目の前に広がる光景をみて‘絵のような光景だな!’と思うことがときどきある。
ひとつは気分が一瞬でハイになる自然の絶景、例えば‘ナイアガラの滝’とか
トルコの‘カッパドキア’のとんがり帽子のような奇岩群。もうひとつは哀愁が
漂う都市の一角、どちらも画家たちの絵心をくすぶるモチーフとしてよく描か
れる。後者の画家ですぐ思い浮かぶのがユトリロ(1883~1955)と
アメリカのホッパー(1882~1967)。2人は同時代を生きている。
ユトリロの回顧展にこれまで日本の美術館で3回も遭遇した。2005年
(日本橋高島屋)、2010年(損保ジャパン美)、2013年(日本橋高島
屋)。海外の美術館ではパリのオランジュリーを訪問したとき、一部屋が全部
ユトリロで飾ってあった。ポンピドーには‘白の時代’に描かれた最高傑作‘コタ
ン小路’などがあるが、ここでこの絵をしかとみたという実感がなく、東京都
現代美で開かれた‘ポンピドー・コレクション展’で運よく遭遇した。
コタン小路はモンマルトルのどこにあるかはガイドブックの地図で知っている
が、まだ自分の足で確かめてない。でも、最寄りの地下鉄の駅で降りてあの
有名なサクレクール寺院にたどり着くまで細い路地を歩き、ちょっと急坂になっ
ている石段を登っていくとまさに‘絵のような光景’にでくわす。音が消えたよう
な静けさはユトリロの絵の通りで、華やかなイメージで彩られているパリの街
とは全くちがう景色。物悲しさが伝わってくるモンマルトル界隈にまた行って
みたい。
‘白の時代’のいい絵はまだある。ユトリロがしばしば飲んだくれて追い出された
店‘ラパン・アジル’、繰り返し描かれた‘ベルリオーズの家’。人影がなく砂の混じ
った漆喰がぬられた白壁にはひびが入っているのが特徴。‘ドゥイユの教会’も
‘ノートルダム’も雨が降ってきそうな重く垂れこめる空の下でそびえる姿が寂寥
感に満ちている。アル中毒に感情を乱されながら、20代後半から30歳すぎ
にかけてユトリロは自分の色、‘白’を追及した。