ルネサンスのあとバロックまでに出現した画家のなかで現在高い人気を誇る
のがカラヴァッジョ(1571~1610)、ラ・トゥール(1593~
1652)、そしてフェルメール(1632~1675)。この3人全部見
れるのはルーヴルとメトロポリタンしかない。来年3月所蔵作品がはじめて
日本にやってくるロンドンのナショナルギャラリーはカラヴァッジョとフェ
ルメールはあるがラ・トゥーㇽはない。ちなみに、2点あるフェルメールの
うち‘ヴァ―ジナルの前に座る女’が西洋美に展示されることが決まっている。
やってくれますナショナル・ギャラリー!
ルーブルがもっているカラヴァッジョは3点。ダ・ヴィンチの‘岩窟の聖母’な
どが飾ってある館内のメインストリートで楽しめるが、横にも上にも名画が
びっしり並んでいるので、カラヴァッジョのスゴさがちょっと薄れる感じが
なくもない。初期の風俗画‘女占い師’は手相を見てもらっている若者の丸ぽち
ゃ顔がなかなか可愛い。苦い経験がなく能天気に生活しているのがひと目で
わかるので騙されやすい。案の定、女占い師に指輪を抜きとられた。
これに対して大作‘聖母の死’は絵画の掟などどこ吹く風のカラヴァッジョらし
い宗教画。なんと死んだ聖母の腹が膨れ上がっている。聖母の周りを手前の
マグダラのマリアら定石の人物たちが囲み悲しみにくれているが、主役の
聖母がこのような姿の躯では依頼主の聖堂はNGを出さざるを得ない。
絵画における人物表現や物語の描き方がルネサンスの理想的で穏やかなもの
からだんだんリアリティを強くだしドラマ性を深めていくようになる。カラ
ヴァッジョがその扉を開き、その影響を受けた画家たちが独自の写実性を
表現していく。グイド・レー二(1575~1642)の‘ゴリアテの首を持
つダヴィデ’は装飾的な描写が一切なく切り落とされたゴリアテの凄みのある
巨大な首が石の上にどんと置かれているだけ。子どもとしか思えない優男の
ダヴィデが一体どうやってこの豪傑を倒したのだろうか。
4年前回顧展が行われて少しは名前が知られるようになったグエルチーノ
(1591~1666)の‘ペテロの涙’は聖母と聖ペテロの涙の競演といっ
たところ。この聖母はボッティチェリやラファエロの聖母とはまったくちが
う。女性がしくしく泣くときの感じがよく表現されている。そして、涙を布
でふいているペテロ、‘ローマ兵に聞かれたときキリストの弟子であると素直
に言っておけばよかった、嘘をついたのは大きな間違いだった!’そんな後悔
の涙がひしひしと伝わってくる。