‘ティヴォリ、ヴィラ・デステ庭園’(1843年 ルーヴル美)
‘ニエーヴルのルクヴリエールの農場’(1831年 ボストン美)
‘アルル―の風景、道沿いの小川’(1871~74年 ナショナルギャラリー)
惹きつけられる風景画のひとつに人物が効果的に描かれているものがある。
コローが3度目のイタリア旅行をしたときに制作された‘ティヴォリ、ヴィラ
・デステ庭園’は欄干に腰かけた少年の姿が強く印象に残る。人物をどこに
配置するのがいいか、画家の腕の見せどころだが、コローは巧い具合にセン
ターの欄干に子どもを座らせた。これがぴたっと嵌っているので、視線は
ここに長くとどまり背景はあまりみてない。イタリア映画は伝統的に子ども
がいい演技をするが、たとえば、‘鉄道員’とか‘ニューシネマパラダイス’とか、
この少年もきっと愛嬌のあるおもしろい子にちがいない。
ボストン美でみた‘ニエーヴルのルクヴリエールの農場’はとても気に入って
いる。ミレーの農民画とはちがって画面全体が明るく、すっと農民や馬や家
々に目が馴染んでいく。この農家のまわりは広々としているのだろうが、
立体的な空間ではなく手前の小川の横への流れや家の並びにより生まれる
フラットで安定感のある構成が心を落ち着かせてくれる。ボストンにあるも
う一枚の‘フォンテーヌブローの森’は三角形構図の大きな木と主役の牛たちが
印象深い。背景の青空の描き方をふくめてどこかイギリスのコンスタブルの
風景画と似ている。
‘アルル―の風景、道沿いの小川’をみていると、印象派がすぐそこまで来てい
るような感じがする。1865年頃、高見に達したコロー芸術を特徴づける
銀灰色の霧や傾いた木は姿を消し、詩的な自然のイメージではなく小川に映
る高い木の列や光の揺れをそのままとらえようとする表現が前面にでてきて
いる。そして、おもしろいのが小川に浮かぶ小舟、舳先を横にして、その先
に小鳥を二羽泳がせている。この絵は西洋美の回顧展に出品されたが、思わ
ず足がとまった。
‘ドゥエの鐘楼’の描かれたドゥエもアルルーも北フランスの町。鐘楼の見せ方
がすごく革新的。広重の‘名所江戸百景’の一枚のように、手前の左右の建物を
大胆にカットし、あたかも窓の向こうに鐘楼をながめているように表現して
いる。こんな風景画の描き方はアカデミーではNGのはず。コローもジャポ
ニスムに関心を寄せていたのだろうか。