‘聖母のもとに現れる復活したキリスト’(1630年 チェント市立絵画館)
‘聖母と祝福を授ける幼児キリスト’(1629年 チェント市立絵画館
上野の西洋美で行われている‘グエルチーノ展’(3/3~5/31)をみてきた。ヨーロッパにある美術館をまわるとグエルチーノ(1591~1666)という画家には時々出会う。でも、その作品を時間をかけてみたというのは1点だけ、たいていはさらっとみて終わり。だから、これまでグエルチーノは印象の薄い画家だった。
そんな馴染みのない画家の回顧展が東京で行われることになった。作品の数は全部で39点、その多くがグエルチーノが生まれたチェントにある市立絵画館が所蔵するもの、チェントはフェラーラとボローニャの中間に位置しており、ボローニャからも11点来ている、また周辺のモデナ、パルマ、そしてグエルチーノが2年あまり滞在したローマにある作品も集結した。
今回作品をみるとき頭に浮かべた基準作があった。それは5年前ローマのカピトリーニ美でみた‘聖ペテロネラの埋葬と被昇天’。これは新しく教皇になったグレゴリウス15世に呼ばれてローマにやってきたグエルチーノがサンピエトロ大聖堂の礼拝堂のために描いた大きな祭壇画。声を失うほどの見事な絵で立ち尽くしてみていた。この一枚でグエルチーノのイメージが一変した。こんなスゴイ絵を描いていたのか!
この絵が目に焼きついているので、出品作が楽しめたかどうかはこれとの比較になる。だから、展示室に入ってからずっとテンションがあがることはなかった。正直なところ、長く見ていたのは3点だけ。チェント市立絵画館蔵の‘聖母のもとに現れる復活したキリスト’と‘聖母と祝福を授ける幼児キリスト’、そして最近発見されたという‘ルクレティア’。
この3点はグイド・レー二(1575~1642)の作品から大きな影響を受けている。絵の様式としては古典主義、人物が理想化されているのでカラヴァッジョのような生の感じがない。だから、ほかの作品に比べると魅了されるが、好みの画風は200%カラヴァッジョなのでカラヴァッジョ風のところがある‘聖ペテロネラの埋葬と被昇天’のようにまたみたいという気持ちがおこらない。
ロンドンの個人が所蔵している‘ルクレティア’は大収穫、レーニの描いたものよりぐっと惹かれる。これまでレンブラントの描いたルクレティアがお気に入りだったが、基準作はこのグエルチーノのものに変わった。暗い背景にルクレティアの白い肌が浮き上がっており、金属の質感がよくでている短剣や深いえんじ色の衣裳の描写がすばらしい。
‘聖フランチェスコの法悦’は一度ドレスデン国立美でみたことがあるのですぐ反応した。こういうカラヴァッジョを連想させる作品は見逃せない。横にあるレーニが同じ画題で描いたものからはすぐ視線がこちらにむかった。
宗教画の展覧会で知名度の低いグエルチーノとなると、多くの人を集めるのは難しいだろう。館内にいる人の数は風俗画が人気を集めているルーヴル美展(国立新美)の1/5くらい。ところで日曜美術館はこれを取り上げるのだろうか?
バロックというとすぐ思いつくルーベンスの絵のように色が鮮明で構図にダイナミックな動きがあり生き生きした人物描写といったものをイメージして出かけると消化不良になる。‘よみがえるバロックの画家’は確かにそうだが、カラヴァッジョやルーベンスで想起されるバロックとは距離がありすぎるからこの際忘れたほうがいい。
そして、カラヴァッジョとの関連性もそれほど意識することもない。カラヴァッジョよりもグエルチーノが近づきたかったのはラファエロ、画業の後半は第二のラファエロになろうとしたレーニを凌駕して第三のラファエロになったかもしれない。それがこの展覧会の一番の見どころ。