日本画家の小野竹喬(1889~1979)に出会ったのは岡山県の笠岡市
にある竹喬美術館。ここで開催された回顧展をみていっぺんにファンにな
った。とくに魅了されたのが竹喬が晩年に描いた‘奥の細道句抄絵シリーズ’。
松尾芭蕉の俳句を絵画化した作品は10点あり全部京近美が所蔵している。
そのなかで一番のお気に入りが‘あかあかと日は難面もあきの風’。すすきの
穂の上に濁りのない青や橙色の色面が並行的に並べられ、意匠化されたポス
ターのような風景画に仕上げている。87歳でこんなすばらしい作品を描く
のだから本当にスゴイ。
同じ岡山県出身の池田遙邨(1895~1988)がのめりこんだのは若い
頃出会った漂泊の俳人種田山頭火。89歳から亡くなる93歳までの4年間に
‘うしろ姿のしぐれてゆくか 山頭火’をはじめ28点制作した。この絵は‘昭和
の日本画100選’(1989年)にも選ばれた代表作。強い風に折れ曲がる
すすきで埋まった野原のなかを風に背中を押されるように山頭火が歩いて
いる。
大観や春草らと同様、一生つき付合っていくことにしている加山又造
(1927~2004)。驚かされるのはその画風の広さ。琳派の画風を受
け継ぐ装飾性にとんだ作品だけでなく水墨画にも挑戦した。‘黄山霧雨’は北宋
山水画を意識した大作。以前は描かれた中国の黄山を訪問することに思いを
馳せることもあったが、今はここを登っていく元気はない。
加山も洋画家の須田国太郎(1891~1961)も京都市の生まれ。やは
り京都は文化芸術の中心地、才能豊かな画家がたくさんいる。1943年に
描かれた‘校倉(乙)’は東近美にある‘法観寺塔婆’とともに須田のイメージが
できあがった作品。天平の時代の空気がつまっている感じ。