国宝 ‘中尊寺金色堂’(1124年)
奈良や京都にある寺院で法隆寺や金閣寺などは修学旅行で見学できるが、
ほかにも一度はみてみたい建築物がたくさんあるので社会人になってからは
中長期にわたる鑑賞計画をアバウトにつくり暇をみつけては出かけてきた。
そのなかで優先順位が高かったのが日光東照宮。目を奪われる絢爛豪華な
装飾が重層的にみられる陽明門は日光観光のハイライトである。終日眺めて
いても飽きないとして‘日暮門’とも呼ばれている。門の高さは11m、軒下
に施された彫刻は龍や麒麟,天馬など508体、その彫刻を支えるのは複雑
な組物。金箔による黄金の輝きを増した霊獣たちは黒地に冴えわたり、西洋
人も驚愕する日本発のバロック様式を生み出した。
東照宮には土産話に事欠かないものがいくつもある。神厩の欄間の彫刻、
‘見ざる、聞かざる、言わざる’の三猿。伝説の名匠、左甚五郎の作‘眠猫’。
そして、参加型の遊びに興じられる‘鳴龍’(本地堂)。天井に大きく描かれ
た龍は頭の下に立って拍手をすると金鈴のようないい音を響かせる。そのため、何度も手をたたいてしまう。京都の天竜寺でも同じような体験をした。
中尊寺でのサプライスは金閣寺であじわった感動と似ている。この金色堂をみるとマルコ・ポーロが日本を黄金の国、ジパングと呼んだのを即納得する。三間四面の阿弥陀堂であるが、金工、漆工の高い技術が駆使されており、堂全体が工芸品となっている。とくに惹かれるのが精緻に表現された螺鈿細工の数々。光沢のある夜光貝が四天柱などにこれほど多く使われた螺鈿装飾はほかにみたことがない。これが螺鈿で‘最高の瞬間!’だった。一度これをみてしまうと、国宝になっているどんな螺鈿蒔絵手箱が現れても驚かない。生涯の喜びである。
奥州藤原氏の繁栄を象徴する中尊寺が平泉で輝いたのが平安時代なのに対し、松島にある瑞巌寺では桃山時代、伊達政宗が京から大勢の腕のいい絵師や職人たちを呼び寄せ華麗な金碧障壁画の世界をつくりだした。本堂の孔雀の間(上)や上段の間(下)に入ったとき、思わずおおー!とうなった。文化の流動性というのは力のある権力者によってもたらされ、人々の心は装飾豊かな美術で癒される。すばらしい。