女性の絵描きのなかで上村松園(1875~1949)は西洋画のダ・ヴィンチのような特別な存在、では次にくるのは誰か、これも決まっている、松園が没して20年後に生をうけなんと105歳の長寿をまっとうした小倉遊亀(1895~2000)。
2002年、東近美で開催された大規模な回顧展に運よくめぐり合わせ、小倉遊亀の画業全体がおおよそつかめた。とくにいいなと思うのが親近感を抱かせる人物描写、そしてこの女流画家はマティスが好きだったことがわかった。いくつかの女性肖像画をみているとマティスがモデルに使った女性の素描が重なってくる。
1938年に描かれた‘浴女 その一’はオーバーないいかたをすると衝撃的な一枚、浴槽のタイルの線がゆらゆら揺れるのをみたら誰だってびっくりする。なんとリアルな描写、参りました!となる。また、小倉の作品をいっぱいみたくなった。
鯉の名手といえば、すぐ名前が浮かぶのは福田平八郎、前田青邨、速水御舟、そして川端龍子(1885~1966)、龍子の‘松鯉図’は皇室から依頼されて描いた作品、一度しかお目にかかってないが、この絵の翌年に描かれた‘五鱗図’同様200%魅了されている。互いに寄り添って泳ぐ四匹の鯉の姿は本物そっくり。
安田靫彦(1884~1978)の古典歴史画のなかで一番のお気に入りがこの‘孫子勒姫兵’、孫子の話は長く記憶に残ることが多く、酒の席で調子に乗ると口からでてくる。孫子は当時有名な君子に会って、‘お前は兵法の大家だそうだが、後宮3000人の女たちはわしのいうことを聞かん、あやつらをお前は意のままに動かすことができるのならやってみてくれぬか’と言われる。
そこで、女たちを集めて‘右向け右!’と号令をかける。が、ゲラゲラ笑ったり、左を向いたりするものなどがいる。そのため、皇帝は‘兵家の大家というが、たいしたことはないな’と思った。そうしたら、孫子はその皇帝に‘皇帝のお気に入りの方はどなたか’と聞き、皇帝の返事を待って、刀を抜いて一刀のもとにその女を切り殺した。切られたのが絵に描かれている長い帯を腰に着けている先頭の2人。
そして、‘右向け右’と言ったら全員が右を向いたといわれている。孫子の言おうとしていることは何か、戦術だけでも法律だけでもダメ、力というものを備えなければ庶民というものは動かないということを教えている。