秋になったので例年通り柿と栗を美味しくいただいている。ここ3日間栗ご
飯だった。今回は隣の方からの依頼で栗の皮むきを担当。この皮むきはかな
りシンドイ、包丁を力を入れて動かさなくてはいけないので右の手首から肘
にのびる筋肉が痛くなった。でも、春にNEW炊飯器に替えてこしのあるご飯
になったこともあり料亭で食べる栗ご飯みたいになりご機嫌だった。
柿を食べるとすぐ思い浮かんでくるのが横山大観(1868~1958)の
‘柿紅葉’。画面いっぱいに広がる柿の赤く染まった葉は装飾的な画風で知ら
れる琳派の表現を連想する。カラリスト、大観の色彩美への思い入れがよく
でている。ほかの画家に較べると格段に多く開催される大観展だが、この絵
はなかなかでてこない。だから、まだ一度しかみていない。こういう絵は
光琳の‘紅白梅図’のように毎年みれると嬉しいのだが。
平福百穂(1877~1933)の‘豫譲’は芝居がかった人物描写が目に焼き
ついている。これは仇討の場面。刀をもって突進しているのが中国・戦国時
代、晋の豫譲(よじょう)。それに驚いてとびはねる馬が引く馬車に乗って
いるのが主君の仇である男。まるで歌舞伎の舞台をみているよう。
典雅なやまと絵風の王朝世界を描く松岡映丘(1881~1938)の作品
をみる機会はあまりない。一度回顧展を体験したが、まだもれている絵がい
くつもありそう。永青文庫にある‘室君’は中世の遊女を描いたものだが、普段
は熊本県美の収蔵庫に保管されておりなかなかお目にかかれない。東近美で
大松岡映丘展が実施されるのを願っているが、果たして?
川端龍子(1873~1930)の‘霊泉由来’は画面のつくり方がユニークな
絵。真ん中が石燈籠で右には湯に前足をつける白鹿が描かれ、左では美女が
衣を脱ぎ湯に入ろうとしている。伝説のままだと左は日本武尊(やまとたけ
る)だが、龍子は大ひねりして女性に代えている。こういう大胆な変装をし
てしまうのが龍子流。