河鍋暁斎(1831~1889)が描いた美人画にはいろいろなタイプがある。女性が単独で登場するもので代表的なのが‘大和美人図屏風’、そして美人をいっそうひきたてる道化役的な男との組み合わせも多い。‘左甚五郎と京美人図’もその一枚。
彫り上げた作品の前でひょきんなポーズをとる左甚五郎、まわりにはノミや木の小槌が散乱している。その横で涼しげな顔をした京美人は‘甚五郎さん、いい仕事をなさっているのね’とかなんとかいって機嫌をとっているのだろうか。
暁斎がこの絵を描いたのは53歳のとき、同じ年に‘騎虎鍾馗’を描いた下村観山(1873~1930)は生まれてまだ11年しかたってない少年。この年でこんな絵を描き上げるのだから観山の腕前は半端ではない。まさに早熟の天才! 岡倉天心が観山を可愛がったのもよくわかる。
田能村竹田に師事し、竹田からその才能を認められ養子になった田能村直入(1814~1907)の作品でこれまでお目にかかったのは山種美にある‘百花図’や‘梅花書屋之図’などほんの数点。南画のDNAを引き継いだこの梅の絵はじっくりみるととても魅了される。