ヴェロッキオの‘キリストの洗礼’(1472~75年 ウフィツィ美)
フランチェスカの‘キリストの洗礼’(1442~45年 ナショナルギャラリー)
ダ・ヴィンチの‘洗礼者ヨハネ’(1513~16年 ルーヴル美)
カラヴァッジョの‘サロメ’(1607~10年 ナショナルギャラリー)
昨年ブックオフで手に入れた映画DVDの‘偉大な生涯の物語’(1965年
アメリカ製作 199分)によく知っている俳優が出演していた。洗礼者
ヨハネ役のチャールトン・ヘストン、最後のほうでちらっとでてくる百人隊
長のジョン・ウエイン。ほかにもテリー・サバラス(知っている人は知って
いる)、シドニー・ポアチエが登場してきた。でも、主役のイエス・キリス
トを演じた俳優(マックス・フォン・シドー)はまったく知らなかった。
演技はしっかりしているから有名な俳優だろうが、どうしてほかの映画で
みたことがなかったか?
あの‘ベンハー’のチャールトン・ヘストンは洗礼者ヨハネになってくれたので、ヨハネが描かれた宗教画がこれまでとは違った感覚で作品に入り込めるような気がする。たとえば、ウフィツィにあるヴェロッキオ(1435~1488)の‘キリストの洗礼’は左端の天使はダ・ヴィンチ(1452~1519)が描いたことがインプットされているので、ヨハネの絵としてはすぐ思い浮かぶ作品だった。映画をみたあとでは監督はこのヨハネの顔からチャールトン・ヘストンをキャスティングをしたのかな、と勝手に妄想したりするから、絵との距離がすごく近くなった。
同じことがピエロ・デラ・フランチェスカ(1416~1492)の絵でも感じられ、洗礼の場所となっている川や背景に描かれている木々や小高い山が映画にでてくるシーンと重なり、このキリストにおこなわれた特別な通過儀礼をまわりで大勢の人々がみつめているのをイメージできる。キリストの物語が映画によってさらに立体的な認識へと変わるのはとてもいいことである。
洗礼者ヨハネのイメージはモロー(1826~1898)の‘出現’やカラヴァッジョ(1571~1610)の‘サロメ’で描かれている凄惨な首と強く結びついている。だから、皿に載った屈強なチャールトン・ヘストンの首は想像しにくいところがある。妖女サロメが踊りの褒美にヘロデ王に要求したヨハネの首はダ・ヴィンチが死ぬまで手元においていた中性的なヨハネのほうがぴったりくる。