Quantcast
Channel: いづつやの文化記号
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4040

美術館に乾杯! 日本民藝館 その四

$
0
0

Img_20201210223601
          木喰の‘地蔵菩薩像’(1801年)

Img_0001_20201210223601
   ‘大津絵 鷹匠(右)、長刀弁慶(左)’(1704~11年)

Img_0004_20201210223701
     ‘泥絵 長崎港’(江戸末期)

Img_0002_20201210223701
     ‘熊野観心十界図’(江戸初期)

Img_0003_20201210223701
      棟方志功の‘心偈’(1957年)

日本民藝館には訪れるたびに心が和むものがある。それは木喰
(1718~1810)が彫った‘地蔵菩薩像’。この菩薩の目をほそめ頬をふ
くらまして微笑む姿をみたらいっぺんに体全体がリラックスする。そして、
‘笑うことは人間の本性、怒るの犬でもする’を噛みしめる。柳宗悦が木喰を
発見したお陰でほほえみの仏像をたくさんみることができるようになった。

木喰同様、大津絵の存在をここで知った。大津絵は江戸時代大津の追分周辺
で盛んに売られた絵のこと。追分は交通の要所だったので旅人はこれを買っ
て土産物として持ち帰った。モチーフはいろいろある。仏様、達磨大師、鬼、
、、お気に入りは‘鷹匠’とか‘長刀弁慶’。

泥絵は江戸末期、安価な絵具を用いて描かれた絵画で長崎、上方、江戸の
風景の3つのグループにわけられる。これは泥絵のはじまった長崎の港を描
いたもの。異国の船をみるとこの地が世界をみる日本の窓だったことがわか
る。ほかにも‘三十三間堂通矢’、‘猿沢池’、‘霞が関’などがある。

‘熊野観心十界図’には地獄と現世と極楽が表されている。熊野比丘尼たちは
これを折りたたんで全国を行脚し、人が集まるところでこの絵を広げ絵解き
をした。火がもえさかる地獄の世界をみたら誰だって改心しようという気に
なる。

棟方志功(1903~1975)が健康を害した柳の回復を願って描いた
‘心偈(こころうた)’は柳が7~9字の句に折々の心境を託した歌を板画に
したもの。この一枚は‘見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ’ まず見よ、かくて
知れ。絵画でも彫刻でもまずみて感じることが大事、みる前から知識をつ
めこんでそれに縛られてはいけない、と教えている。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4040

Trending Articles