今年から‘一日一知’ということをはじめた。わが家ではTVを見ている時間がとても長い、大リーグ、ニュース、視聴率の高い人気バラエティ番組、そして収録した美術文化番組の再生。その合い間に展覧会の図録や画集をみたり、関心のある芸術や歴史の本を読むことが入る。
だから、いろんな情報が映像や活字を通して入ってくる。そのなかにはそのときだけで終わりというものもあれば脳を特別本気にさせるものもある。で、脳を刺激したおもしろいコトや物、腹にストンと落ちたことなどをひとつだけ長年使っているコンパクトダイアリー(手帳)に書き込みことにした。これがわが家の‘一日一知’。今日はそのひとつ、‘金鍔’(きんつば)の話。
金鍔がどうしてこう呼ばれるようになったか?この話が先月放送されたBSTBSの番組‘謎解き!江戸のススメ 老舗’にでてきた。きんつばという和菓子、今は口にすることはほとんどないが小さい頃はよく食べていた。父親が和菓子が好物で給料日にはきまって買ってきた。春のなると桜餅、鶯餅、そしてあんこを薄皮でつつんだきんつばとか最中は年間を通して食べる定番の菓子だった。このお茶を飲みながら和菓子を食べる習慣が高校を卒業するまで続いた。
日本橋にある栄太樓總本舗(1857年創業)の看板商品‘名代金鍔’、この和菓子が生まれたいきさつは社長によるとこう。
‘昔、刀の鍔師がいて殿様から金の鍔をつくってくれと言われた。ところが、この鍔師は悪い野郎で中は鉛にして上っ面だけうすく金を貼った。その事件に発想を得てあんのまわりにうす皮で覆ったのが金鍔(きんつば)のはじまり。で、うちのきんつばは丸い’。
なるほどね、それで金鍔なのか!菓子の形と偽金鍔のイメージがピッタリ合うので腹にストンと落ちる。商才にたけた人はやはり目のつけどころが違う。これまでこのお店の名前は知っていたが、店舗がどこにあるのか知らなかった。この番組のあと地図(拡大)をみてみると、日本橋の南側のすぐ近くにあった。ここだったのか!次回、三井記念館へ行くときは帰りに寄ってみることにした。ここのきんつばはどんな味だろうか?
番組にでてきた老舗がこの地図にいくつか載っている。‘神茂’(はんぺん)、‘日本橋弁松総本店’(弁当、乾物)、‘さるや’(楊枝)、‘江戸屋’(ブラシ)、この界隈をぶらぶらするのも楽しいかもしれない。