現在休館中の大倉集古館、ホテルオークラもニリューアルに入ったので数年間はこのあたりを散策することがなくなった。大倉集古館の日本画コレクションには名画が揃っていることで有名。宇田荻邨(うだてきそん 1896~1980)の‘淀の水車’もその一枚。
絵に描かれている水車は実際に宇治川では昭和の初期まで稼働していて、その直径は4メートル位だったといわれている。広島にいたとき岡山県の奥のほうで形は違うが水車を目にしたことがある。水車によって水がパシャパシャが流れるのをみているのはじつに楽しい。この宇治川の水車はそばに水鳥が寄ってきていかにも雅な感じ。いつか再会したい。
仕事で名古屋に住んでいたとき熊野を旅行し念願だった那智の滝をみた。日光の華厳の滝が豪快なイメージを受けるのに対し、那智の滝はご神体という印象が強く身がひきしまる思い。
その那智の滝を描いたいい絵が近代日本画にもある。それは山口蓬春(1893~1971)の‘三熊野の那智の美御山’、那智の滝と熊野灘がこの絵のように一望できることは現実にはないが、画面の下の部分を俯瞰の構図、そして那智の滝は見上げるように描く画面構成は見事。構図とともに目を奪われるのが上の濃密な群青。この強い青が那智の滝の白さを浮かび上がらせている。
冨田渓泉(1879~1936)の‘神庫’は当時駐日フランス大使だったポール・クローデル(1868~1955)の依頼によって制作されたもの。じつはこの大使はあの女性彫刻家カミーユ・クローデルの弟。ポールは象徴主義の詩人・劇作家でもある。描かれているのは東大寺の法華堂の近くの校倉。2009年、パリから80数年ぶりに里帰りしたこの絵を見れたのは幸運だった。