人々が日頃の生活のなかでみかける光景が絵画となって心をなごますことが
ときどきある。小倉遊亀(1895~2000)の‘径’で横に並ぶお母さん、
女の子、お伴の犬と似たような親子の行進が横断歩道でみられる。それを
スナップ写真におさめるとMy‘径’が生まれる。2年くらい間、新宿の東京
オペラシテイギャラリーで都市を舞台に行き交う人たちを大画面で表現した
り動画におさめた海外の現代ア―ティストに遭遇し、小倉のアイデアに感心
させられた。
阿修羅像というと奈良の興福寺の彫刻がすぐ思い浮かぶが、前田青邨
(1885~1977)の‘阿修羅’はオリジナルの仏教の守護神から離れ鎌倉
武士として描かれている。三つの顔をもった猛々しい武士が炎につつまれぐ
るくるまわる姿は一度みたら忘れられない。琳派のたらし込みの手法が黄金
の炎に使われに緊迫感を演出している。同じ年に小林古径(1883~
1957)は火焔にかこまれる‘不動’を描いた。同じようなモチーフのイメー
ジを二人の画家が共有していることが興味深い。
安田靫彦(1884~1978)の‘山本五十六元帥像’をみるたびに元帥の決
めセリフ‘言って聞かせて、やってみせて、やらせてみせて、褒めてやらねば
人は動かじ’を思い出す。川端龍子にも五十六を描いたものがある。
東山魁夷(1908~1957)の回顧展をこれまで運がいいことに4回
体験した。松園の美人画に駄作がないように魁夷の風景画にはさらっとみて
しまうものは一枚もない。これがスゴイ!2018年、北欧を旅行し魁夷が
描いたノルウエーのフィヨルドをこの目でみた。だから、滝の見事な描写が心
を打つ‘渓音’にもみ入ってしまう。