藤田嗣治の‘フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂’(1950年)
旅心が刺激されるのはTVの旅行番組に感動したり映画館のスクリーンに映し出される街や自然の風景をみたことがきっかけになることが多い。そして、絵画好きならもうひとつプラスされる。それは画家が描く風景画。フランスのパリへ行きたくなったり、南仏のアルルへあこがれるのはユトリロ(1817~1955)やゴッホ(1853~1890)の絵をみたからかもしれない。
ユトリロの代表作‘コタン小路’は実際にはみていないが、モンマルトルの山頂をめざして同じような急な坂を登っていった経験があるので場所の雰囲気はつかめている。小路の両サイドの建物が白を基調にして遠近法で描かれている。騒々しい音は全く遮断されあたりは静寂そのもの。この絵によってパリのひとつのイメージができあがった。
一週間前、藤田嗣治(1886~1968)の大回顧展をみたとき、ポンピドーからとてもいい風景画は出品されていた。はじめてお目にかかる‘フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂’、色彩の調子がユトリロの‘白の時代’の作品とよく似ている。藤田はユトリロを意識したのだろうか。
ヴラマンク(1876~1958)をこれまでほとんどとりあげていないのは描く風景画が近代的なのだがとても重いから。ダーク系の色で画面が占められるのも絵にのめりこめない一因。でも、‘赤い木’は赤が強く主張していて引きこまれる。これなら絵の前に長くいれる。
ドラン(1880~1954)はマティスとともに色彩の革命であるフーヴィスムを推進した人物。‘コリウールの風景’はフォーヴィスムらしく光輝く色彩に力があり、明るい海の光景と港に集まる人々の生き生きとした動きがストレートに伝わってくる。