日本民藝館でみる日本のやきものは東博や根津美で開かれる茶陶展でみる
茶碗や茶入などとはちがい、生活の匂いのする普通の雑器である。だが、
ここに並んでいる大きな甕や鉢、壺は形や絵柄がなかなかいいじゃないか!
と感心するものばかり。素直にみると雑器でも心に響くものがあるだろうが、
こうしたものは見る者を楽しませるためにつくられたものではないから
柳宗悦のように全国の窯場をみたり古美術店をまわらないとはその美しさは
みつからない。用の美にぐっとくるまでには相当な時間がかかりそう。
‘鉄絵緑差松文大捏鉢’は九州の武雄唐津の大鉢でうどん粉をねったりあんを
つくったりするときに使われた。ひと目で魅了されるのはダイナミックな
造形をした松文、ざざっと勢いよく描き、‘よっしできた!’、と名もなき
陶工が納得した様子がひしひしと伝わってくる。これに対し、‘信楽黒釉流
文壺’は釉がさらさら流れるのにまかした感じ。まるで抽象絵画をみている
よう。シンプルなものからは時をこえる美が生まれる。
丹波のやきものに開眼したのは民藝館のお陰。2007年に‘柳宗悦と丹波
古陶’展があり、‘黒釉流彫絵魚甕’に遭遇した。茶渇色の地に黒の太い線が上
からやや斜め落ちており、魚文を浮き上がらせている。これは漬物用の甕。
美味しい漬物がたくさん出来たにちがいない。
沖縄はまだ足を踏み入れてないが、紅型とかこの力強い‘壺屋厨子甕’(厨子
甕は骨壺のこと)のようなものには大変魅了されている。そのきっかけを
つくってくれたのはやきものでは濱田庄司と金城次郎。首里城が再建され
たら出かけるき機会をつくりたい。九州大分県の小鹿田(おんた)は一度
バス旅行で訪れた。バーナードリーチが惚れた小鹿田焼の窯の見学はなか
ったが、お土産屋で‘流釉大皿’のような強い磁力をもった絵柄のものが販売
されていた。