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Channel: いづつやの文化記号
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迎賓館赤坂離宮の一般公開!

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Img      迎賓館赤坂離宮の正面

Img_0001     花鳥の間

Img_0002     涛川惣助の‘七宝花鳥図三十額 じょうびたきに牡丹’

Img_0003               ‘小鷺’

今日は特別な一日だった。5/25にアップした七宝の話に石野昭子からコメントをいただき、迎賓館赤坂離宮の一般公開の申し込み期間中であることを教えてもらった。さっそくメールで申し込んだところ、なんと抽選にあたった! 公開は8/18から8/27までだが、今日が希望した日。石野さん本当にありがとうございました。おかげさまで念願だった涛川惣助の無線七宝の傑作をみることができました。

迎賓館があるのはJRの四ツ谷駅から歩いて7分のところ。建物に近づくとTVのニュースで伝えられる世界各国の国王や大統領などをむかえる歓迎行事の様子が脳裏をよぎってくる。ここがその舞台なのだと。身分証明書の提示があったり、手荷物をチェックされたりでちょっと緊張気味。

迎賓館のなかは写真撮影はNGだが、外観を撮るのはOK、ブログ用と隣の方をいれたものと2枚撮った。2階にあがり5つの部屋を順番にみていく。どの部屋にもボランティアの人がいて説明してくれる。お目当ての涛川惣助(1847~1910)の七宝が飾ってあるのは‘花鳥の間’。

そして、国・公賓のサロンとして使われ表敬訪問や首脳会談が行われるのが‘朝日の間’。目を奪われるのがノルウエー産のうすピンク色をした大理石の円柱。この迎賓館は明治42年(1909)に建設されたが、ノルウエーから大理石を16本も運んできていた。また、壁に張られたインパクトのある西陣の織物も印象深い。

‘花鳥の間’の壁面に飾られた30の楕円形七宝、描かれた花や鳥はまるで絵画をみているよう。涛川惣助が生み出した無線七宝の技により鳥の羽や花びらをふわっとやわらかく表現しぼかしをいれることができるようになった。単眼鏡も使って30額をしっかりみて目に焼きつけた。

この七宝をみたことは一生の思い出、帰りがけに購入した七宝だけの図録をながめている時間が長くなりそう。


祝 東海大相模 2回目の全国制覇!

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Img     45年ぶり2回目の優勝をはたした東海大相模

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夏の甲子園の決勝戦で東海大相模が10-6で仙台育英を破り優勝した。拍手々!そして、惜しくも東北初の優勝にとどかなかった仙台育英の健闘にも拍手々!

今日の試合は全国一をきめるのにふさわしい好試合だった。東海大相模が初回と3回に2点づつとり4点をリードしたが3回の裏仙台育英も反撃し、4番5番のヒットで3点いれ1点差とした。これでゲームは互角になったなと思ったが、続く4回に仙台育英のエース佐藤投手が打たれ3点ひきはなされた。

これで東海大相模が勝利にぐっと近づいた感じだったが、仙台育英の粘りがすごい。6回裏の攻撃がすばらしかった。2死満塁で打席に入った1番の佐藤選手(3塁)、今大会NO.1の左腕小笠原投手の投じるチェンジアップにくらいつき空振りをせず、7球目のちょっと浮いたチェンジアップを見事にセンターに打ち返し、走者一掃の三塁打。これで6-6の同点。試合はふりだしに戻った。

7,8回東海大相の攻撃にたいしエースの佐藤投手はフォークをよく決め点をあたえない。仙台育英が逆転で勝利するような雰囲気になってきた。ところが、9回の表、東海大相模の先頭打者の小笠原投手が気持ちをこめたようなスイングでライトにホームランを放った。9番打者に勝ち越しのホームランを打たれ佐藤投手の頑張りもここまで、東海大相模の打線に火がつき4点を失った。

100年の歴史をもつ夏の高校野球、決勝戦には数々のドラマが生まれた。この試合も野球ファンの心に強く残る一戦。こんなにせった決勝戦は久しぶりなので200%感動した。

迎賓館にある藤田嗣治の絵!

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Img_0001     藤田嗣治の‘銀座コロンバン壁画 天使と女性’(1935年)

Img       ‘銀座コロンバン壁画 母と子’(1935年)

Img_0003       ‘銀座コロンバン壁画 葡萄の収穫’(1935年)

Img_0002       ‘銀座コロンバン壁画 野あそび’(1935年)

ヨーロッパの宮殿のなかをまわっているような気分にさせられる迎賓館、各部屋をひととおりみて1階の出口のところまできた。そこで、意外な絵との遭遇があった。それは藤田嗣治(1886~1968)がフランスの風俗をロココのヴァトー風に描いた作品2点、‘天使と女性’と‘母と子’。

迎賓館では涛川惣助の七宝にしか関心がいってなかったから、この藤田の絵にはちょっとドギマギした。そして、だんだん記憶がよみがえってきた。この絵は藤田が1935年銀座コロンバンの天井画のために描いた6枚のうちの2枚であることが。

2006年に東近美で大規模な‘藤田嗣治展’が開催された。それまで日本では藤田の作品をまとまってみる機会が長いことなかった。だから、この回顧展はひとつの‘事件’。ようやく実現した回顧展に多くの絵画ファンが足を運んだにちがいない。このとき迎賓館が所蔵する6点のうち2点が出品された。それが目の前にある‘天使と女性’と‘母と子’。

藤田の壁画が迎賓館にあるのは洋菓子店コロンバンの創業者門倉國輝が1975年に6点全部迎賓館に寄贈したから。‘葡萄の収穫’と‘野あそび’もじつは2009年の‘レオナール・フジタ展’(横浜そごう)に展示された。残る2点も気になるところだが図版の情報がない。気長に待つつもりだが、会えるだろうか。

涛川惣助のお宝七宝のおまけに藤田嗣治の壁画がついていたとは。抽選に当たってつくづくよかったなと思った。石野昭子さん、そしてミューズに感謝!

岩佐又兵衛の‘小栗判官絵巻’!

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Img     岩佐又兵衛の‘小栗判官絵巻’(第七巻 17世紀 三の丸尚蔵館)

Img_0001     ‘小栗判官絵巻’(第十三巻)

Img_0002     ‘小栗判官絵巻’(第十五巻)

Img_0003     ‘彦火々出見尊絵巻’(17世紀 三の丸尚蔵館)

迎賓館で七宝を楽しんだあと向かったのは皇室つながりで三の丸尚蔵館、現在ここで‘絵巻を愉しむーをくり絵巻を中心に’(7/4~8/30)が開かれている。

三の丸尚蔵館へ来るのは久しぶり、前回何をみたのかすぐには思い出せない。定点観測しているHPに岩佐又兵衛(1578~1650)の‘小栗判官絵巻’が登場するとあったので出かけようという気になった。この‘小栗判官絵巻’は全15巻もある長い長い絵巻、じっくりみるのは2004年、千葉市美であった‘岩佐又兵衛展’以来。

絵巻は展示期間の前期後期で巻を替えており、後期の今は第七、十三、十五巻がでている。十三、十五巻は一度みたが、七巻ははじめてお目にかかった。小栗が乗りこなす馬が大きいこと!圧倒的な存在感で階段を駆け登り、傾斜のある建物の屋根を平気で進んでいく。あっけにとられてみていた。

十三巻のこの段は餓鬼姿で熊野をめざす小栗を照手姫が後ろから押している場面、ここは瀬田の唐橋。十五巻は小栗の死後の世界。絵巻の最後の見どころで多くの仏菩薩に供養される場面が描かれている。

展示されている絵巻はほかに祈祷の中で御酸をする姫君の身を案じて主人公が屋根から覗くところがおもしろい‘彦火々出見尊絵巻’、‘住吉物語絵巻’、‘酒呑童子絵巻’などがあった。絵巻は日本美術の華だからいずれも目に力をいれてみた。

湯島天満宮で‘古田織部展’!

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Img     ‘黒織部六波文茶碗’(桃山時代)

Img_0002     ‘美濃伊賀耳付水指’

Img_0001     ‘伊賀耳付水指’(桃山時代)

Img_0003     ‘織部林文肩衝茶入 銘朝霧’(桃山時代 大光明寺)

里帰りしたフィラデルフィア美蔵の浮世絵コレクションをみるため出かけた三井記念美で気になるチラシが目に入った。今年は古田織部(1543~1615)の没後400年にあたるが、湯島天満宮で古田織部展を開催するという。会期は8/8~9/20。このチラシに鑑賞欲をそそるものが一点あった。これにつられて三の丸尚蔵館のあと湯島天満宮をめざした。

湯島天満宮へ行くのははじめて。ここの宝物殿で古田織部の展覧会を行うのはどんないきさつなのだろうか。作品は地下にある展示室に並んでいた。全部で200点くらい。今年一月、銀座の松屋で名品をたくさん集めた‘古田織部展’をみているから、織部好みの茶器には目が慣れている。古田織部展パート2もハッとする意匠や形が心を打つものがいくつもあった。

‘黒織部六波文茶碗’で妙に惹きつけられるのは波の色。波の形は波のお化けみたいで力強い、その4つが黒く塗られ、2つは波の輪郭だけ。バラエティに富んだ文様が魅力の織部、この波文はこれまでみたことない。こういう形のイメージは南蛮船を描いた絵などがヒントになっているのだろうか。

チラシで気になっていたのが‘美濃伊賀耳付水指’、目を釘付けにするのが茶色で描かれたVの字。大きくゆがんだ三足はこれぞ‘へうげもの’!という感じ。古田織部はやっぱり相当とんでいる。今年はぐっとくる伊賀の水指に会う機会が多い。心をとらえて離さないのが‘伊賀耳付水指’の口縁から大きくなだれているビードロと呼ばれる緑色の釉。

全部で17点ある茶入にも魅了された。とくにいい感じだったのが‘織部林文肩衝茶入 銘朝霧’、つけられた銘がピッタリ、まさに朝霧の情景が浮かんでくる。茶入のよさがだんだんわかってきた。

この展覧会はこのあと名古屋、京都を巡回する。
★熱田神宮宝物館 10/2~10/27
★本能寺宝物館  11/1~12/25

近代日本美術の煌き! 1880年(明治13)

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Img     小林清親の‘鉄砲打猟師’(千葉市美)

Img_0002           小林永濯の‘七福神’(ボストン美)

Img_0001     高橋由一の‘桜花図’(香川 金刀比羅宮)

小林清親(1847~1915)は作域の広い絵師、歌川広重の‘名所江戸百景’を受け継ぎ光線画とよばれた‘東京名所図’でデビューし、そのあとは風刺画や動物の絵などを描いた。この動物画でもっとも惹かれるのが猫、そしてもう一点密度の濃い絵‘鉄砲打猟師’もとても気になる作品。

猫もこの猟師の絵も浮世絵。視線がむかうのは大きな猛禽、残念そうにしているのはとらえたキツネを下に落としたから。ここばかりに注意を注ぐと右端の鉄砲をもった猟師をつい見逃してしまう。狩野永徳の‘檜図’を連想させる巨木の枝振りと猛禽の鋭い目は一度みたら忘れられない。

‘ダブルインパクト 明治ニッポンの美’(東芸大美)にボストン美から里帰りした日本のなかに異色の絵師のものがふくまれていた。ふだんはほとんどみる機会のない小林永濯(えいたい 1843~1890)の‘七福神’、おもしろいのは本当なら神々が乗った宝船のなかにいなくてはいけないのに、どうしたことか布袋とその従者はおいてきぼりにされている。意表をつく発想と波のリアルな写実表現が強く印象に残る。

ものを本物そっくりに描くことにかけては高橋由一(1828~1894)は誰にも負けない。‘桜花図’では水汲みの手桶に生けられた桜の枝が手前の大きく描かれている。こういう描き方の静物画ですぐ思い浮かべるのはドラクロアとかデ・キリコ、そして日本の岡鹿之助。

近代日本美術の煌き! 1881年(明治14)

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Img_0003          狩野芳崖の‘枯木猿猴図’(下関市美)

Img     五姓田義松の‘清水富士’(東京都現美)

Img_0001     初代宮川香山の‘褐釉蟹貼付台付鉢’(東博)

明治以降に活躍した日本画家のなかで特別な存在だったのが狩野芳崖(828~1888)と橋本雅邦(1835~1908)のふたり。横山大観や菱田春草らにとっては仰ぎ見る偉大な先生だった。

回顧展はそれぞれ一一回ずつ体験した。そして、ボストン美が所蔵する傑作もいくつか里帰り展でみることができた。だから、画集に載っている作品でコンプリートを達成するために必要なピースはフィラデルフィア美のコレクションだけになった。でも、これはとても高いハードル。死ぬまでにみれるだろうか。

長谷川等伯の猿の絵を彷彿とさせるのが芳崖の‘枯木猿猴図’、これを所蔵する下関市美へは広島にいるときクルマを走らせたが、残念なことに展示されてなかった。東近美が狩野芳崖展を開催してくれるとそのリカバリーの可能性がでてくるのだが、果たして。

横浜のJR桜木町駅から歩いて10分くらいのところにある神奈川県歴博で来月の19日から五姓田義松(ごせだよしまつ 1855~1915)の回顧展(9/19~11/8)が行われる。前々から気になっていた洋画家だから、でかけてみようと思っている。たぶんすばらしい‘清水富士’も出品されるのではなかろうか。再会が楽しみ!

6年くらい前までは東博の平常展示を定期的にみて、図録に載っている作品を追っかけていた。そいうしたなかには明治時代につくられたやきものの名品も含まれている。初代宮川香山(1842~1916)の‘褐釉蟹貼付台付鉢’もサプライズの一品。なんと蟹が鉢の表面にくっついている!これには200%参った。

近代日本美術の煌き! 1882年(明治15)

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Img     山本芳翠の‘西洋婦人像’(東芸大美)

Img_0001     橋本雅邦の‘竹鳩図’(三の丸尚蔵館)

Img_0002     狩野芳崖の‘懸崖山水図’(下関市美)

横山大観や上村松園のように日本画家の回顧展は何度も開かれるのに、洋画家の回顧展となるとその頻度はぐっと落ちる。岸田劉生を例外とすれば、黒田清輝、藤島武郎、青木繁といったビッグネームでも画集に載っている作品をたくさんみたという体験は本当に少ない。

そして、回顧展にまだ縁がない画家もいる。山本芳翠(やまもとほうすい、1850~1906)もその一人。好きな絵が2点ある。‘浦島図’と‘西洋婦人像’。1882年に描かれた‘西洋婦人像’は東芸大美へ通っているとときどき出くわすが、そのたびにガツーンとやられる。ヨーロッパ人と同じ土俵で日本の画家がこんな魅力的な婦人像を描いたのだと。白で描かれたドレスの筆触をみるとマネの白が頭をよぎる。

橋本雅邦(1835~1906)の‘竹鳩図’は2008年川越市美で開催された‘没後100年 橋本雅邦’でお目にかかった。竹がもやのなかにすっと立つ奥行きの感じられ画面に鳩が3羽描かれている。日本画らしいとてもやさしい絵。

雅邦の風景画では山々や岩がまるみをおび自然の雄大さが格調高く穏やかに表現されているのに対し、狩野芳崖(1828~1888)の‘懸崖山水図’は切り立つ崖が割れたガラスの三角形の破片が突き刺さっているような感じで人の侵入を阻む嶮しい山水のイメージ。


近代日本美術の煌き! 1883年(明治16)

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Img     柴田是真の‘茨木図額面’(浅草寺)

Img_0001     五姓田義松の‘操芝居’(東芸大美)

Img_0002     チャールズ・ワ―グマンの‘ジャパン・パンチ’(東芸大)

先週、湯島天満宮へはじめていったが、東京の名所を定期的にめぐるのもおもしろいかなと思った。古地図好きのタモリのように東京の街についての詳しい知識を得るには多くの時間と労力がかかりそうだが、ちょっとずつまわると興味の糸がいろいろ広がっていくだろう。

今頭の中にあるのは王子稲荷神社、ここにはとてもみたい絵がある。それは柴田是真(1807~1891)の‘鬼女図額面’(1840年)、これは是真34歳の出世作、是真には漆芸家としての顔と絵師としての顔があるが、この絵は是真が絵師としても並々ならぬ腕前をもっていることを示している。

この緊張感あふれる鬼女の姿は一度みると強く脳裏にきざみこまれるが、是真はいくつものヴァージョンを残している。今年NYのメトロポリタン美に寄贈されたバークコレクションのなかにも‘茨木図屏風’(1882年)がある。浅草寺が所蔵するのが‘茨木図額面’、武将に切られた腕を必死の思いで取り戻したという心の内が鬼女の表情からひしひしと伝わってくる。

五姓田義松(ごせだよしまつ 1855~1915)の‘操芝居’は義松がパリに留学していたときに描いたもの。フランス人を5人集めてこの絵の作者を尋ねたら全員がフランス人画家かヨーロッパ人と答えるにちがいない。義松は油絵を描くのに必要な豊かな表現力と高い技術をしっかり修得している。

義松は‘ジャパン・パンチ’を描いたリチャード・ワ―グマン(1832~1891)からも影響を受けている。父の五姓田芳柳が横浜絵を制作していたのを手伝っていたころ、ワーグマンに弟子入りしている。

近代日本美術の煌き! 1884年(明治17)

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Img     河鍋暁斎の‘左甚五郎と京美人図’(千葉市美)

Img_0002          下村観山の‘騎虎鍾馗’(横浜美)

Img_0003        田能村直入の‘梅花書屋之図’(三の丸尚蔵館)

河鍋暁斎(1831~1889)が描いた美人画にはいろいろなタイプがある。女性が単独で登場するもので代表的なのが‘大和美人図屏風’、そして美人をいっそうひきたてる道化役的な男との組み合わせも多い。‘左甚五郎と京美人図’もその一枚。

彫り上げた作品の前でひょきんなポーズをとる左甚五郎、まわりにはノミや木の小槌が散乱している。その横で涼しげな顔をした京美人は‘甚五郎さん、いい仕事をなさっているのね’とかなんとかいって機嫌をとっているのだろうか。

暁斎がこの絵を描いたのは53歳のとき、同じ年に‘騎虎鍾馗’を描いた下村観山(1873~1930)は生まれてまだ11年しかたってない少年。この年でこんな絵を描き上げるのだから観山の腕前は半端ではない。まさに早熟の天才! 岡倉天心が観山を可愛がったのもよくわかる。

田能村竹田に師事し、竹田からその才能を認められ養子になった田能村直入(1814~1907)の作品でこれまでお目にかかったのは山種美にある‘百花図’や‘梅花書屋之図’などほんの数点。南画のDNAを引き継いだこの梅の絵はじっくりみるととても魅了される。

近代日本美術の煌き! 1885年(明治18)

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Img_0001     狩野芳崖の‘谿間雄飛図’(ボストン美)

Img_0002     河鍋暁斎の‘大和美人図屏風’(河鍋暁斎記念美)

Img     小林清親の‘眼を廻す器械’(日本漫画資料館)

今年前半は思い出に残る追っかけ画との遭遇があった。それは4月東芸大美で開催された‘ダブルインパクト 明治ニッポンの美’で突然目の前に現れた。長年いつかこの目でと思っていた狩野芳崖(1828~1888)の‘谿間雄飛図’、こんな傑作がボストン美から里帰りしていたとは!

こういう絵は図版でもぐっとくるが本物はその3倍は惹き込まれる。芳崖は1883年末からフェノロサの指導を受けて画風を一変させる。それまでのガラスの破片が突き刺さったような山水の鋭角的なイメージを薄め余白を大きくとりゆるく曲がる線を効果的に使うことで山々の峻厳さと静かで内省的な情景との融合をはかった。

‘谿間雄飛図’はそのあたらしい試みがうかがえる。視線が集中するのは上空を舞う鷲とそれに呼応してせり出す岩にしっかり足をかけて前方をみつめる鷲の姿。鷲と鷲のあいだの空間がこれまでのような窮屈さがなく段差があったり歪んでみえるので乗り込んだヘリコプターで最接近しこの光景をみている感じになる。

河鍋暁斎(1831~1889)の最高傑作はなんといっても‘大和美人図屏風’、とくに惹かれるのが右の美人。背景に細かく描かれた田園風景や人物についてもついじっくりみてしまう。そして、目をいっそう楽しませてくれるのが着物の紋様、その精緻な描写と赤と黄金の煌く組み合わせが心をとらえて離さない。

鳥獣戯画を描いた古の絵師たちのDNAが入り込んでいると思わせる暁斎の戯画、明治時代この戯画で才能を発揮した人物がもう一人いる。あの光線画で世にでた小林清親(1847~1915)、練馬区美であった回顧展でびっくり仰天したのが‘眼を廻す器械’、このシュールさに200%KOされた。

サプライズ! 輪島塗の‘菊蒔絵貝桶’

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Img       北村辰夫の‘菊蒔絵貝桶一式’(2015年)

Img_0001       貝桶の蓋の裏に施された貝の装飾

Img_0002              ‘菖蒲’

Img_0003             ‘合歓の木’

ここ数年TV局が制作する美術番組のなかで熱心にみているのは絵画ではなくて工芸品がとりあげられたもの。先月もBS朝日の‘アーツ&クラフツ’で輪島塗がでてきたので食い入るようにしてみた。

そして、28日金曜の深夜Eテレで‘よみがえる超絶技巧 輪島塗 貝桶プロジェクトの2年’が放送された。8月のTV番組ガイドを購入した際にこの番組が目にとまり気になっていた。一ヶ月前に輪島塗の職人たちがみせる熟練の技がしっかりインプットされているので、今回は一体どんな超絶技巧がでてくるのか、どんな輪島塗の絶品が登場するのか興味津々。

番組の冒頭は外国人コレクターが今年6月に完成した‘菊蒔絵貝桶一式’と対面する場面、720枚の貝とそれらをおさめる二つの貝桶、満足げな表情をみせていたのはこの貝桶を注文したオーストラリアの日本美術コレクター夫妻。この貝桶を2年かかってつくりあげたのは漆芸家の北村辰夫。はじめてお目にかかる人物で作品にはまったく縁がない。

番組をみていくうちにこの人が輪島塗に新風を吹き込み斬新な意匠と高度な技を結集させた作品を次々に生み出し海外でも高く評価されている凄腕の漆芸家であることがわかってきた。輪島に工房を構え2年前50人の職人たちからなる貝桶プロジェクトを立ち上げた。驚くのはこのなかに若い職人たちが多くいること。

北村のこの貝桶での新たな挑戦は蒔絵と沈金の融合。そのため番組の多くの時間が3人の女性沈金師の奮闘ぶりにあてられている。貝桶の蓋の裏側には蒔絵で貝が描かれ四季の草花がきれいに浮き上がっている。でも、これは最終の出来上がりの半分、ここに沈金師がノミをいれて削り金粉や金箔などを埋め込み模様を整え意匠に華麗さと深みを与えていく。

誰もこういうことをやったことがないので腕は確かな沈金師とはいえ大胆に細工をしていくことがなかなかできない。工房の棟梁である北村は出来栄えをチェックしひとことふたこと感想をいい3人の背中を押してやる。こういうリーダーのもとでは仕事がしやすい。そして、見事な‘菖蒲’と‘合歓の木’ができあがった。

手本にした江戸中期の貝桶の名品に施された職人たちの超絶技巧が平成の世によみがえり、さらに蒔絵と沈金を組み合わせた新たな技法も誕生した。なにかワクワクするような話。サプライズの職人たちの技と漆芸家北村辰夫の名前が強く心に刻まれた。

近代日本美術の煌き! 1886年(明治19)

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Img         狩野芳崖の‘仁王捉鬼図’(東近美)

Img_0002     小林永濯の‘道真天拝山祈祷の図’(ボストン美)

Img_0001     原田直次郎の‘靴屋の阿爺’(重文 東芸大美)

狩野芳崖(1928~1888)の作品は回顧展などを体験して画集に載っているものがかなり目のなかにはいった。幸運には貪欲にライドするというのが美術鑑賞の基本的な心構え。だから、これからも一点でも多くみたいという気持ちに変わりない。

これまでお目にかかったもので特に思い入れの強かったのは芳崖が晩年に描いた‘仁王捉鬼図’。念願がかなったのは2006年東近美であった展覧会、、そのあと2008年の回顧展で再会し、昨年は東近美でも遭遇した。以前は個人蔵だったが東近美が購入していた。これからは平常展示でこの絵をみる機会が増えそう。

魅せられているのは鬼のユーモラスなj表情と目の覚めるような鮮やかな色彩。強烈なインパクトをもっている薄ピンクや明るい青や緑、こういう伝統的な日本画ではみられない色はフェノロサが西洋から輸入した絵具から生みだされたもの。この絵が当時の日本画壇に大きなショックを与えたことはまちがいない。

小林永濯(こばやしえいたく 1843~1890)の描いた菅原道真の絵は2度里帰りした。この戯画チックな道真をはじめてみたのは‘仁王捉鬼’と対面したのと同じ展覧会。それまでこの画家の存在を知らなかった。今年の4月‘ダブルインパクト 明治ニッポンの美’に再び‘七福神’と一緒にやって来た。芳崖といい永濯といい、日本画家の硬いイメージはこういう絵をみると一変する。そして、思う‘この絵すごくとんでない、こんなくだけたものも描けるんだ!’と。

原田直次郎(1863~1899)の情報をひとつ、来年2月埼玉県近美で‘原田直次郎展’(2/11~3/27)が開催される。いかにもドイツ人らしい人物を描いた‘靴屋の阿爺’とも久しぶりに会えるだろう。この肖像画をみるといつもワイエスの人物画がダブってくる。

組織委員会 東京五輪エンブレムの使用中止を決定!

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Img     横山大観の‘群青富士’(部分 1917年 静岡県美)

Img_0001     尾形光琳の‘紅白梅図屏風’(18世紀後半 MOA美)

Img_0002     歌川広重の‘よし原仲の町桜の紋日’(1840~58年)

7/24に決まった2020年東京五輪のエンブレム、本日、大会組織委員会はこれを使わないことを発表した。このエンブレムはどうしても好きになれなかったのでホットしている。多くの国民がこうなることを望んでいたのではなかろうか。

エンブレムをつくった佐野氏にまつわるほかの作品のパクリ疑惑がこれほど噴出してきたら、もうアウト。組織委員会が会見で明らかにしたデザインの原案自体が著名な外国のグラフィックデザイナーの展覧会のポスターに酷似していたり、エンブレムを活用する場面の写真をネット上の個人のサイトから無断転用したことが判明するなど、騒動を鎮めるための説明が逆に火に油を注ぐことになった。

新国立競技場の建設についでエンブレムも白紙撤回、東京五輪の準備は本当にうまくいくのか心配になってくる。

さて、仕切り直しのエンブレム、優秀なデザイナーは大勢いるのだからいいものができなくてはおかしい。勝手な希望をいくつか述べてみたい。まず第一は1964年の東京五輪のエンブレムを踏襲しないこと。これにこだわるからデザインの躍動感がでてこない。21世紀、先進都市東京でおこなわれる五輪、最高のスポーツの祭典を日本人のおもてなしの心でやさしく力強く繰り広げる。

デザインにとりこみたいモチーフは日本を象徴するもの、東京をイメージさせるもの、いろいろある。すぐ思いつくのは富士山とか桜、浮世絵に描かれた日本橋、そして日本美術の中核をなす琳派の造形、例えば流水を使ってくれないかなと思ったりもする。

二度も失敗は許されない。皆で五輪を盛り上げられるいいエンブレムを是非つくってもらいたい。

近代日本美術の煌き! 1887年(明治20)

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Img_0002     狩野芳崖の‘暁霧山水’(東芸大美)

Img     竹内栖鳳の‘池塘浪静’(京都市美)

Img_0001      十二代沈壽官の‘錦手松竹鶴図’

国内の美術館で狩野芳崖(1828~1888)に最接近できるのは東芸大美、2008年ここで回顧展が開催されたときは所蔵する芳崖作品がどっとでてきた。3点でた風景画のうち息をのんでみてしまうのが1887年に描かれた‘暁霧山水’。

芳崖の山水はどこか洞窟のようなところから外へ出ていくような感じのものが多い。この絵では左がU字の形をした出口のようになっている。その先は大海原、手前のの岩山には三角形の塊がぽんぽんとあり、視線を出口のほうへと誘導する。そして、向こう側の山にかかる霧は木々をつつみこみ左からさしこむ光とともに奥行き感をつくりだす。これは忘れららない一枚。

2年前待望の竹内栖鳳(1864~1942)の大規模な回顧展が東近美で開催された。画集に載っていた作品でいつかこの目でと思っていたものが次々を現われるのでテンションはずっとプラトー状態だった。‘池塘浪静’で目が点になるのは池から跳ね上がった鯉の姿。鯉ってこんなに真上に跳ねる? これが絵画の力、作品は創作だからこういう描き方のほうが鯉が強く印象に残る。

薩摩焼の中興の祖である十二代沈壽官(1835~1906)、この‘錦手松竹鶴図’は代表作のひとつ。白薩摩の素地に金で描いたモチーフのなかでとくに目に心地いいのは鶴の群れ。空に飛んでいる鶴と下の鶴が呼応する構図にとても魅了される。


近代日本美術の煌き! 1888年(明治21)

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Img         狩野芳崖の‘悲母観音’(重文 東芸大美)

Img_0001  井上安治の‘東京名所従吾妻橋水雷火遠望之図’(ボストン美)

Img_0002     浅井忠の‘春畝’(重文 東博)

狩野芳崖(1828~1888)の絶作となった‘悲母観音’、東芸大美に通っていると2,3年に一回くらいの頻度でお目にかかれる。今年は‘ダブルインパクト 明治ニッポンの美’(4月)に展示された。

この絵をはじめてみたときまず目が惹き込まれたのが透明のガラス玉のなかにいるようにみえる嬰児、縦2mちかくもある大きな掛け軸のちょうど真んなかあたりに描かれており。お寺にいる可愛い小僧さんのイメージ。

これまでたくさんみてきた仏像の観音像と比べると芳崖の観音像はちょっと趣が異なる。木造では観音様は正面向きであるのに対し、この悲母観音は体を斜めにして下の嬰児をじっとみている。この人物表現から思い浮かんでくるのは西洋の聖母子像。芳崖は新しい観音像を見事に描ききってこの世を去った。

芳崖の死の一年後、豊かな才能に恵まれた浮世絵師、井上安治(1864~1889)が25歳の若さで亡くなった。師である小林清親の画風の影響を受け、東京の名所を活写した。お幸運なことにダブルインパクト展にボストン美から安治のいいえは里帰りしてくれた。

描かれているのは1887年にできあがった隅田川にかかる吾妻橋、画面の右には海軍省が実験していた水雷の水柱が上がっているのがみえる。

日本の農村風景を描いた画家ですぐ思いつくのは日本画家の川合玉堂と洋画の浅井忠(1856~1907)、浅井忠の回顧展を期待しているが、いっこうに開催の話が聞こえてこない。原田直次郎とか五姓田義松の回顧展がこれから行われるから、そろそろ浅井忠も登場するかもしれない。そのときはこの‘春畝’も多くの観客の心をとらえるにちがいない。

久しぶりのガレ、ドーム兄弟!

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Img    ドーム兄弟の‘花器(ブドウとカタツムリ)’(1904年)

Img_0001  ドーム兄弟の‘銀飾金具付花器(オダマキ)’(1898~1900年)

Img_0002    ガレの‘花器(カッコウ、マツヨイグサ’(1899~1900年)

Img_0003     ‘台付蓋付花器’(1885~1889年)

情報の入っている展覧会のなかには出かけるかどうか最後まで迷うものがときどきある。今日は意を決して会期が9/6(日)までの‘アール・ヌーヴォーのガラス展’(パナソニック 汐留ミュージアム)に足を運んだ。

出品されているのはドイツのデュッセルドルフ美からやってきたガレやドーム兄弟などのガラス作品140点、チラシにはローロッパ随一のガラスコレクションと記されている。もともとガレやドーム兄弟のガラスと聞くと血が騒ぐ体質だから、行くかどうか悩む。

やはり汐留へ行こうと思ったのはドーム兄弟(オーギュスト:1853~1909、アントナン:1864~1930)のカタツムリがくっついている花器が気になってしょうがなかったから。この1点をみるため入館料を払った。ドーム兄弟のつくる花器というと森や林のなかに木々が立ち並ぶ様子をとても細い線で繊細に描いたものをすぐイメージするが、この‘ブドウとカタツムリはそれとはまったくちがいガレの作風を彷彿とさせる。

同じ種類の文様のものを箱根のポーラ美でお目にかかったことがあるが、今回目にするカタツムリのほうが5倍印象深い。このカタツムリはブドウの若葉を食べて育つエスカルゴ、この花器がチラシの大半を占めている意味がよくわかった。出かけたのは正解!

ドーム兄弟はもう一点気を惹くのがあった。オダマキのそばに蛇がいる花器、蛇は大の苦手なのだが、これまでのドーム兄弟のイメージからはとても想像できない蛇に遭遇しそのいきさつに思いをめぐらすあまり蛇の怖さを忘れてしまった。

数の多いガレ(1846~1904)はカッコウとマツヨイグサを組み合わせた花器に思わず足がとまった。こういう意匠はみたことがないので非常に新鮮、まるで日本の花鳥画をみているよう。そして、北斎の浮世絵に描かれた鯉を連想させる茶色の花器の前にも長くいた。デザインしたのはフランス人のウジェーヌ・ルソー、ジャポニズム満載の文様に見入ってしまう。

2回目の楽しみ 藤田美の日本美術コレクション!

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Img     国宝‘紫式部日記絵詞’(13世紀)     

Img_0001     国宝‘仏功徳蒔絵経箱’(11世紀)

Img_0003     菱川師宣の‘大江山酒呑童子絵巻’(1692年)

Img_0002     長澤芦雪の‘幽霊・髑髏仔犬・白蔵主三幅対’(18世紀)

サントリー美で開催中の‘藤田美の至宝 国宝曜変天目茶碗の日本の美’は9/2から後期になり展示作品が一部入れ替った。国宝が新たに3点もでてくるから早速でかけてきた。

国宝‘紫式部日記絵詞’は一度みたことがあるが、それは藤田美ではなく1993年に東博であった展覧会、だから22年ぶりの対面、5つの場面全部みるのははじめてだからすぐ目が本気モードになる。画像は最後の場面で、藤原道真が一条天皇の行幸を前に新造した舟を検分するところ。久しぶりに現れた竜頭鷁首(りょうとうげきす)を食い入るようにしてみていた。

この国宝をみる機会は長いことなかったが、‘仏功徳蒔絵経箱’のほうは縁が重なり今回で4度目。単眼鏡を使って蓋の外面から身の四側面に描かれた極楽浄土の景色や波の間から顔を出している魚の怪獣や飛翔する鳥の群れをじっくりみた。最近TVで輪島塗の蒔絵の貝桶をみたばかりだから、この金銀粉を使った研出蒔絵の技法にも敏感に反応する。

図録をみて関心を寄せていたのが菱川師宣(?~1694)の‘大江山酒呑童子絵巻’と長澤芦雪(1754~1799)の幽霊の絵。酒を飲まされて首をはねられた酒呑童子、驚くのはその首の執念深さ、武将の兜にくらいついている。とびちる血しぶきが岩佐又兵衛の絵巻にでてくる決闘のシーンを思い起こさせる。

蘆雪の三幅対はこれまで体験した数度の回顧展いずれにも出品されなかった。美術本でみていつかこの目でという思いが強かったが、やっと願いが叶った。髑髏と仔犬を一緒に描くのはちょっと違和感があるが、髑髏、幽霊、狐だけだと絵が重くなりすぎるので仔犬を中和のモチーフとして登場させたのかもしれない。

近代日本美術の煌き! 1889年(明治22)

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Img     橋本雅邦の‘月夜山水’(東芸大美)

Img_0002         藤井松林の‘百福之図’(三の丸尚蔵館)

Img_0001     高村光雲の‘倭鶏置物’(三の丸尚蔵館)

橋本雅邦(1835~1908)は横山大観や菱田春草の師匠格にあたる人物、狩野芳崖同様、その風景画は圧倒的な絵画力で迫ってくる。日本の美術館ではいろんなところが名品を所蔵している。ざっとあげてみると東芸大美、東博、三の丸尚蔵館、埼玉県近美、泉屋博古館分館、川越市美など。

東芸大美のコレクションでは‘月夜山水’はお気に入りのひとつ。じつに見晴らしのいい風景画、画面の中央がV字にカットされ左右に山々が広がっている。そしてもっとも低いところを細い川がくねくね曲がりながら手前に流れ下る。こういう光景にじっさい出くわしたら心がすかっとしそう。

8年前、三の丸尚蔵館で‘福やござれー寿の美・新春に集う’という縁起のいい展覧会があった。そこに思わず笑みがこぼれる絵があった。藤井松林(1824~1894)の描いたお多福群像図、子どもから大人までみんなおでこで頬がふくれたあのお多福、この絵は長いこと笑いの素。家の中でも外にいるときでもなるべく笑うように心がけているのはこの絵に出会ったから。また、会いたい。

高村光雲(1852~1934)は明治以降に活躍した彫刻家のなかでは別格の存在、息子の光太郎の作品もあわせた回顧展をずっと待っているのだがなか実現しない。彫刻の場合、野外に設置されているものなどもあるから作品を多く集めてくるのは難しいのはわかっている、一回はこの矮鶏(ちゃぼ)の置物や有名な‘老猿’などの代表作がどどっと並ぶところをみてみたい。

近代日本美術の煌き! 1890年(明治23) その一

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Img_0001        原田直次郎の‘騎龍観音’(重文 東近美)

Img_0002     竹内久一の‘神武天皇立像’(東芸大美)

Img_0003     海野勝珉の‘蘭陵王置物’(三の丸尚蔵館)

最近、人気の美術番組‘美の巨人たち’に東山魁夷の‘道’が登場した。この番組では今日の一枚を所蔵している美術館についても強く印象づけるように紹介する。‘道’があるのは竹橋の東近美。

今は東近美へ行くのは年に一回くらいになったが、以前はよく通って平常展にでている日本画や洋画を楽しんだ。洋画でいつも飾られているのが原田直次郎(1863~1899)の‘騎龍観音’、7、8年前重文に指定された。
毎度ルーチンのようにこの大作をみていたので龍とその龍の上に乗っている楊柳観音の姿が目に焼きついている。

病を治す楊柳観音をモチーフにした作品を油絵の世界で実現させるという構想力がとにかく規格外、ぱっとみると大きな仏像をみているような気持ちになる。青木繁も同じように日本の歴史や宗教を題材にした作品をいくつも描いたが、人物描写がリアルなので作品との距離が割と近い。これに対し‘騎龍観音’は威厳のある仏像と対面するのと似た感情になり自然に言葉を吞みこんでしまう。

絵画でも彫刻でもサイズが特別大きいと普通のものをみたときの5倍は感動する。竹内久一(1857~1916)の木彫作品‘神武天皇立像’の大きさも半端ではない、総高はなんと2.97m!おおげさにいうとフィレンツェにあるミケランジェロの‘ダヴィデ’を連想するくらいのデカさ。過去2回みたが、明治以降につくられた彫刻でこれより大きなものにお目にかかったことがない。

海野勝珉(うんのしょうみん、1844~1915)は明治の金工界でスター的な存在、その代表作が雅楽の演目‘陵王’を題材にした‘蘭陵王置物’。宮島の厳島神社で演じられる雅楽を思い出させる蘭陵王の決めポーズが忘れられない。

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