ラファエロの‘キリストの変容’(1518~20年 ヴァチカン美)
エル・グレコの‘神殿から商人を追い払うキリスト’(1600年 ナショナルギャラリー)
ティントレットの‘使徒の足を洗うキリスト’(1547年 プラド美)
絵画や彫刻で表現されたキリストの物語は‘受胎告知’や‘聖母子像’などのように
聖母マリヤや赤ちゃんのキリストと向き合っていると心は静まり、宗教画なの
だけれどいい絵を見たという印象を強く持つ。でも、修行をつんだキリストが
悩める人々に奇跡をおこして勇気づけ、救世主として人々の心をとらえるようになると、その思いが変わりだんだん少し緊張して作品に向き合うようになってくる。
NYにフリックコレクションという質の高い美術品を所蔵する邸宅美術館がある。フェルメールをはじめ天にも昇るような気持ちにさせてくれる傑作が数多くあるが、クロード・ロラン(1604~1682)の‘山上の垂訓’もそのひとつ。キリストが木の生い茂るタボル山の山頂で12人の弟子に囲まれ、集まった群衆に説教をしている情景が描かれている。この絵が感慨深いのは ‘自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人は幸いである。その人たちは慰められる。、、、、、’という‘山上の垂訓’のイエスの言葉は多少は知っているので、これが一番有名な説教の場面かと、吸い込まれるようにみてしまうから。
ラファエロの‘キリストの変容’をヴァチカン美でみたときは神経が過剰ともいえるくらい高ぶった。画面の上は飛翔する神々しいキリストに、これぞ宗教画!という感じがするのに、下は半端でない衝撃度がある。左にいる目をむき気がふれたような少年にまわりの大人たちの視線は集中し、ザワザワしている。晩年のラファエロがこんな激しい動きにみちた人物表現とキリストを組み合わせていたとは。
自分の死を覚悟しその行動が激烈になってきたキリストをそのまま描いているのがエル・グレコ(1541~1614)の‘神殿から商人を追い払うキリスト’。エル・グレコが大好きなのでこういう絵には敏感に反応する。最後の晩餐の前、キリストは手拭いを手にして桶に水を張って使徒たちの足を洗う。ティントレット(1519~1594)は横長の大画面(縦2.1m、横5.3m)の右端にこのシーンを描いている。線遠近法の焦点を真ん中をはずして左寄りにつくる構図が見事!立ち尽くしてみていた。