画家の人気や評価はその表現における個性の強さ、輝きによって生まれてく
るが、それが単独の存在ではなく相棒と部分的に共有する表現からより強く
認識されることがある。たとえば、日本画なら池大雅と与謝蕪村、横山大観
と菱田春草、今村紫紅と安田靫彦、速水御舟と小茂田青樹、横山操と加山又
造、そして洋画では同じ年に生まれた梅原龍三郎(1888~1986)と
安井曾太郎(1888~1855)。
梅原、安井というと洋画の世界では大きな存在で野球なら上位打線をまかせ
られる大画家である。だから、絵画鑑賞が趣味になり展覧会に頻繁に通うよ
うになったら、二人の描いた傑作を集めた回顧展に何度か遭遇すると思って
いた。ところが、これは当てが外れた。日本画家、大観や松園や東山魁夷ら
人気画家の作品を見る機会が数多くあるのに対して、洋画家はずいぶん分が
悪い。東近美には安井の傑作肖像画‘金蓉’があるから、ここで大安井曾太郎展
が開催されると期待していたが、今だに実現しない。これまでいい思いをし
たのは以前のブリジストン美(現在のアーティゾン美)で楽しんだ‘安井曾太
郎の肖像画’(2009年)の1回だけ。梅原も大きな特別展には縁がなく
2006年、日本橋三越で行われた‘色彩の画家 梅原龍三郎展’のみ。
そのため、美術本で知った作品でまだお目にかかってないものがだいぶある。
梅原は風景画に大変魅せられており、度々出かけた北京の観光名所、紫禁城
と天壇を描いたものは運に恵まれ永青文庫や東近美、京近美でみることがで
きた。つくづく天性のカラリストの存分に発揮され、あ明るい朱色や雲の白、
空の青が目に心地いい。まだみていない‘霧島’や‘朝暘’では色彩の力が重く深
いため、山がどっしりした存在感をみせ画面に引き込まれる。大原美には
数回足を運んだのになぜか‘裸婦扇’の記憶が残ってない。マティスが妻の顔に
使った緑がどーんと目にとびこんでくる‘竹窓裸婦’ばかりに気をとられて印象
が薄くなったのだろか。
以前京都へよく出かけたとき京近美を訪問することがあったが、安井の‘ポー
ズせるモデル’ は姿をみせてくれなかった。安井も梅原同様色彩の感性が
豊かで、白のインパクトが強く印象に残る。堂々たる裸婦図なので、一瞬た
じろぎそう。数多くある静物画のなかで一番気に入っているのが‘桃’。視線
が向うのは桃の皿が置かれた丸テーブルの方。右の端を画面から消している
のがいい。