観

Img_0001_2     クリムトの‘アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像’(1907年)

Img_0002_2         クリムトの‘踊り子’(1916~18年)

Img_0008_2     クリムトの‘黒い羽毛の帽子’(1910年)

Img_0005_2     シーレの‘緑樹に囲まれた町’(1917年)

5番街にあるノイエ・ギャラリーに関する情報がぐーんと増えたのは11年10月に放送されたBSプレミアムの美術番組‘極上美の饗宴’。おかげでギャラリーのある場所がイメージできた上、ここにあるクリムトは‘アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像’だけでなくほかにも2点あることがわかった。

ここへ是非とも足を運ぼうと思ったのはクリムトが3点もみれるから。でも訪問できる日は月曜日、だから開館してないだろうと半分あきらめていた。ところが、前日のNY観光を案内してくれた現地の男性ガイドさんに休館日を調べてもらったら、火曜&水曜だった。これは運がいい。開館時間は11時(夜6時まで)なので目と鼻の先にあるグッゲンハイムをみたあと寄ればいい。

好きな画家のことゆえ知ってることはもらさず伝えたくなる。ギャラリーは地下鉄4・5・6線86ST駅の前の通りを5番街に向かって7、8分歩くと到着する。ここからはMETへもグッゲンハイムへもすぐ行ける。館内に入ると料金は心づけでいいという。館全体が2月4日新装オープンする美術館のため準備の真っ最中、公開されているのはクリムトの作品が飾られている部屋だけ。急いで2階へ上がった。

ありました、ありました!クリムトの絵が、予定では3点だったが、なんと6点も、ええー、こんなにクリムトがあるの!もう天にも昇るような気分。そしてビッグなオマケがシーレ。これはたまらない。クリムトはここに紹介する3点、プラスTVで知った‘アッター湖畔ヴァイセンバッハの森番の家’(1912年)、‘カンマー城の公園’(1909年)、‘高いポプラの木’(1906年)

以前ウイーンでみたことのある‘アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像’の前ではどうしても2006年に落札された金額155億円のことが頭にちらつく。ウィーンの人たちにとってはこの黄金に輝くクリムトの傑作がベルヴェデーレ宮殿から姿を消したことは残念でならないだろうが、NYへよく出かける美術ファンには楽しみのスポットがひとつふえたことになる。

初見の5点をこころゆくまでみた。とくに長くみていたのは赤が印象的な‘踊り子’と魅力溢れる肖像画‘黒い羽毛の帽子’。そして、シーレの‘緑樹に囲まれた町’にも200%魅了された。わずか7点の鑑賞だったが、忘れられないノイエ・ギャラリーになった。NYへまた来ることがあったらもう一度行ってみたい。

ニューヨーク、フィラデルフィア 街角ウオッチング!

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Img_0004_2       ダコタアパート

Img_2       ‘自由の女神像’(1886年)

Img_0002_2      フィラデルフィア観光の定番‘自由の鐘’

★‘ダコタアパートはセントラルパークの近くにあった!’

ジョンレノンとオノヨーコが住んでいたダコタアパートのことを知ったのは昨年7月、鈴木其一の‘朝顔図’をとりあげた記事(拙ブログ08/7/22)に竹内友章さんからコメントがあり、歌舞伎の中村獅童が知人の住んでおられるダコタアパートに番組の取材でやって来たとのこと。ダコタアパートって?さっそくネットで調べてみたら、なんとあのジョンレノンが住んでいた超高級マンションだった。

今回、METへ入館する前少し時間があったので現地の日本人ガイドさんのはからいでダコタアパートへ行って写真をとることになった。場所は地図(拡大)でおわかりのように西72丁目沿い、METとの位置関係がつかめなかったが、あとでガイドブックをみるとMETの裏側だった。

竹内さんがここへ導いてくれたのかもしれない。このアパートの入り口でジョンレノンは撃たれたのだ、世界中に衝撃が走ったこの事件、ジョンレノンはまだ40歳だった。写真を撮った場所からセントラルパークへ入ってすぐのところに‘イマジンの碑’があった。NYを歩き回ったことがないので、こういう有名なところの情報に疎い。ミューズに‘NYへもっと出かけたら!’といわれているような気がした。

★‘遠くに自由の女神像が見えた!’

08年のときと同様、バッテリーパークから遠くに小さくみえる‘自由の女神像’を眺めた。1990年はじめてNYにやって来たとき、フェリーに乗り自由の女神像があるリバティ島へ行った。真近でみる女神像は200%圧倒されるデカさ。銅像の高さは46m、土台から女神が右手に持ったトーチまでいれると93m。こんな大きな建造物をみる機会はそうないから一生の思い出。だから、先月‘美の巨人たち’であった自由の女神像物語はのめりこんでみてしまう。隣の方はまだフェリーに乗ってないので、もう1回でかけてもいいなと思った。

★‘自由の鐘はフィラデルフィア観光の定番!’

フィラデルフィアははじめて訪れた。定番の名所観光の後、お目当てのフィラデルフィア美入館。美術館への思い入れが強いので現地の日本人ガイドさんがしてくれる話は3割しか覚えてない。この街は公共芸術プログラムが全米一だそうで街のいたるところに彫刻や壁画が飾られているらしい、バスの中からその片鱗がうかがえた。
名所観光で強く印象に残ったのが‘自由の鐘’、驚くのはひび。こういうひびの入った鐘はみたことがない。

アメリカ美術館巡りの感想記はこれで終わりです。長らくおつきあいいただきましてありがとうございます。名画の数々を皆様と共有できたことを喜んでいます。

お気に入りの美術番組!

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4月は新年度になり新しいTV番組がでてくるのでTVガイドをほかの月より念入りにみている。おもしろそうなものをいくつか見つけたが、はじまったばかりだから評価を下すのはまだ早い。で、その番組は先で紹介するとして今日は前からある美術番組のことを少しばかり。

わが家ではTVから流れてくる美術番組は大リーグ放送とともに毎日を楽しくすごすために欠かせないものになっている。今、関心の高い番組は、
★‘日曜美術館’   Eテレ  日曜 午前9時
★‘美の巨人たち’  TV東京 土曜 午後10時
★‘世界の名画’   BS朝日 水曜 午後9時
★‘BBC地球伝説’  BS朝日 水曜 午後8時
★‘イッピン’      BSプレミアム 火曜 午後7時半
★‘謎解き!江戸のススメ’ BSTBS 月曜 午後10時

2年前こうした番組にふれたときはBS放送に‘極上美の饗宴’(BSプレミアム)、‘美の浪漫紀行’(BSジャパン)があったのだが、ふたつとも昨年終了してしまった。毎週楽しくみていたので残念でならない。‘極上’は復活することはないだろうが、‘美の浪漫’のほうは頭に‘欧州’とついていたから次は‘アメリカ’を制作してくれるのではないかとひそかに期待している。BSジャパンさん、頑張ってね。

今嵌っているのは‘イッピン’(25分)と‘江戸のススメ!’(54分)、毎週チャンネルを合わしているわけではないが興味のあるテーマのときは目に力をいれてみている。‘イッピン’は昔からある伝統工芸における職人の技にスポットをあてている。科学的な分析などを挿入して技の極意を伝える編集はとてもわかりやすいので、関心がいっそう深まる感じ。脳がとくに本気になったのは‘美濃和紙’、‘箱根の寄木細工’、‘紀州備長炭’。

片岡鶴太郎と草野さんが着物姿で案内する‘江戸のススメ’も楽しくみている。直近では新歌舞伎座の完成にあわせて‘歌舞伎’をとりあげてくれた。ここ10年くらい江戸の社会文化に熱い関心が集まっているから、みている方も多いのではなかろうか。

‘BBC地球伝説’は毎月TVガイドでチェックしており、美術や歴史ものは必ずみるようにしている。再放送が多いが、先月放送された‘古代ローマの至宝’(3回)は2012年の制作だった。このシリーズは感心するほどよくできた番組だから新作には目が離せない。

アートに乾杯! 目に焼きついているびっくり表現

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Img_2                   ミュシャの‘メデイア’(1898年)

Img_0001_2 レンブラントの‘ベルシャザルの酒宴’(1635年 ロンドン ナショナルギャラリー)

Img_0005_2     レーピンの‘思いがけなく’(1884~88年)

Img_0002_2    ジャコメッティの‘テーブル’(1966年 ポンピドー)

本日の日曜美術館でとりあげられたミュシャ、今、六本木の森アーツセンターギャラリーで‘ミュシャ展’(3/9~5/19)は行われていることはもちろん知っている。はじめはでかけることにしていたが途中から気が変わり今回はパスでもいいかなと思っていた。以前にもプラハのミュシャ財団蔵のものはみる機会があり、作品の中心となっている装飾ポスターも結構みたというのがその理由。

ところが、番組の最後にでてきたミュシャ(1860~1939)が晩年に描いたという娘の肖像(油彩)が強い磁力を放っていたのでやっぱり足を運ぶことにした。処分したチラシにもこの絵が載っていたが、映像とはいえ本物にちかいもののほうがインパクトがあり、この絵は見逃せられないというのが素直な感情。

もう1点心を揺すぶる作品がでてきた。初見ではなく数回お目にかかっている‘メデイア’のポスター。この絵が目に焼きついて離れない一番の理由はそのびっくりした目。イアソンに捨てられたメデイアはあろうことかわが子まで殺してしまう。嫉妬が憎しみに変わり大きくしのびよってきた狂気性が皆殺しへと駆り立てる。タイムスリップしてサラ・ベルナールが演じてみせたたこの凍りついた目を劇場でみたくなった。

人物の心の中が手にとるようにわかるように描かれた絵はそうない。ミュシャの絵以外でびっくりした表情が忘れられない作品は3点。‘あらー、なんてことなの?王様の顔が恐怖でひきつっているわ’という感じなのがレンブラント(1606~1669)が‘ベルシャザルの酒宴’で描いた女。この絵をロンドンのナショナルギャラリーでみたとき、目が釘づけになったのは王の表情よりもこの隣にいる女のほう。まるで映画によくでてくる驚きの場面をみているよう。人間の感情がこれほどリアルに表現された絵をみたのははじめて。腹の底からレンブラントはスゴイなと思った。

ハッとする体験は昨年久しぶりにあった。それはBunkamuraの‘レーピン展’に出品された‘思いがけなく’。部屋に入ってきた男性を子どもと二人の女性が‘ええー、戻ってきたの?!’という顔つきでじっとみている。後ろの女性は死んだ人間が生き返ったかのようにおそるおそる見ている感じ。そのびっくりした目がじつに生感覚。

もうひとつジャコメッティ((1901~1966)が制作したヴェールを被った女性の頭部像も強烈なインパクトをもった作品。狂気じみた顔つきとテーブルにおかれた切断された手、ミュシャのメデイア同様、不気味で重っくるしい雰囲気が漂っている。

アートに乾杯! これぞ究極の泣き顔

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Img_2     マザッチオの‘楽園追放’(1425~28年 フィレンツエ ブランカッチ礼拝堂)

Img_0002_2     マンテーニャの‘死せるキリスト’(1470~74年 ミラノ ブレラ美)

Img_0006_3     クリヴェリの‘キリストへの哀悼’(1485年 ボストン美)

Img_0004_2     レンブラントの‘ガニュメデスの掠奪’(1635年 ドレスデン美)

西洋絵画では劇画のように人物の感情表現が極度に激しく描かれることはあまりない。宗教画のなかで最も悲しい場面はキリストが磔刑に処せられるところであるが、多くの絵ではキリストの死を哀悼する聖母マリアたちの表情は映画で俳優が演じるほどリアルな描き方はされない。

ところが、ときどきその悲しみの表情があまりにも真に迫っているので思わず感情移入してしまう作品に遭遇することがある。マザッチオ(1401~1428)の‘楽園追放’は究極の泣き顔の筆頭かもしれない。眉をハの字にして泣きじゃくるイヴ、楽園を出ていかなければならない悲しみ、そして深い絶望感がストレートに伝わってくる。

中世以来繰り返し描かれてきたキリストの死の場面、嘆き悲しみ聖母マリアたちの表情がこれまで最もリアルに感じられたのが2点ある。ひとつはミラノのブレラ美で出会ったマンテーニャ(1431~1506)の‘死せるキリスト’、キリストの足がこちらに向かってくる短縮法にまず度肝をぬかれ、そして布で涙をぬぐう老婆の姿に釘づけになる。この聖母マリアはじつに人間らしい、まさに運悪く自分より先に亡くなった息子を悲しむ母の姿。

ボストン美にあるクリヴェリの作品はまだ縁がない。これは現地で買った図録に載っておりとても衝撃を受けた。キリストの右で口を大きく開け天を仰いで泣き悲しむヨセフの表情には現実感がある。幼い子は母親が欲しいものを買ってくれないときはこのような顔で泣きわめく。ダメなものはダメなの!わからない子ねえー、

レンブラント(1606~1669)の描いた‘ガニュメデスの掠奪’はお気に入りの一枚。この坊やはゼウスが変身した鷲が怖くてたまらない、あまりに怖いもんだからお漏らししてしまう。ゼウスもこれほどいやがる子供をなにも天に連れていくことはなかろうに。

それにしても、レンブラントはおもしろい発想をする。オウィデイウスの本ではガニュメデスは美少年なのに、こんな泣き虫坊やに変えてしまった。人一倍人間が好きだったにちがいない。

今年は上野にルネサンスの巨匠が集結!

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2日前、知人から電話があり‘上野でやっているラファエロ展はいいですか?’と聞かれた。そういうお話ならと美術館に代わって大宣伝しておいた。美術の本によく載っている傑作‘大公の聖母’が日本にはじめてやって来てから1ヶ月が過ぎ、展覧会は中間点にさしかかるところ(6/2まで)。月末からのGWに入るとラファエロ人気はさらに沸騰するにちがいない。

今年前半に行われる西洋絵画関連の展覧会で主役をつとめるのは最初がエル・グレコ(7日に終了)で、次がラファエロ。上野では1ヶ月ちょっと二人の共演が実現したが、23日からはダ・ヴィンチが東京都美に登場し、ルネサンスのビッグツーのコラボがスタートする。

‘レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像’(4/23~6/30)にでてくるのはミラノにあるアンブロジアーナ図書館・絵画館が所蔵する‘音楽家の肖像’と‘アトランティコ手稿’。8年前、ビル・ゲイツが所蔵するダ・ヴィンチの直筆ノート‘レスター手稿’が森アーツセンターで公開されたが、今回は最も有名なアトランティコ手稿。これは見逃せない。

油彩の‘音楽家の肖像’は一度現地でみたことがある。06年のこと。ダ・ヴィンチはこの絵に遭遇したので画集に載っている作品はコンプリートになった。が、翌年小学館から出版された‘西洋絵画の巨匠シリーズ レオナルド・ダ・ヴィンチ’ではこの作品は‘レオナルド工房作か’となっている。著者の池上英洋氏は真筆説には否定的。ダ・ヴィンチ研究の権威のマーティン・ケンプ(オッククフォード大)氏の見解はどっち?

ラファエロとダ・ヴィンチがともに日本で楽しめるなんて夢みたいな話だが、秋になるともう一人のビッグネーム、ミケランジェロが西洋美にやって来る。会期は9/6~11/17、ミケランジェロの彫刻が過去に日本で公開されることは一度あったがこの時は木彫、今回展示される‘階段の聖母’はおそらくはじめての大理石の彫刻作品。所蔵しているのは3年前フィレンツエへ行ったとき出かけたカーサ・ブオナローティ。再会が楽しみ!


圧巻 ‘狩野山楽・山雪展’!  山楽

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Img_2     ‘龍虎図屏風’(重文 右隻 17世紀初 京都・妙心寺)

Img_0001_2     ‘龍虎図屏風’(重文 左隻)

Img_0002_2     ‘紅梅図襖’(部分 重文  17世紀初 京都・大覚寺)

Img_0003_2     ‘文王呂尚・商山四皓図屏風’(部分 重文 右隻 17世紀初 京都・妙心寺)

4年ぶりに京都を訪れ京博で開催中の‘狩野山楽・山雪展’(3/30~5/12)をみてきた。これは日本美術の展覧会では最もみたかったものだから、ワクワク気分で入館した。

出品作は83点、大半が通期の展示で一部、前期(3/30~4/21)と後期(4/23~5/12)に登場する。そのうち山楽(1559~1635)は17点、そして山楽と山雪の合作が2点、残りが山雪(1560~1651)。なにしろはじめて体験する山楽・山雪の回顧展だから収穫は多い。手元に画集がある山楽はまだお目にかかってないのが4点、そして山雪は初見の作品があれもこれも、テンションはどんどん上がっていく。

最初の部屋に山楽の傑作がずらっと並んでいる。これは圧巻!運よく過去みたものだが、こうして一堂に会すると山楽の技量の高さを再認識する。やはり見入ってしまうのが妙心寺にある‘龍虎図’。これは09年東博であった‘妙心寺展’でも公開された。

数多く描かれた龍虎図、獰猛さではこの虎の右にでるものはいない。足を大きくひろげてふんばり顔を横に向け龍を威嚇する姿は迫力満点、こんな怖い虎には危険すぎて近づけない。一方、龍のほうも画面の構成が印象的、その胴体は多くが二つの雲の渦巻と斜めにのびる3本の光の帯に隠れている。稲妻で虎を幻惑させようという作戦か、かっと見開いた目で虎を睨み返している。どちらも強い生命力がまわりの空気をびりびり振動させている感じ。何度見ても惹きこまれる。

‘紅梅図襖’は永徳を彷彿とさせる豪快な樹木とピンクの梅に魅了される堂々たる金碧画。09年の京都美術巡りのときは最後に行った大覚寺でじっくりみた。横に広がる紅梅、細い枝がリズミカルにのび美しいつぼみを咲かせている。動きを感じさせる大きな幹、そしてそのダイナミズムを柔らげる花の繊細な描写。動と静を優雅に溶け合わせた山楽独自の世界。心ゆくまでみていた。

‘文王呂尚’の魅力は鮮やかな色彩、文王やおつきのものが着ている衣服の白や緑、うす青の発色の良さ。これまでみた山楽の屏風では一番色が輝いている。

サプライズの細密描写! 山雪の‘長恨歌図巻’

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Img_2     上巻 ‘玄宗と楊貴妃 情を交わす’

Img_0001_2     上巻 ‘安禄山の乱 長安城壁へ進軍’

Img_0002_2     下巻 ‘蜀の難所 剣閣山の急峻な山道を登る’

Img_0004_2     上の部分

2年前、夢の‘日本美術里帰り展’でとりあげた作品(拙ブログ11/10/4)がなんと実際に京都にやって来た!それは狩野山雪(1590~1651)の描いた‘長恨歌図巻’(江戸初期 17世紀前半)。アイルランドのダブリンにあるチェスター・ビーティー・ライブラリーが所蔵するこの絵の存在を知ったのは今から13年前、朝日新聞の日曜版に‘名画日本史’という連載があり、これが一冊の本になった。

わが家ではこの本は西洋版の‘世界名画の旅’とともに傑作絵画を知るバイブル、だから追っかけ画の鑑賞計画を立てるときにはいの一番にここにでている作品をチェックするのがルーチン。‘長恨歌’は裏彩色が施され色彩の鮮やかな絵巻というのでいつか対面したいと願っていた。その絵が今目の前にある。上巻と下巻があり、別々の部屋で会期中展示される。いつ行ってもみられるのでご安心を、長さは両方とも10m、そのため上巻については前後期で巻き替えされ場面が変わる。

体を屈め気味にみることになるのでちょっと腰が痛くなるが、目を見張らされる色彩の鮮やかさや木々とか楼閣とか人物の衣装の精緻な描写をみればそんなことは吹っ飛び玄宗と楊貴妃の悲恋を描いた場面展開を夢中になっていた。これほど脳を本気にさせる絵巻をみるのは久しぶり。山雪、恐るべし!

上巻に蛍がでてくる。どのあたりかは見てのお楽しみ!前期(3/30~4/21)にでている上巻の場面は安禄山の乱が勃発し、反乱軍が長安城壁を目指して進軍するところまで。風に揺れる赤い旗が印象深く躍動感あふれる馬の描写が見事。後期(4/23~5/12)に出動される方は最後に描かれた楊貴妃が処刑される場面に立ち会える。

下巻の見どころは都を追われた玄宗とおつきのものたちが蜀の難所を進んでいくところ。急峻な山道を登り、崖沿いの桟道を恐る恐るわたっていく。TVの映像で蜀の桟道の跡をみたことがあるが、こんな切り立った崖の横にどうやって道をつくったの?という感じ。足を踏み外して下の川に落ちた者が少なからずいたに違いない。

パワーにあふれ工芸的な香りのする山雪ワールド!

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Img_0002_2     ‘老梅図襖’(1646年 NY メトロポリタン美)

Img_0001_2     ‘群仙図襖’(1646年 ミネアポリス美)

Img_0003_2     ‘雪汀水禽図屏風’(重文 右隻 17世紀前半) 

Img_0004_2     ‘雪汀水禽図屏風’(左隻)

狩野山雪(1590~1651)に開眼する機会が過去に3回あった。そのひとつが08年NYのメトロポリタン美を訪問したときお目にかかった‘老梅図襖’。日本館のなかに小さな座敷がつくられ奥に飾ってあった。全体が暗く襖に最接近できないので細かいところはよくつかめないが、角々と曲がる太い梅の枝に強い衝撃を受けた。と同時にこんな梅が実際に存在するの?ということに気が回りだした。

この‘老梅図襖’が展示されている。‘妙心寺展’のときにも出品されたが、今回の里帰りには嬉しい演出がなされていた。この襖絵はもともと妙心寺塔頭 天球院にあったもの。そして裏側にあったのが現在ミネアポリス美にある‘群仙図’。アメリカに渡る前までは二つは一緒に所蔵されていた。アメリカの東部と中部にあるこの二つの襖絵がこの展覧会で同時にみれることになった。流石、京博、やってくれました!二つが表裏の状態になるのは50年ぶりという。これが回顧展の醍醐味。

3度目の対面となる‘老梅図’、この度時間かけてみたのは強いインパクトを持った太い幹や枝より細い枝のほう。よくみると脇役の細い枝が横や斜めさらには真下、垂直にのび、これにより画面に奥行きを与え立体的な空間が生まれている。

最後に飾ってある屏風‘雪汀水禽図’は7年前この回顧展が開かれている京博の平常展で遭遇した。このとき山雪のスゴさに体が震えた。再び対面していろんなことが思い浮かぶ。まず、右隻の松に積もった雪の描写、蒔絵箱に施された意匠をみているような感覚になる。とても気になるのが中央の岩。いく層にもできた穴はとてもモダンでシュールな造形、日本の伝統美である装飾性とシュールな造形感覚が一枚の絵のなかに同居しているのに違和感を感じない不思議さ。こんな体験はこれまでなかった。

右隻でも左隻でも目を奪われるのが銀が輝く波、このてかてか光る波の線は柴田是真が得意とした青海波塗をイメージさせる。そして、波のうねりかたはトポロジーの柔らかな曲面をみているよう。こういう装飾性豊かで洗練された波は宗達や光琳の‘松島図’とか加山又造の‘千羽鶴’で表現された波濤と合い通じるものがある。ほとほと感心する山雪の造形感覚、言葉を失ってみていた。

京都市美に‘ゴッホ展’が巡回していた!

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Img_2     ‘パイプをくわえる自画像’(1886年)

Img_0005_2         ‘テオの肖像’(1887年)

Img_0004_2     ‘石切り場のみえるモンマルトルの丘’(1886年)

Img_0002_2     ‘サン・ピエール広場を散歩する恋人たち’(1887年)

京都へ出かけた10日は夜横浜球場でDeNA対広島戦をみることになっていたので、京都にいたのは4時まで。‘山楽・山雪展’を午前中にみて、午後は京都市美に足を運び‘ゴッホ展’(4/2~5/19)を楽しんだ。

アムスにあるゴッホ美所蔵の作品が昨年の夏から秋にかけて長崎のハウステンボスで公開されたことはBSプレミアムの番組で紹介されたからしっかり頭の中に入っている(拙ブログ12/10/22)。この回顧展、ハウステンボスの単独企画と思っていたが、そのあと京都、仙台、広島に巡回することになっていた。
★仙台 宮城県美:5/26~7/15
★広島 広島県美:7/22~9/23

このことを知ったのは新幹線の切符を予約した後、京博のあとほかの美術館でめぼしい展覧会をやっていないかHPをサーフィンしていたら、京都市美のゴッホ展にぶちあたった。じつにいいめぐりあわせ。京都市美があるのは京近美の前。乗りなれない地下鉄の東山駅で下車しそこから歩いたが、5分くらいで着くイメージが倍の10分かかった。

この美術館では今、‘リヒテンシュタイン美展’と‘ゴッホ展’が同時開催されている。どっちのほうに多くの人が流れているかというとやはりゴッホ。5人対1人という感じ。日本に限らずゴッホは世界中で愛されている画家だから、リヒテンシュタインのルーベンスは相手が悪すぎた。

ゴッホ美は自画像を17点所蔵しているが、今回8点が展示されている。そのなかで学者のような顔で描かれている‘パイプをくわえた自画像’に思わず足がとまった。初見ではないがとても魅了される肖像画。‘テオの肖像’は2年前、ゴッホ自身を描いたものとみられていたがじつは弟のテオだったと美術館から発表され話題になったもの。縦19㎝、横10㎝のなんとも小さな作品。隣には同じサイズで描かれたゴッホのものが並んでいる。

フィンセントとテオはよく似た兄弟だったようだが、テオの耳は丸くて頬髭がないことがこれまでの説を覆す決め手になった。たしかにほかの自画像をみるとフィンセントの耳は丸くはなく分厚い感じ。

関心を寄せていたのは現地では展示スペースの関係でなかなかみることのできない自画像、今回新規のものが4点あったので大満足。で、あとは展示の中心になっているパリ時代に描かれた人物画、花の絵、風景画をさらっとみた。とはいって大好きなゴッホだから、早足で通りすぎるというわけにはいかない。

絵の前にいる時間がどうしても長くなるのが風車の並ぶ光景が心を揺すぶる‘石切り場のみえるモンマルトルの丘’と点描法で丁寧に描かれた‘サン・ピエール広場を散歩する恋人たち’。3組のカップルがいる公園の絵は日本にやって来たような気がするが、絵のサイズは覚えてないのでその大きさにびっくりさせられた。

今回の一番の収穫はゴッホがパリ時代どのように絵を描いていたのかがよくわかったこと。どんな支持体にどんな色で、そしてどんなテクニックを使って描いたのか、ゴッホ美の学芸員たちが行った研究成果がわかりやすく解説されている。貴重な体験だった。

金鍔(きんつば)はお好き?

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Img_2     名代金鍔

今年から‘一日一知’ということをはじめた。わが家ではTVを見ている時間がとても長い、大リーグ、ニュース、視聴率の高い人気バラエティ番組、そして収録した美術文化番組の再生。その合い間に展覧会の図録や画集をみたり、関心のある芸術や歴史の本を読むことが入る。

だから、いろんな情報が映像や活字を通して入ってくる。そのなかにはそのときだけで終わりというものもあれば脳を特別本気にさせるものもある。で、脳を刺激したおもしろいコトや物、腹にストンと落ちたことなどをひとつだけ長年使っているコンパクトダイアリー(手帳)に書き込みことにした。これがわが家の‘一日一知’。今日はそのひとつ、‘金鍔’(きんつば)の話。

金鍔がどうしてこう呼ばれるようになったか?この話が先月放送されたBSTBSの番組‘謎解き!江戸のススメ 老舗’にでてきた。きんつばという和菓子、今は口にすることはほとんどないが小さい頃はよく食べていた。父親が和菓子が好物で給料日にはきまって買ってきた。春のなると桜餅、鶯餅、そしてあんこを薄皮でつつんだきんつばとか最中は年間を通して食べる定番の菓子だった。このお茶を飲みながら和菓子を食べる習慣が高校を卒業するまで続いた。

日本橋にある栄太樓總本舗(1857年創業)の看板商品‘名代金鍔’、この和菓子が生まれたいきさつは社長によるとこう。
‘昔、刀の鍔師がいて殿様から金の鍔をつくってくれと言われた。ところが、この鍔師は悪い野郎で中は鉛にして上っ面だけうすく金を貼った。その事件に発想を得てあんのまわりにうす皮で覆ったのが金鍔(きんつば)のはじまり。で、うちのきんつばは丸い’。

なるほどね、それで金鍔なのか!菓子の形と偽金鍔のイメージがピッタリ合うので腹にストンと落ちる。商才にたけた人はやはり目のつけどころが違う。これまでこのお店の名前は知っていたが、店舗がどこにあるのか知らなかった。この番組のあと地図(拡大)をみてみると、日本橋の南側のすぐ近くにあった。ここだったのか!次回、三井記念館へ行くときは帰りに寄ってみることにした。ここのきんつばはどんな味だろうか?

番組にでてきた老舗がこの地図にいくつか載っている。‘神茂’(はんぺん)、‘日本橋弁松総本店’(弁当、乾物)、‘さるや’(楊枝)、‘江戸屋’(ブラシ)、この界隈をぶらぶらするのも楽しいかもしれない。

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