森島中良の‘平賀源内像’(18世紀 国立国会図書館)
平賀源内の‘物類品隲’(1763年 宋紫石画 香川県立ミュージアム)
毎週みている大河ドラマ‘べらぼう~蔦重栄華乃夢場噺~’にどっぷり嵌っている。浮世絵やこの頃の江戸の社会・文化について関心のある人はきっと同じような思いだろう。今回、情報がいろいろ集まってきたのがよく登場する平賀源内(1728~1779)。今月中頃に放送されたNHKBSの番組‘英雄たちの選択’に取り上げられたのを機に、これまで理解している驚異のマルチ・クリエーター、源内が心の多くを占領するようになってきた。2日前は運よく馴染の本屋で2023年にちくま学芸文庫として刊行された芳賀徹著 ‘平賀源内’(1981年 朝日新聞社)が手に入った。
源内との関係を興味深くみている人物の生まれた年、死んだ年を記してみると、
☆田沼意次(1719~1788)
☆蔦屋重三郎(1750~1797)
☆宋紫石(1715~1786)
☆小田野直武(1749~1780)
☆司馬江漢(1747~1780)
源内がブレーンとして強い関係をもっていた意次はひとまわり年上で、蔦重は22歳若い。そして、源内がプロデュースして1762年に湯島で開催された物産展 ‘第五回東都薬品会’の図録としてつくった‘物類品隲’(ぶつるいひんしつ)の挿画を描いた宋紫石は意次より4歳年上。この宋紫石は江戸に生まれた絵師で本名は楠本幸八郎といい、長崎に遊学し清の画人・宋紫岩に学んだので宋紫石という名前になっている。日本にやって来た清の沈南蘋が伝えた迫真的な写実描法による花鳥画を江戸に広め、南蘋派として人気があった。
芳賀徹氏の本の表紙にでてくる印象深い肖像画は一体誰が描いたのか気になっていたが、高松藩の家老木村黙老の手になるものだった。極彩色がいい感じなので知っている浮世絵師かな、とずっと謎だった。世の中には上手な画家はたくさんいる。もうひとつの墨のスケッチは源内の門人森島中良が描いたもの。どこかふてぶてしいので山師のイメージがかぶってくる。
源内による唯一の油彩画として知られてきた‘西洋婦人図’はとても気に入っている。とくにいいのがぱっちりした目とふさふさした黒髪が気品を漂わせており、吸いこまれる。源内は秋田藩から鉱山開発と技術の改良を求められ秋田を訪れたとき、画技のすぐれた若き武士、小田野直武(秋田蘭画の中心人物)に目をとめ西洋画の陰影法を教えたと伝えられている。そして、直武と同時代を生きた司馬江漢も源内から銅版画のすばらしさを聞き、洋風画に転向している。