ダ・ヴィンチの‘最後の晩餐’(1495~98年 サンタ・マリア・デッレ・グラツイエ聖堂)
マンテーニャの‘ゲッセマネの祈り’(1460年頃 ナショナルギャラリー)
エル・グレコの‘ゲッセマネの祈り’(1590~95年 トレド美)
カラヴァッジョの‘キリストの捕縛’(1601年 アイルランド国立美)
西洋絵画への関心が普通の人がパリへ出かけると定番の名所観光としてル
ーヴルを訪問し、ダ・ヴィンチ(1452~1519)の有名な‘モナ・リザ’
を大混雑のなかだけどしっかりみることができる。一方、もう一つの代表作‘最後の晩餐’のほうはイタリア観光の団体ツアーに参加すると、旅行
会社がこの絵があるミラノの聖堂で設定されてる鑑賞時間の予約を取ってくれる。でも、絵を見られる時間はわずか15分なので、忙しい鑑賞になる。
これがバスが途中で交通渋滞とかに遭遇し、決めれた時間に聖堂に到着しな
かったら、パニくる。旅行会社はあの手この手を使ってなんとか調整して、
時間遅れで対面の段取りをしてくれるが、これによって行程が狂いほかの観
光地がパスになることはよくある。若い頃、ジュネーヴからクルマを走らせ
てミラノを楽しんだときは、予約はなく存分にみれたが、2006年に再会
したときはバスが遅れて参加者の半分の人たちは1時間待ってようやくみれ
るという事態に。この体験があるので、‘最後の晩餐’の鑑賞は大仕事のイメ
ージが沁みついている。これは今でも変わってないだろう。
最後の晩餐のあと、キリストはゲッセマネと呼ばれる園へ行き、祈りを捧げる。‘私が祈っている間、ここに座っていなさい’と言われたのにペテロ、ヤコブ、ヨハネは横になって眠り込んでいる。マンテーニャ(1431~1506)の絵では左上に現れた天使たちがキリストの前に磔刑の十字架などの受難の刑具を掲げており、右の真ん中の遠景に裏切ったユダが兵士たちを先導する場面が描かれ、キリストの捕縛が迫ってきているというのに。エル・グレコ(1451~1614)では人間的な恐れと葛藤をみせるキリストの姿がドラマチックに大きく描かれているのに対し、弟子の3人は天使が乗る雲とも洞窟とのつかない不思議な楕円形の塊のなかで眠っている。
2010年ローマで開催されたカラヴァッジョ(1571~1610)の大回顧展をみることができたのは生涯の喜びでであり、エポックメイキング的な鑑賞体験だった。収穫はたくさんあったがアイルランド国立美(ダブリン)から出品された‘キリストの捕縛’のその一枚。回顧展に縁がなければ、遠い国にあるこの絵はずっと夢の絵だった。兵士たちにキリストが誰かを教えるためにユダが接吻する場面がリアルな人物表現によって描かれている。キリストに加えられた肉体的な暴力の激しさをよく伝えているのがティツィアーノ(1485~1576)の‘茨の冠’。キリストの像は1506年にローマで発見された古代彫刻ラオコーンから想を得ている。