求龍堂から2010年に出版された‘石田徹也全作品集’、展覧会の図録が3冊買える8500円もの値段がついていたが石田徹也(1973~2005)の才能を高く評価しているので手に入れた。その表紙に使われているのが‘燃料補給のような食事’。
この絵をみた瞬間、石田徹也は日本のマグリット!と思った。180点近くある油彩のなかでこれが最高傑作、スペースが狭く客の回転率を上げる必要のある店における店員の仕事が石田の目にはこの絵のようにイメージされた。‘はい、お客さん、口を開けて’、これではガソリンスタンドでの給油と同じ。確かに大都会で忙しく働く日本のサラリーマンが食事するときの光景はこんな風かもしれない。
秋に森美で期待の展覧会がある。村上隆(1962~)の回顧展(10/31~3/6)、3年前中東のカタールでお披露目された‘五百羅漢図’が漸く日本でも見れることになった。村上隆は‘俺は世界のMURAKMIだ!’という自負があるから、日本の美術館なんてどうでもいいよ、という気分があったのだろうが、美術界の外でながめている村上隆の一ファンとしては一言いいたい‘羅漢さんだってアラブの人にみてもらうより日本の人たちに楽しんでもらったほうが数百倍嬉しいのでは’と。
ミッキーマウスを連想させるキャラクターDOB君が‘信貴山縁起絵巻’に描かれた護法童子に見立てられている‘727’、今この作品はMoMAの所蔵、NYへまた行くことがあったら現地でお目にかかりたい。
10年前葉山の神奈川県近美で行われたシュヴァンクマイエル(1934~)の回顧展、そこで最もドキッとしたのが‘生と死をめぐる対話’、この彫刻はショックだった。相対するつるっぱげの男たちは顔からでた手に持ったフォークで刺し合っている。彫刻という立体作品がこれほどの強い表現力で人間社会を諷刺する場面に出会ったことがない。
アメリカのビデオ作家、ビル・ヴィオラの作品を2006年森美で体験した。ビデオ作品をみるのははじめてのことだったので一から十まで新鮮だった。そのなかで圧倒的なインパクトがあったのが‘クロッシング’、小さな人物像がだんだん大きくなり燃えさかる炎に包まれる。そして、その隣はエンデイングで上から落ちてくる大量の水をあびる男。炎と水がクロスするダイナミックな映像は深く心に刻まれた。