ルネサンスの画家たちにとって宗教画は定番の画題。このお馴染みのキリス
トの物語をカラヴァッジョは自分のまわりにいた人物をモデルにして風俗画
のように仕上げて人気の画家となった。フランスのカレーの生まれだが、
イギリスで活躍したフォード・マドックス・ブラウン(1821~1893)
もカラヴァッジョほど風俗画ぽくはないが、芝居がかった宗教画を描いてい
る。ラファエロ前派には入らなかったが、ロセッティは影響をうけており、
彼らの兄貴分のような存在だった。
‘よき子らの聖母’は聖母マリアが有翼の天使の差し出すたらいの水を使って膝
にのせた赤子イエスを洗っている場面が描かれている。古典画ではこのテーマ
はあまり出くわさないが、ブラウンは週に一度は子どもを風呂に入れる当時
のイギリスの風習をもとに現実感を画面に持ち込んだ。後ろのほうに赤子を抱
いているもう一人の天使がみえる。肩の力がすっと抜け癒される絵である。
これに対し、‘ペテロの足を洗うキリスト’と‘寡婦の息子を戻すエリヤ’は体に
緊張感の走る宗教画。このテーマを描いたルネサンス期の作品で忘れられな
いのはマドリードのプラドにあるティントレットの絵。線遠近法の焦点を中央
から少しずらした見事な構図が目に焼きついている。ブラウンの作品はカラヴ
ァッジョの作風を彷彿とさせる。キリストより申し訳なさそうな表情をみせる
弟子のペテロのほうが印象に強く残り、後ろにいる7人の使徒のなかでは左で
サンダルのひもをいじっているユダの描写がなかなかいい。
旧約聖書に記された預言者エリヤが登場する絵はシェークスピア劇場の舞台を
観るような感覚。エリヤはある時、飢饉で食べ物に苦労している未亡人に手厚
くもてなされる。描かれているのはエリヤがその慈悲に報いようと死んだ息子
を蘇らせて寝室から降りてくるところ。斜めに人物を配置する構図は体の動き
とともに感情の昂ぶりを演出している。この動感描写が印象深い。
‘最後のイギリス’はイギリスでの成功が叶わずオーストラリアへ移住する人た
ちが蒸気船にのりこむため小舟で移動している情景が描かれている。前列の若
い夫婦は落ち込んでいる様子で新天地へ希望をふくらませて出かける心境には
とてもみえない。風景画‘穀物の収穫’は小さな作品だが影の表現と明るい色彩に
思わず足がとまる。ほかにも月の輝く‘干し草畑’という心に響く風景画がある。